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表情には出さなかったけど、本当は嬉しかったんだ|へんいちエッセイ講座 中級

わたしが幼いころ、両親はトランプばかりしていた。
しかも2人で遊んでいたのではなく、1人遊びとして。

とりわけソリティアが好きで、黙々とトランプに向き合っていた両親。
わたしも両親のおかげで、トランプの1人遊びをを覚えた。
でも、どこが楽しいのか全く理解できなかったし、自分でやってみても楽しいとは思わなかった。

我が家は新年になると、父から順にお屠蘇を飲み、おせち料理を食べる古風な家庭だった。
その後、たまに家族4人でトランプをすることも。
誰が声がけしたのかは記憶にないが、多分母親だったと思う。

でも、この上なくつまらなくて苦痛だった。
だれも喋らず黙々とカードが動いていくだけで、勝っても負けても誰も喜ばない。
いや、心の中では喜んでいたのかもしれない。
けれど、誰一人としてその喜びを顔にも声にも出さない。

こんなにつまらない遊びがこの世の中にあっていいのだろうか?
そんなことすら考えていた。
母親だけ引きつった笑みを浮かべて、カードを配ったり混ぜたり。
父もあのとき、いったいなにを考えていたのだろう?

実はわたし、トランプ派ではなくUNO派だった。大学時代に学食でこじんまりと、でもそれなりにキャッキャとはしゃいでUNOに興じていたことは今でも忘れられない。

ときには旅行中、だれかの部屋でお酒を飲みながら。
そして、ときには1人暮らしをしている友達の家で一晩中お菓子をつまみながら夢中になった。
UNOはメンバーによって細かいルールが違ってくるから、その違いも楽しみのひとつだった。

UNOはトランプと違って、1人ではできない。
だからUNOで遊べるということは周りにだれかがいるということ。
わたしはUNOで「遊んだ」ことよりも、UNOを通じてみんなで「騒いだ」ことが何よりも楽しかったんだと今振り返ってみて思う。

だから正月のトランプは、わたしにとってストレスのたまるものでしかなかった。


あんなに1人トランプが好きだった両親。
今となっては父は他界し、母は認知症となってしまった。
1人遊びはもとより、もう二度とあの家族でトランプはできない。
だけど、今も親を恨んでいるかというと、そんなこともない。

だって、両親は息子とよくトランプで遊んでくれていたから。
遊びながら父も、母も、もちろん息子も、みんなが満面の笑みを浮かべていたことを思い出す。

わたしにしてくれなかったことを孫にはしてくれていたのだ。
そう考えると、わたしの気持ちは晴れていく。
きっとそこには、罪滅ぼしの思いが込められていたのだと思うから。

もし、今両親に1つだけ訊けるならこんな質問をしてみたい。

「昔家族4人で遊んだトランプ、2人とも楽しそうじゃなかったけど、本当は家族揃って嬉しかったんじゃない?」

2人とも表情には出さなかったけど、本当は嬉しかったんだ。
今のわたしは、そう確信している。




こちらの記事は、へんいちさんのエッセイ講座で書いたものです。


中級は2回目!
今回は、テーマの選び方から苦戦。
テーマの広げ方にも苦戦。
「こんなエッセイも自分には書けるんだ」と、新たな自分を発見しました。

しかし、漢字の「閉じる」「開く」は難しいですね。
もしかして、まだ間違えてるかもしれません……。
訂正して何度も読み返したつもりなのに、不安でいっぱいです。

講座修了メダル、いただきましたー!


初級はメンバーシップメンバー以外でも受講可能なので、ぜひ。

へんいちさん、中級3回目もよろしくお願いいたします!



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まだまだご参加お待ちしています。


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