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餃子ライスの喜び

餃子に、多めの酢醤油をかけて浸す。時折、半額になっているお惣菜を買ってくることもある。今日は、冷凍餃子を買ってきた。

ご飯一膳に2−3個の餃子を乗せて肉汁をご飯へのシミさせる。
ダバダバの酢醤油が一回餃子に含まれて肉汁をおびき出してくれるのだ。

少し足りないようだったら、醤油と酢を追加でかける。

餃子丼といったほうが良いかもしれない。下品だと言われることもあるが、僕にはかけがえのないものである。熱々の肉汁がご飯に掛かっているのが素晴らしい。中国では餃子だけで食事は済ますと言うが、何ともったいない。

いつの頃からこうして食べているのか、まったく記憶にない。食事を外で食べるようになるのは1980年代以降だ。20歳前後の記憶ではもうこうやってたべていた。東京に出てきて、野菜の少ない餃子に感激したのを覚えている。結婚して妻に「下品だ」と言われて、あまり他の人がしているのを見たことはないと気が付いた。多分、自宅で作った餃子を食べる時についた習性なのだろう。まあ、当時はKFCをご飯に乗せて食べたり、米どころ新潟の子供らしく、かなり乱暴であった。出来始めた廻りずしにご飯(酢飯)だけのオニギリがないのを残念がっている位であった。

小さい頃、夕食で大きな皿に乗った餃子を家族で奪い合う時に、付いた癖のような気がする。
ご飯茶碗にどんどん乗せて、「確保ー食べるー確保ー食べる」を繰り返して、最後に皮からこぼれた具とご飯を食べた。家族で餃子を包んだ事も思い出した。
妻も家で母と包んだという。「餃子を家族で包んだ記憶があるか」というのは、食事を家で作らなくなる分水嶺のメルクマールであるような気がする。
学者様も食事調査をするならこういう事を調べればいいのに。

餃子の折り目には、既に消えた家族の笑顔が見える。


近所のドラッグストアが冷凍食品のライナップを変えた。心にふれるものがあった。買ってみることにした。
ポコンと餃子を求める雲が心に浮かぶことがあるが、一袋の皮の枚数が多くてどうも2-3個だけ作るという気にはならないのだ。

冷凍餃子はときおり食べるが、大体気に入らない。ニラ(野菜)が少ないのだ。「羽根つきだ、油いらずだ」だのとにぎやかであるが、大方が気に入らない。作る手間がない時に渋々食べるだけである(笑)。

しかし、これは合格であった。ちょっとびっくりした。(少し難点はあったが、冷凍でこれならば宜しいのである)

餃子は、多くのお店でも冷凍してあるものを調理することが多い。お店で包むむならば、そのお店は信用できる。

手作り餃子をしている食堂が、新発田の駅前にも一軒あるが、僕は大好き。
そういえば、大陸帰りの方が始めたラーメン屋さんは数年前に閉店した。僕が食べたことのある水餃子の中では比類なきものであった。

外見は何処かの中華屋さんででてきそうである。韓国産のモノのようである。

気がつけば、僕は餃子好きであった。

今度、久しぶりに、手打ち餃子を作ろう。
小麦粉の料理は結構好きである。




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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。