五月は病みがち|シロクマ文芸部
「五月病ですね、会社にはきちんと説明をして当分自宅療養してください」
「え、五月病ですか?わたしが?」
わたしは初対面の医師に思いがけぬ病名を突きつけられ、頭が真っ白になった。
「あなたはゴールデンウィークが明けてから仕事が手につかなくて、職場に行くことすら憂鬱になると仰いましたよね。食欲もなく眠れない。それこそまさに五月病の症状です」
「ええ、それは確かに。ひどい時は胃も痛むんです。食事が摂れないのは本当につらいですね」
「それは大変だ。やはり会社はしばらく休んだ方がいいですね。胃薬を処方しておきますので、きちんと飲んでください」
わたしの頭の中はさらに混乱し、胃薬まで飲まないといけなくなったことにひどくショックを受けた。わたしが五月病?信じたくなかった。
さらに医師は続けてこう言った。
「五月病というのは正式な病名ではないんです。でも症状が長期間に及ぶとうつ病などを発症する可能性もありますからね。決して侮らないでください」
見くびってはいけない病気なんだな、と他人事のように医師の話を聞いていた。我が身に降りかかっているできごとなのに、実感がわかない。確かに症状はある。だが、どこかに違和感を覚えた。
「あ、あの、でも……。会社が嫌になったわけではないんです。ちょっと、訳ありでして……」
「どういうことですか?」
わたしは口ごもりながらボソボソと言った。
「実は、失恋した相手が同じ会社の上司なんです。それ以来どうも顔を合わせづらくて……。五月病のような症状は本当に出てるんですが」
医師は優しく微笑んで、まるで全ての事情を察したかのように、こう言った。
「そうですか。それならひとまずは安心です。でも心に負荷がかかっているのは同じことなので、無理しないようにしてくださいね。もうお目にかからずに済むことを祈ってますよ」
病院からの帰り道、晴れやかな五月の空に吸い込まれそうになり、息を止めた。また息を吸い込むと今度は新緑の香りが鼻をかすめ、季節の移り変わりを肌で感じた。
安心。この二文字に救われたのか、気持ちが少し変化しているのを感じた。するとスマホがブルブルとカバンの中で振動し主であるわたしを呼ぶ。同僚の田中くんからだった。
「はい、もしもし……」
「あ、松本さん?どうしたの、会社続けて休んじゃって。みんな心配してるよ。小島が松本さんいないから仕事が滞ってるって」
「あ、そうなんだ」
わたしはやはり会社の歯車のひとつでしかないんだ。そんなの誰にでも代わりは務まるんだと言いたかった。
「あ、それと上司の片山さんが心配してたよ」
片山、と聞いてちょっとうろたえた。
「片山さん、元気にしてる?」
「うん、松本さんのことすごく心配してたよ」
わたしは僅かながら安堵した。あの人も少しは気になってるんだ。その割にはあっさり別れを告げられたけど。
「ねえ、松本さん。良かったら今度の土曜日映画に行かない?どうしても観たいのがあるんだけど、せっかくなら誰かと一緒に行きたくて」
田中くんの言葉で心に風穴が空いた気がした。初夏の風が心地良かった。
「ありがとう。ぜひ、良かったら」
電話を切ってすぐに、わたしは美容院の予約をした。五月の風になびくような、軽やかなショートヘアにしよう。
わたしは電話帳の片山という項目をしばらくじっと見つめた。そして
「さよなら」
と唱えてそれをゴミ箱へと削除した。
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