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「レシピ通りに料理するって退屈だ」と思っていたけど、すごくワクワクした話

我が家は夫と二人暮らし、気ままにごはんを食べて過ごしている。平日は夫が自宅勤務の日もあり、「今日は外で食べようか」「デリバリー頼んじゃおうか」とすることもけっこう多くて、料理のハードルは低めだ。

でも、たまに「なんか家でおいしいものが食べたい」と思う。でも、家でのおいしいもの、それはデリバリーじゃない!という時がある。自分たちでおいしいごはんを作って食べるということ、その時間を含めておいしいと楽しみたいのだ、そんな欲求が湧き出る時がある。

ある日、漠然と夫に話した。「なんか家でももうちょっとおいしいものが食べたい」。膝の上で熟睡している猫の毛をもさもさと逆に撫でる。家でもうちょっとおいしいものを食べるにはどうしたらいいかわからなかった。その場に合わせてそれっぽいものを作る、それがわたしの料理とほぼイコールだったからだ。そこまで料理が得意じゃないという自覚があり、レパートリーがないのでけっこうつらかった時期もあった。食べるのは好きなので、たとえばソースよりは塩の効いた味付けがいいみたいな好みがあって、それを漠然と目指して作ってきた。

何より、レシピ通りに作ることにとても苦手意識があった。その苦手意識をわたしは「レシピ通りに作るのはあんまり好きじゃない」と言葉にしていた。もっと言ってしまうと、退屈だと思っていた。今、料理について書いていて初めて、なぜ難しく感じていたのか少しわかりそうな気がする。それは、材料を間違いなく買って、工程通りに自分を動かし、待ち時間を守ることが億劫に感じられたのだ。それはわたしの性質上少し努力が必要なことだった。

一方で、家にある材料で適当にそれっぽい料理をするのが好きだった。一見ごはんになりそうもないところからアイディアで捻り出すことにワクワクしていたのだ。でもそうやってずっとやっていくのも難しそうだ。なぜなら料理の知識や技術がないから、自分の作るものにすぐ飽きてしまう。この、なんとなく自分の味に飽きるという感覚をツイートしてみたところ、前々から気になっていた長谷川あかりさんのレシピのことを思い出した。

そうだ、これを作ろう。台風の近づく中、一人でスーパーにいって材料を買う。きゅうりを選びながら、あじのお刺身を選びながら、完成したらどんな感じになるだろうと思いを馳せる。あじは、お刺身とたたきのどちらがいいか迷った末に、両方買って帰った。SNSでこのあじキューライスのレシピを何度も見たから気になっていたのだけど、自分ではまだ味わったことがない。どんな味がするんだろうと、ずっと脳内サブモニタにどんぶりがくるくると回っていた。

きゅうりを刻む間、塩やオリーブオイルを慎重にかける間、無心だった。作り終わって写真を撮りながら、もっときゅうりを細かく刻めばよかったな…と思ったが、食べ応えがあってむしろおいしく感じた。さっぱりした味わいなのかなと思っていたけれど、あじの旨みがすごく、食べたことのない不思議な味わいだった。ああ、これを書きながらもうまた食べたい。

あじキューライス 我が家版(写真:筆者)

Twitterにあじキューライスの写真を投稿すると、昔からの友人が料理研究家のリュウジさんのレシピを教えてくれた。やけくそジャンバラヤ、なんて強い名前。

それも、次の日に作った。材料をToDoリストに入れ、買い揃えた。「にんにくはチューブでいいか〜」とスーパーでぼやくと夫が「リュウジさんがにんにくそのものとチューブは別物って言ってた」と返してくる。その急に最適化された知識なに?!と思いつつ買ったにんにくを刻んで、工程をひとつひとつ踏んで作った。

きっと生のにんにくはびっくりするくらい臭いのだろうと怯えながら準備したが、全然臭くなかった。台風が直撃した日でスーパーは品薄になっており、鶏の一枚肉が用意できなかったが、お肉がやわらかくておいしい!自分の家のキッチンから、自分の作れない味が生まれてくることに感動した。

やけくそジャンバラヤ 我が家版(写真:筆者)

