正しいことを言っているのに、組織で孤立してしまう理由
どうも、まさたかです。
会議や議論の場で、明らかに筋の通ったことを言ったはずなのに、場の空気がふっと冷える瞬間を経験したことありませんか?
誰も真正面から反論はしてこないのに、手元の資料を閉じる音だけが少しだけ硬く響きわたるあの感じです。
上司は「そこは今後の課題ですね」とお茶を濁し、同僚は気まずそうに目線を落とすという気まずいやつ。
当然、こちらとしては、波風を立てたいわけではありません。
ただ、仕事を前に進めたいという前向きな思いとは裏腹に、このまま進めたら、あとで必ず詰まるという確信。
だから、今のうちに言っておかねば!
そう思って口にしただけなのに、なぜか評価にはつながらない。
むしろ、気づけば「理屈っぽい人」「扱いづらい人」「空気を読まない人」のような位置に置かれてしまう始末だったり?
これは、なかなか苦い経験です。
しかも厄介なのは、本人の能力が低いから起きているとは限らないことです。
むしろ、よく考えて実態が見えている人ほど、こういう場面にぶつかることがあります。
では、なぜ正しいことを言える人が、組織の中で孤立してしまうのでしょうか。
私はここに、「正しいことを考える力」と「正しさを組織の中で動かす力」の違いがあると思っています。
ロジックで勝っても、組織は動かないことがある
仕事の世界では、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングという言葉がよく使われます。
ただ、現場ではこの2つがかなり混同されているんですよね。
ロジカル・シンキングは、筋道を立てて考える力です。
主張があり、根拠があり、因果関係があり、矛盾が少ない。
これはもちろん大切です。
ロジックが破綻している提案は、どれだけ熱量があっても相手にされません。
ただ、ロジックだけで仕事が動くなら、多くの組織はもっと簡単に変わっているはずなのに、現実にはそうなりません。
なぜなら、組織はロジックだけでできていないからです。
そこには人がいます。
人には感情があります。
守りたい立場があります。
過去の自分の判断を否定されたくない気持ちがあります。
できれば責任を負いたくないという保身もあります。
ここを見ないまま正論を出すと、内容としては正しくても、相手には「責められた」「恥をかかされた」「立場を奪われる」と届いてしまうことがあります。
本当は、問題を解決したかっただけなんですけどね。
ここで生きてくるのが、クリティカル・シンキングです。
私は前職で経営大学院に転職した際に、はじめに学ぶのがこのクリティカル・シンキングです。
そのなかでもスッと腑に落ちたのは、これは相手の矛盾を突く技術ではなく、自分自身の前提も疑いながら、本当に問うべきことを見つけ、現実が動くところまで考え続ける力という捉え方です。
「自分は正しい」と思った瞬間に、思考が止まっていないか。
「この人たちはわかっていない」と思った瞬間に、相手の事情を見落としていないか。
「合理的に考えればこうです」と言いながら、実は自分の苛立ちを正論で包んでいないか。
少し嫌な問いですよね…。
でも、ここを通らないと、正しさはすぐに“武器”になってしまいます。
そして正しさを武器にした瞬間、相手は中身ではなく、こちらの攻撃性を落ち度として評価し始めるのです。
正しい提案が通らない理由は、内容の良し悪しだけではありません
もちろん、すべてを「言い方の問題」にしてしまうのも違います。
それはそれで、正しい問題提起をした人に我慢を押しつけるだけの、いじめを正当化する理論に成り下がります。
だって明らかにおかしい組織はありますよね?
