「検査値の正常』というおかしな信仰、求めているものは幸福な人生の終わり。
何かしらの食事の要素が健康に「良い」か「悪い」かを人はしりたがる。しかし、本当に私達がもと大多めていることは、幸福な人生の終わりである。決して検査値の平均化をアウトカムとして求めてはいない。

統計的に、正しい調査というのは、「ある要素」を持っている食事と持っていない食事で生活している人の集団の比較をして「その要素」が健康に良いとか悪いとか柄を判断しているのだ。

僕も昔はそうれでいいと思っていた。専門家の大学のセンセイが仰っているている事だから、それに従えば幸せになれると思っていた。なんと純真。

食事調査というのは、あくまで「食事」と「人の幸福な人生の終わり」の関係を調査するべきものなのだが、そうはなっていない。

そもそも、地域に縛られて、そこの生態系で生きる他なかった私達は食事を選択することなど出来なかったのである。パンダは笹以外は選べなかったのだ。イヌイットはバナナなど食べることは出来なかった。

食事を選べるということの意味を考えることが必要な気がする。Sさんに毎日食事を持っていって、お話を聞くが、文化の差の発見がある。おもしろい。長い旅の途中である。

少し憂鬱である。

いいなと思ったら応援しよう!
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。