鶏の唐揚げ、豚バラすき焼き、サンドイッチ、手羽先カレー、バーンアウトと寛解の末
先月は見込んでいた仕事に振られて、別な仕事を初めて、お客さんのレビューに間に合ったので、ラックリである。お客さんにも好評である。今は大した金にならないが、なんとか行けるかもしれない。
自営業は自転車を漕ぐようなものであり、手元に金が入ってこなくなったら倒れるほかない。何度もう終わりだと思ったことであろうか。
随分、酒をやめられなかったが、昨日から飲まないで済むようである。今日も飲んでいない(笑)。
毎日食事を作ることには価値がある。しかし、時にどうにもできなくなることも多い。人生は苦痛の連続である。
料理作りは生きようとする意志が一番大事だ。
どうにもうまく行かないと思い始めると、「みなやめてしまおう」と思うことも多い。
これをバーンアウトと言う。
僕は人生で何度もやられた。そのたびに、焼け落ちた自分からまた飛び出すのだ。何かバーンアウトから抜け出す方法があると良いのだが。
残念ながらそれはないのだ。誰にでも効く処方箋は、「当たりの宝くじ」ぐらいであろうか。

少し落ち着いたので朝から料理を作ることにした。妻のパートの日である。せめて、ピンコロの年寄になるように素材から生命を大事にする食事を作る。すき焼きは、季節の野菜を大事にする。今ならばタマネギだ。新タマネギは土中のマイクロバイオームを集め厨房に持ってくる。
とにかく旬の野菜を目一杯使う。

素材から食事を作ることに価値があると思っている。
世の中の「栄養士や医者、レシピで食っている連中」は素材が食卓に登るまでのプロセスを注目しない。「栄養素」と呼ばれる物質(その多くは「乾燥・抽出・濃縮」工程を通り生体活性を失っている)がどれだけ入っているかばかりを気にしているのだ。
愚かなことである。
先日読んだサイトでは、「(市販の)野菜ジュース」を飲むと「野菜」を食べたのと同じ効果があるという。商品としての食事は利益を出すためにとんでもないものを売る。外箱には野菜の絵が書かれているが、その中のモノは成分だけが野菜である。決してその内側には「生命=立体構造を維持したタンパク・脂質」は含まれていない。
水分を蒸発させて、1/4の容積にして。タンカーにいっぱい運んできて水で薄めて濃縮還元100%の生ジュースである。
コイツラは生命というっものを真面目に考えているのだろうか。
タンパク・脂質は細胞内外の水の中で立体構造を維持してその内側に様々なミネラルや多種の代謝物を保持する。水分が飛んだところでおしまいなのだ伝統的な技法での「乾燥・濃縮・抽出」は美味しい味を作る。その工程には多くの場合(腐敗=発酵=生命の代謝活動)がセットで存在する。
問題は、1980年台を分水嶺としてその多くのノウハウを失ったのである。
おまけに、3世代が同居するということは厨房作業がグループワークであったことを意味しているのだ。
もはや、家族は消費の単位でしか無い。毎日ドッグフードのような食事を消費して、検査値を正常にする「よく効く薬」を飲み続け、致命的な臓器組織の損傷が起こったら、破壊的治療で管だらけにさせられて生きるのだ。
僕は家庭の厨房が「生命の食事」という価値を生み出す場としえ考えている。しかし、難しい。時に諦めて皆放り出したくなる。果たしてこの食事でいいものかと考える。
1980年代以降の「食事の商品化」はすべての人を不幸にするのだ。
そのたびに思い出すのは父の最期の一週間である。
自分の80歳に食事を作ってあげたい。

手羽先が痛み始めていたのでカレーにすることにした。2時間トロトロと茹でて玉ねぎと人参を入れて30分である。手羽先は色々と使うが、最近はこれが一番である。






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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。