筋の通らない決裁もあります。
責任を取るべき人が取らず、現場だけが疲れていくこともあります。
誰もが薄々わかっている問題を口にした瞬間、その人だけが煙たがられることは日々あらゆる組織で実際に起こっているでしょう。
ただ、それでも組織の中では、正しいことを見抜いただけでは評価につながりません。
多くの場合、評価されるのは、その正しさを「相手が受け取れる形」に変え、「実際に動ける形」に落とし、「成果に近づけた人」です。
ここが、本当に難しいところなんですよね。
たとえば、ある提案が正しいとします。
でも、その提案を通すことで、誰かの過去の判断が否定される。
別の誰かの仕事が増える。
責任の所在が曖昧なまま、失敗したときだけ現場に負担が落ちる。
成功しても誰の手柄になるかわからない。
こうなると、提案の中身が正しくても、組織は動きません。
仕事は、答案用紙ではないですし、正解を書けば丸がつく世界でもありません。
正解に近いものを、泥の中から探し出して持ち上げて、関係者が触れる温度まで下げて、ようやく少しだけ動き始めたり?それでも動き始めなかったりします。
その面倒な工程まで引き受けられるかどうか。
ここに、正しいのに評価されにくい人と、正しさを成果に変えられる人の差が出てくるのだと思います。
組織を動かすとは、見えない変数を読み続けることです
正しい提案を出す。
根拠もある。
相手の事情も考えた。
言い方にも気をつけた。
では、それで組織は動くのか。
残念ながら、それでも簡単には動きません。
ここから先は、頭の中だけで完結する思考法ではなく、思考と行動を何度も往復する泥臭い作業になります。
誰に先に話すのか。
どの順番で味方を増やすのか。
どの会議で言うのか。
資料にどこまで書き、どこから先は口頭にするのか。
相手が逃げ道を失わないように、どんな余白を残すのか。
自分の主張はあらゆる反証にも備えられているか。
これらは文字や言葉だけではありません。
声の温度。
表情。
沈黙の長さ。
あえてその場で詰めない判断。
あとから個別に渡す一言。
そういう、資料には残らないものまで含めて、組織は少しずつ動きます。
しかも、一手を打った瞬間に、状況はまた変わります。
味方だと思っていた人が急に引くこともあれば、反対すると思っていた人が、意外なところで助けてくれることもあります。
人事異動、予算、上層部の機嫌、別案件の炎上。
こちらが制御できないものまで、次々に混ざってきます。
一手を打てば、未来が枝分かれする。
その枝分かれした先で、また考え直す。
そして、もう一度動く。
組織を動かすとは、そういう作業なのだと思います。
正直、かなり面倒です。
でも、この面倒さを抜きにして「自分の方が正しいのに」と言い続けるだけでは、現実はなかなか変わりません。
正しさを持っている人ほど、この泥臭さを軽く見てはいけないのだと思います。
正義感は、途中で別の感情にすり替わることがあります
ここで、もう一つ怖いことがあります。
正しいことを考えられる人ほど、理不尽な組織に対して強い怒りを持つ機会が生じます。
それ自体は、悪いことではありませんし、おかしいものをおかしいと思える感覚は大切です。
むしろ、私は理不尽に慣れすぎる方がよっぽど怖いと考えいる側です。
ただ、その怒りが長く続くと、少しずつ目的が変わってしまうことがあります。
最初は、組織を良くしたかった。
仕事を前に進めたかった。
現場が無駄に傷つかないようにしたかった。
それなのに、いつの間にか、相手を打ち負かすことが目的になってしまう。
「あの人の矛盾を暴いてやりたい」
「今度こそ逃げられないようにしたい」
「自分が正しかったと証明したい」
この感情は、正しさの顔をしているからこそ、かなり危険なんですよね。
本人としては、正義のために戦っているつもりです。
でも、心の奥では、相手を潰したい気持ちが膨らんでいる。
こうなると、判断の精度が落ちます。
相手の弱点ばかり見えるようになり、自分の危うさが見えなくなります。
勝つための材料は集められるかもしれません。
でも、勝った後の自分の居場所や、周囲に残るしこりまでは見えにくくなります。
私は、これを「ミツバチの一撃」に近いものだと思っています。
ミツバチは外敵を刺すと、自分も致命傷を負い、息絶えます。
相手に一撃を与えられたとしても、自分も無傷ではいられない。
組織の中にも、これに近い場面があります。
なので、心づもりとしては、絶対に負けてはいけないけれども、相手を完全に打ちのめしてはいけないということです。
なぜなら、その問題のある人を見過ごしてきた周囲の構造まで一緒に表に出てしまうからです。
悪い人を一人倒せば終わるほど、組織は単純ではありません。
その人を放置してきた人がいる。
知っていて黙っていた人がいる。
自分に火の粉が飛ばないように、距離を取っていた人がいる。
そこまで暴き出してしまうと、正しいことをしたはずの人が、なぜか煙たがられることがあります。
これって本当に理不尽ですよね。
でも、たしかに起こり得ます。
だからこそ、正しいと確信している時ほど、自分の怒りを疑わなければいけないことに気付いたのは、私が26歳の頃でした。
見切りは逃げではなく、自分を腐らせないための判断です
では、どうすればいいのか?
