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わたしたちは、ほんとうに決められているのか? |選択のパラドックス #青ブラ文学部

以前記事にも書いたように、わたしたちは1日3万5千回も選択している、と言われている。
朝起きれば、何を食べるか、何を飲むか
何を着ていくか、何を持っていくか
何時の電車に乗るか、どの道から行くか
数え切れないほど選んでいる。

でも、迷いに迷って決めたはずの志望校に受かるかどうか。
そんなこと自分では決められない。
生涯どれだけのお金を持てるか、なんてことも決められない。
結婚した相手と本当に幸せになれるかどうかも決められない。
究極にいえばいつ生まれるか、いつ死ぬかも決められない。

結局わたしたち人間は、大事なことは何ひとつとして決められないのではないか。

だとしたら、わたしはできるだけ大きな選択だけに考えを巡らせることにして、細かい選択はしない道を選びたい。
前にも書いたように、流行りに乗ってみてもいいし、人に選択を委ねても困らないことすらある。
ある程度の妥協は救いになるのかもしれないし。

それに最良の選択なんて日によって違うもの。
気分によって左右される。
あの日あの時、迷いに迷って、悩みに悩んで出した結論ですら、そうじゃなかったということもある。

何が良かったかなんて、後にならないと分からないこともある。
そう考えると、選択なんて自己満足じゃないだろうかとすら思えてくる。

選択肢が多ければいい訳じゃない、というのは、書くにおいても当てはまると思っていて。
今これを書いていても、どんな単語を使おうか、どんな接続詞を使おうか、かなり悩むけど。
語彙が多ければ多いほど、いい文章が書けるなんて幻想に過ぎない面があるのでは。
できるだけ分かりやすい文章をできるだけ早く書くか。
それもひとつの方法なのでは。

もちろん、できるだけ多くの語彙を使い、できるだけ難しい文章を書きたい人もいるだろう。
でも、それをどれだけ読んでくれる人がいるかは未知数だ。
自分にとっては最善な語彙の選択であっても、人に読んで欲しいなら違った言葉を選ばねばならない時もある。

だからわたしは、時に選択肢を減らして生きていく。
そんなことを思いながら、今回のお題に向き合ってみました。



山根あきらさんの企画に参加させていただきます。
こちらのお題、期限がないということなので書いてみました。
あきらさん、よろしくお願いします。





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