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あのとき貰った一言で、埋もれた光が甦った

「主観」と「感性」というものについて、昔からよく考える。

「面白い」とか「美味しい」とか「きれいだ」と感じる、それである。
もちろん「つらい」とか「さびしい」といった負の方向もある。

自分の中の視点や感情といった主観と、それによる心の動きや表現力である感性。
目に見え耳に聞こえ肌に触れることで色々なことを感じ、そこから言語化したり行動に移したりする。
だがそんな当たり前と思われることでも、素直に表現をすることがいささか難しかった。

幼少の頃、ある球団の野球帽がかっこいいと得意げに被っていても、周りに否定されると自分の感覚が間違えているのかと思った。好みに正しいとか誤りとかは無いはずなのに、自分の感情を封印してしまうのだ。

洋楽に目覚めた小学生のとき、自分より精通している友人に好みを揶揄されると、そこから好きなアーティストについて口に出せなくなった。感じること、意見や意思を表すことは自由だと思っていたが、そこには強者と弱者のような立ち位置があった。

思ったことがまかり通る側もあれば、衝突を避け引き隠す自分もいる。内に秘める自信の強さが優劣を決めるのか。主張や言葉遣いの巧みな方が正しい感覚を持つというのか。
決して自己肯定感が強いわけではない自分は、うかつなことは言ってはいけない、周りと歩調を合わせることが大切だと考えるようになっていた。自分を抑えるようになったのかもしれない。

だから隠れるように、誰も知らない自分の世界だけで、好きなもの、楽しいものは大切な存在として、ひっそりと呼吸をしていた。


世の中には成果や結果を数字に表すことができない分野がある。
例えば芸術の世界。絵画に現れる個性や演奏の良し悪しなどは、受け止める側の感受性も絡むし尺度に置き換えることはできない。
大工や染物師といった職人の技も、分かる人は分かるという世界でもあるし、完成度とか信頼といった数字ではない評価がそこにはある。

当然完成品として形になっていく過程には、各個人が持つ感覚や思考が大きく影響を及ぼす。

マイクや楽器などの音声を調整するミキサーという仕事にも、これに似たような要素が絡む。
経過と結果には人それぞれの個性が現れ、そこには各個人の好み趣向が絡みつく。極端な枠を逸脱しなければ正しいとか正しくないという評価は存在しない。どちらかというと方向性や狙いといった意思が結果に作用する。

自分がまだミキサーとして駆け出しだった頃、あるミキシング研修会に参加する機会があった。経験の浅い生徒を対象に、ミキシング技術を学ばせるという場である。生バンドのサウンドチェックから収録までの過程を経て、その結果を参加者みんなで聴き返し、講師が講評を加えるといった内容だった。

数十チャンネルの音をステレオ2チャンネルにまとめるだけなのに、その進め方や考え方、仕上がりは人によって全く異なる。まさに個性の表れ。感覚の違いがはっきりと表面化することになる。

講師の方は現役で活躍中のベテランで、明朗快活、丁寧で分かりやすい指導をされた。研修生はマイクアレンジから始まり音声信号の処理に集中を高める。そんな緊張感と好奇心が入り混じる中、何気ない会話の流れで、講師が自分にある一言をかけてくれた。

「あなたは感性でミキシングをしていますね」

別に褒めているわけでもなく、ただ客観的に特徴を言われただけだと思う。別の研修生には「理論でしている」と言っていた。本当に深い意味など無いと思うが、自分に向けられたこの「感性で」という言葉は、なぜか痛く胸に刺さったのだった。理詰めというものにあまり価値を見出さない自分にとって、この上ない嬉しい言葉だったのである。

「主観」というものを抑えがちな少年期からそれまでを過ごしてきたのだが、どこか知らず知らずのうちに「感じる」ことにこだわりを持ち、その感覚を感情に結びつける「感性」を大切にしていたのかもしれない。そんな内に秘めるものを周りに明かすことなど全く無かったのだが、この講師には自分というものをきちんと認められたような気がしたのだった。

そうなのだ。どんな主観や感性を持つかなんて、人それぞれなのだ。そしてそれは自由なのだ。それが個性に繋がり表現に結びつくのだ。

これからは堂々と主観を育て感性を磨いていこう。自分の主観を他人に押し付ける必要はない。ただ淡々と自分の中で育んでいけばそれで良いのだ。

心にそう整理がついてからは、お金の使い方にもこだわりが出てきた。車とかコレクションなどといった物質に投資するのではなく、観たり聴いたり旅行に出たりと内面に意識が向くようになっていた。一人、居酒屋で見ず知らずの人と会話を持つことにも意味を見出すようになった。

客観性や論理性ももちろん大切である。表現に結びつけることを目的とするつもりもない。でも無意識の中に感じる喜び、直感的に抱く違和感、自分が出会う度に感じる様々なもの、これらを失ってはいけないと思うのだ。主観や感性が無くなっては、それは人間ではないような気さえするのである。

「あなたは感性で動いている」と勝手に解釈したあの言葉。今でも一生の宝物になっている。これからもずっと胸の奥から離れることはないだろう。

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