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はじめはみんな「できない」から始まる

当たり前のことだけど、初めから「できる」人なんていない。そして完璧に「できる」ようになるなんて極々まれで、人は日々変化し成長を続けていく。意外とこれ、なかなか忘れられていないだろうか。

生まれたときが最たるもので、世に出てきたときなんかは、泣くこと、目の前のものを見ること、息をすること、口にしたものを飲むこと、手に触れたモノを掴むこと、要するに動物としての本能くらいのことしかできない。

そして、愛情の濃淡の違いはあるにせよ、周りの色々な助けや教えやたわむれなどを貰いながら、地道に少しずつたくさんのことを身に着けていく。これは大方みんなに共通していると思って間違いないだろう。

そろばん塾に入門したての頃は1とか2といった簡単な数字を加えることしかできず、パチパチ・スラスラな周りの達人たちは異次元の世界にしか見えない。それが地道に続けていると、いつしか開平・開立なんかも覚えて段位にチャレンジしたりしている。

硬くて速い野球の球は恐怖心も相まって最初はキャッチボールすらままならず、ましてやバットに当てるなんて至難の業と感じたものだ。でも楽しみながらのめり込んだり大きな夢を持ったりして続けていると、それに携わっていない人との習熟度の具合は雲泥の差となっている。

70年代に大流行した「スペースインベーダー」ゲームが友達の中でも抜きん出てうまかった彼も、初めはあっけなく流れ弾にやられてすぐにゲームオーバーになったはずだ。財力に恵まれている者は繰り返しトライすることができ、いつしか一目置かれる存在に繋がったのだろう。

 

 

社会に出て仕事に就くようになると、先輩からの教えや伝達がそこからの成長に欠かせないものとなる。それまでの学生時代の過ごし方や持って生まれた器用さの違いも相まって、多少なりとも吸収力に差が出てきたりするが、長く職場に板ついている先輩方に比べたらほぼほぼ白紙に近い新人君たちは、上から教えを被りながら必然とその会社のカラーに染まっていくことになる。

入ったばかりの頃は社会人たるものが何なのかも解らず、仕事のいろはも把握していない。いわばゼロの状態だから、仕事がおぼつくことなくチームの手足となれないのは当然である。自分の中で少しでも上昇しようともがきながら、大半を上司の牽引で流れていくのはごく自然な形であろう。

一方教える側から見ると、きっと自分の持ち合わせているスキル全てを引き出しから出しているはずである。かわいい新人には早く成長をしてもらいたいし、同時に楽しさも覚えてほしいと思うのが一般的だろう。より経験を積んでおり知識も長けているのだから、若手に対してはプラスのベクトルが働くのは当然のことのように思われる。

しかしだ。教える側だって人間なんだから、日々成長過程の真ん中にいるのが現実であるわけで、その日に教えていた先輩は数年後にはそれから経過した分成長しているのが普通である。つまりそのときの先生は何年か経ってみて振り返ると未熟な面があったわけで、完璧な先達者ではなかったことになる。

人は生涯成長を続けていくのだから、これは仕方のないことなのだろう。だから教える側は自分が絶対正しいという立ち位置になるのではなく、ともに勉強していこう、経験上こういったアドバイスがある、といったスタンスが大切なのではと思うのである。

先輩だって入社したてのころは、電話の応対ひとつ満足にできなかったはずなのだから。

改めてつくづく思うのだが、厳しさの中において、仕事に楽しさを見つけ面白く携わっていくことを教えてくれる先輩、そしてそれを自ら実践してくれる上司が自分は好きだし、そんな人に巡り合えたら、それは本当に幸せなことである。


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