教えて欲しい。あの曲をわたしに聴かせてくれた理由を。
君が思い出になる前に
作詞作曲:草野正宗
編曲:笹路正徳、スピッツ
1993年10月25日発売
今から30年以上前、わたしは九州のとある大学病院に入院していた。生まれて初めての親元から離れての生活。言葉も聞き慣れないし、面会に来るのは近くに住む伯父だけだった。
同室だったAさんにわたしはとても懐いていた。彼女は地元の人で、5歳くらいわたしより年上。運転中事故で足首を痛めて以来なかなかその痛みが完治しないようだった。それでもいつも明るく周りを笑わせようとする彼女をわたしはまるで姉のように慕っていた。
携帯電話もない時代。友達は近くにいないし、公衆電話だとテレホンカードが何枚あっても足りない。連絡手段は手紙だけ。やはり地元が恋しかった。大学の同級生たちは就職したばかりだったが、わたしに気を遣って手紙に仕事のことは書いてこなかった。そんな状況だったのでAさんにはかなりお世話になったと思う。
ある日病院内を用事があってウロウロしていた時、Aさんが喫煙所でタバコを吸っている姿を見かけた。(当時は院内でもタバコが吸えた時代)わたしは驚きのあまり声をかけることができなかった。タバコを吸っていたことだけが理由ではない。Aさんの目が虚ろで声をかけられるような状況ではなかったのだ。
その後二人きりになった時、Aさんは自分のウォークマンを差し出して「これ、聴いてみて」とわたしに貸してくれた。その時聴いた曲がスピッツの「君が思い出になる前に」だった。わたしは当時スピッツをあまり知らず、ああ、こんな曲なのね、くらいにしか受け止めていなかった。
後々Aさんはわたしの結婚式にも参列してもらうほど本当に大事な人となってゆく。しかししばらくして彼女とは音信不通になってしまった。一度だけ彼女の実家に電話したことがあったけれどお母様から不在です、と伝えられただけ。それ以来一度も連絡はなかったし、わたしからもできなかった。
Aさんは今どうしているのだろう。もしかしたらもうこの世にいないかもしれないなどと不吉なことも考える。 「君が思い出になる前に」という曲について死別の曲だと紹介している人もいる。それが嘘か誠か、わたしはは知らない。でも彼女がそれを知って聴いていたとしたら、とても切ない。
ある日突然の事故で人生が一変してしまった彼女のつらさはどれ程だっただろう。わたしは今でもその全てを理解できたわけではない。でも何の苦労も知らなかった当時のわたしに比べれば、今のわたしにはほんの少しAさんの苦悩が分かる気がする。
もしもう一度彼女と会えるなら、あの大学病院でとことん夜が明けるまで本音で語り合いたい。そして教えて欲しい。あの曲をわたしに聴かせてくれた理由を。
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