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これから私は昔とは違う声で生きていく

その昔、まだ固定電話が当たり前のように家にあったころ。しかもダイヤル式だったころ。 今と違って否が応でも電話が鳴ると出ないわけにはいかない時代だった。

「もしもし」

私は家にいるとよく自ら電話に出ていた。母が仕事をしていて留守だったりしたので長女としての責任もどこかにあった。
 
「あ、〇〇さんのお宅ですか?」

「はい、そうです」

「ああ〜こんばんは!この間はありがとうございました…それでね…」 

母の知り合いからの電話だといつも私が娘だとは気づかれなかった。名前を名乗った途端相手はいきなり本題に入ってしまう。

「あ、いえ…あの…娘なんですけど…」
 
いつもいつもそう訂正しなければならなかった。正直、めんどくさい。知らない話をいきなり展開されても知らないんだから知らないんだ。

母と声が似ていた。訂正する度にああ、そっくりですね!とお決まりのパターンで謝られた。だから出るのは嫌だったのだけど、父に出られると恥ずかしい気持ちがあって無理にでも私が出ていた。あの大きな声で「もしもし」とぶっきらぼうに言われると一家の恥のような気がしていた。その声を聞くことすら嫌だった。

母は寂しがり屋で私に思い入れが強い人だった。父と結婚し知らない土地で私たちを育てていたのだからその寂しさは特別なものがあったのだと思うけれども、ひどかった。父はちゃぶ台をひっくり返し、母だけでなく私たち子どもにも怒鳴り当たり散らす人だった。

そんな母を庇ってきた私はいつの間にか考え方や生き方まで母の言いなりになっていた。母は私に対し学級委員になってみたら?とか、この本の読書感想文を書いてみたら?とかとにかくいろんなものを押し付けた。その裏で私は盛大ないじめにあっていたが、一言も親にも担任にもいじめのことは言わなかった。

そして、思春期。私はことごとく親に反抗した。電話に出るどころかほとんど家にいなかった。今までの分を取り返すかのように。友達と夜中遊び回って朝帰りしたり、未成年のくせに居酒屋で飲んで酔いつぶれたり。

そんな私にもいつしか彼ができた。彼は「母親からいい加減離れろ」といつもいつも口を酸っぱくして言っていた。それがきっかけだったのだろうか?私の母親ベッタリは薄れていった。

そんなうちに私は精神的な病気を患う。家にもいたけれど電話に出るのは両親だった。病気が良くなってきたとき、ちょうどポケベルや携帯電話が普及し始める。私はもう家の電話には用事はなくなり、出ることもなくなった。 

実はこのころから母の作った料理を食べなくなってしまった。入院していた先の病棟がアダルトチルドレンの患者に特化しており、それ以来ますます親に対して嫌悪感を抱くようになる。アダルトチルドレンの本を読み漁り、看護師ともしょっちゅう話をしてきたが親の態度は何一つ変わらなかったし、私が渡した本を読むのを拒んだ。

そして結婚する。夫にも「親と離すためにも自分が面倒を見たほうがいい」という気持ちがあった。父はもうそのころちゃぶ台をひっくり返すことも大声をあげることもなくなっていた。自分がしてきたことを認めてはいなかったけどどこかしら優しさを垣間見れるようになった。

母に対してはわだかまりを残していた。しかし父の急逝によりいやでも母と接しなくてはならなくなる。母は一人暮らしをしていたがその母も父がいなくなって心に穴が空いたのか認知症になり一人暮らしができなくなってしまった。

今、母は高齢者向け住宅で一人暮らしている。実は母は昔からかなりの難聴だったのだけど、もう今では電話で話すことすら不可能になってしまった。自分から声は出せるのだけど相手の声を聞き取ることがもうできない。

そして私の声も変わってしまった。あの母と似てるねと言われた高かった声もなぜか低い声に変わった。きっと今では誰も似てるとは言わないだろう。やっと、1人の人間として母親から切り離されたのだと感じている
 
父は結局自分のしてきたことを認めることはなく、この世を去った。きっと母も同じことになるのだろう。母の最期を迎えるにあたり、母に対して何を言えばいいのか。看取れるかどうかは分からないけれど、そのとき何を言うか。その前にもいろいろと伝えておかねばならないのだろう。

そのときに「産んでくれてありがとう」と言えるだろうか。言えるまでに気持ちの整理がつくだろうか。その辺りの私の気持ちはまだ燻ったままである。


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