まずは考え抜く。
伝え方を整える。
相手の事情も見る。
味方を増やす。
タイミングを選ぶ。
一手を打った後の変化にも対応する。
そこまでやっても、動かない組織はあります。
その場合、原因はもう自分だけではありません。
決裁権者の保身。
責任を避ける文化。
失敗を認められない空気。
個人の欲求が、組織の目的より上に置かれている状態。
そういうものが深く入り込んでいる場所では、誠実な思考と行動だけでは変えられないことがあります。
だから、最初から決めておいた方がいいのが、「ここまでやって変わらなければ、この場所を離れる」という線引きまでを計画に入れることです。
これは、逃げではありません。
むしろ、自分が負の感情に染まり切らないための術です。
真面目な人ほど、最後まで自分の努力不足だと思ってしまいます。
もっと上手く言えばよかった。
もっと準備すればよかった。
もっと味方を増やせばよかった。
もっと耐えれば、いつか変わったかもしれない。
もちろん、そう問い直す姿勢は必要です。
でも、終わりのない問い直しは、人を壊します。
変わらない場所で戦い続けると、最初は正義感だったものが、だんだん恨みに変わっていきます。
仕事を良くしたかったはずなのに、誰かを負かすことばかり考えるようになります。
その前に、離れる。
これは敗北ではありません。
自分の思考を、次の場所で使える形のまま守る判断です。
私がその経営大学院を早期に離職し、独立した背景もまさにこの条件が見事に揃ったからです。
会社は本当に素晴らしい理念を掲げ、そろっている人材も本当に素敵な人たちで満たされている。
けれども、あてがわれた組織で自分ではどうしようもない不正やハラスメントを避けられないときは、疲労困憊する前にいくらでもある次のカードを引く。
こんな具合でしょうか。
正しさを捨てずに、持ち出せる人は強い
組織の中で報われなかった経験は、簡単には消えません。
正しい提案が流された。
言うべきことを言っただけなのに浮いた。
誰も助けてくれない空気を感じた。
そういう経験は、身体に残ります。
ただ、その経験そのものまで捨てる必要はなく、むしろそこにはかなり大きな学びがあります。
ロジックだけでは人は動かないこと。
正論は、ときに相手の面子を傷つけること。
会議で沈黙が生まれるのには理由があること。
正しい提案が、誰かの不都合になる瞬間があること。
これは、本を読んだだけではなかなか身につかないんですよね。
苦いですが、実務の中でしか得られない知恵です。
ただし、持ち出すものを間違えてはいけません。
恨みや復讐心を持ち出すのでもありません。
「どうせ組織なんて変わらない」という諦めを持ち出すのでもありません。
持ち出すべきなのは、変数に備える力です。
ロジックだけでは足りない。
感情だけでも足りない。
根回しだけでも足りない。
権力に合わせるだけでは、自分が失われる。
では、この一手をどう動くのか?
その問いを持ったまま次の場所に行ける人は、強いです。
正しい人が、自分を壊さないために
正しいことを言える人は、貴重です。
誰もが空気を読んで黙る人が多い中で、問題に気づき、言葉にできる人は本当に必要です。
そんなことは、「裸の王様」の物語を知る私たちの誰もが知っていることです。
ただ、その正しさがいつも報われるとは限りません。
正しい問いが、早すぎることがあります。
その組織に、まだ受け取る力がないこともあります。
あるいは、自分の届け方に、まだ磨ける余地があることもあります。
大切なのは、自分を過信しすぎず、否定もしすぎないことです。
「自分だけが正しい」と思えば、孤立します。
「自分が全部間違っていた」と思えば、折れてしまいます。
その間に立ってみましょう。
私は正しい部分もあった。
でも、現実を動かすには足りない部分もあった。
それでも、この経験は次に使える。
そう考えられる人は、時間が経つほど強くなります。
仕事で本当に怖いのは、間違えることだけではないと思います。
正しさに酔って、自分を疑えなくなること。
あるいは、理不尽に慣れすぎて、正しさそのものを捨ててしまうこと。
そのどちらにも行かないために、考え続けなければなりません。
これは本当に疲れる道です。
でも、きっとその道を歩ける人が、最後には組織を動かす側に回るのだと思います。
正しいことを言う人で終わらない。
正しさを、相手が受け取れる形にする。
それでも動かない場所なら、自分が壊れる前に離れる。
そして、次の場所で、もう少し静かに、もう少し強く使う。
たぶん、それがあなたの正しさを腐らせない方法です。
私も、会議室の空気が冷やした瞬間に、内心ではマグマが煮えたぎることが幾度とありました。
しかし、その一拍を飲み込んで、次にどんな問いを設けて次なる一手に繋げるのか。
結局、これができる人はどんなところでもやっていけるのだと確信しています。
あなたの正しさが報われることを切に願っています。
まさたかでした。
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