そうして自分の癖に気づく。「ここができなかった」と、できなかったことばかりを見つめがちなところだ。きゅうりをもっと刻めばよかった、一枚肉があったらよかった…。確かに、レシピ通りではない。でも、ちゃんとおいしくできた。だからまず「おいしい!」で、次に「じゃあ今度はこうしよう!」でいいのではないか。

自分のものづくりの仕事でも、似たようなことをよく思う。「いいものを作りたい」と思いすぎるがあまり腰が重くなったり、失敗に過敏になったりすると、いいものはできない。特にドローイングなんて、そういう緊張がもろに作品に出るだろうに。

ぐるぐるドローイング(筆者作品)

一回作ってみて、それでうまくいってもいかなくても「あ、こうなったんだ。なるほどね、じゃあ次はこうしよう」くらいでやっていくのが、健康的で長く続けられる姿勢なのかもしれない。


土曜日は、夫に夕飯のリクエストを聞いたら「ハンバーグ」と聞き、すぐに長谷川あかりさんの酒蒸しハンバーグのことが浮かんだので、材料を買って作ってみた。とってもふわふわで、ミニトマトとあわせて食べるとおなかも心も満足した。

酒蒸しハンバーグ 我が家版(写真:筆者)

ハンバーグを作ってみて、ハッとした。いつものわたしだったら夫からリクエストをもらっても「ハンバーグ?作るのめんどくさいし、うまくできるかわからないからいやだな〜」という気持ちになってしまっていた。でもこのレシピを思い出し、ツイートを見ながら手順通りに作っていけば、うまくできないかもしれない不安から距離を置いていられた。

正直、牛乳と一緒にフライパン上でたねを練っている間は「これどれくらい練ればいいんだ・・?」と若干不安になったが、関連ツイートをあれこれ読んだり、「しっかり目に練るのがポイント」という言葉を胸にただシンプルにレシピの手順に沿って作った。

これまで「レシピ通りに作るのはあんまり好きじゃない」と思っていたわたしだったが、レシピ通りに作る大切さを、何も想像できてなかったんだと気づいた。写真や動画などでわかりやすく工夫され、調味料の表示や、「これくらいの状態になるまで」と説明する言葉のひとつひとつまでがきらきらと光り輝いて見えた。どれもこれも、作る人たちのために考え尽くされていると、やっと気づいた。プロが研究したおいしい料理を家庭で味わうことができるすごさを、ようやっと実感しはじめたのかもしれない。

それに、SNSで料理研究家のみなさんのレシピが見れるのもありがたい。レシピのツイートに関連情報が追記されていたり、作った方々のコメントが見れるととても便利だ。それに、この料理をわたし一人だけで作っているわけじゃないから、きっとできると思える。完成したら写真をアップするのも楽しみだし、みんなでおいしいレシピについて話すのも嬉しい。


そういえば、秘伝のレシピというやつを持っている。学生の時に亡くなった大好きなおばあちゃんの黒豆のレシピだ。おばあちゃんは料理が得意で、よく近所の人たちがコツを聞きにきていた。「いつかおばあちゃんみたいにツヤツヤの黒豆を煮たいなあ」とずいぶん前に1度だけ挑戦し、うまくいかなくてそのままになっている。
今は6月だから、おせちに使うなら相当先だ。それか、近いうちに煮てみて、おやつにでもしてみようかな?黒豆を使ったレシピとか、あるかなあ?こうやって料理のことを考えている時から、料理は始まっているのかもしれない。

忙しかったり気分転換したくて外で食べることも楽しみたいけれど、こんな感じでただただ楽しく、家でもごはんを作って食べられたらいいな。レシピの通りに作ってみることで、こんなに楽しい気分になれるなんて思わなくて、もっと早く作ってみればよかったと今更ながらに思っている。そうだった、過去を振り返らないこと。次にまた作ればいいんだった。じゃあ次は、何を作ろうか?


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マスブチミナコ おやつ代にさせてもらって元気もりもりnote更新したいです。お待ちしてます🍪🍠🥞🍘🥮🍡🍟🍧🍦🍨🥠🎂🍰🥧🍬🍭🍮🍯

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