「大丈夫なはず」って、勝手に決めつけているのかも
「きっと誰かがなんとかしてくれるだろう」。
「たぶんそのままでも大丈夫なはずだ」。
水道の蛇口をひねればきれいな水が出る。
ネットで注文した品物は、指定した期日に運送業者が大切に家まで届けてくれる。
スーパーの生鮮食料品の品質や産地を疑ったことが無い。
いつも何気に過ごしている生活の中で、無意識に周りがきちんと動いていて、いろんなことがうまくいっているような感じがする。
そんな世の中が当たり前だと、日々生活の中で自分は勝手に思い込んでいる。
ほんとに日本は平和で良い国だ。
でも単純に全て信頼してしまって、はたして良いのだろうか。
◇◇
例えば、今日も商店街に買い物に出かけるとき。
歩道を歩いていくが、自動車ばかりではなく自転車にも気をつけている。
交差点では信号が青に変わるのを確認し、きちんと横断歩道を渡る。
バスは比較的すいていて、座れないもののゆったりとした空間を確保。
まず銀行のATMに立ち寄り、列に5分ほど並んで現金を補充する。
3件目の八百屋の店主の話しぶりについつい乗ってしまい、勧められた野菜を買い過ぎてしまう。
◇◇
いつもの何気ない午後のひとときである。
そしてこんな平和で穏やかな一連が、この国に住んでいるとあたりまえだと思うし、
特に不思議なことは無い。
でも、もしこんな平穏さが消えてしまったら・・・
家を出るときにはきちんとカギをかけたのだが、
そもそも窓ガラスなんて簡単に壊されるから、本当に空き巣なんか狙われたら全く防ぎようがない。
途中に広がる畑は、考えてみたら全てがオープンでセキュリティーなんてものはない。
盗みを企てられたら簡単にやられてしまうだろう。
歩道を歩いているし、青信号では歩行者を優先して車は止まることになっているけれど、
運転手が操作を誤ったり急病になったりしたら安全は保障されないのでは。
バスは乗客を無事目的地に送り届ける公共交通機関だから、安全確実に運行してくれるのは当然だろう。
しかし運転手も人間だから、絶対間違いがないとは言えない。
銀行は信用第一の金融機関なのだから、全てにおいて疑う余地はない。
でもシステムがトラブルを起こし振込や引き落としができなくなったら、いったいどうなるんだろう。
八百屋のおじさんは野菜に詳しいし、良い人であるはずだ。
でも鮮度をごまかされていたり口車に乗せられていたら、そのまま信じ切ってしまう。
侍のいる時代でもあるまいし、道を歩いていて突然切りつけられるなんて昔の話だ。
仮に目の前の人間が急に襲ってくるなんて考えていたら、想像しても切りがないし日常生活が成り立たなくなる。
◇◇
こうして考えてみると、普段の生活の中には無意識に周りを信頼し、身を委ねている物事が多いことに改めて気づく。
「信頼関係が一番」「信用をなくしてはいけない」など、世間では信じあうことが大切だといわれている。
そして確かにそれは、人と人との交わりには必要不可欠であるのは確かである。
◇◇
でもここ日本でも、そんな安全神話が危うくなっているような気がする。
闇バイトを利用した強盗団による老人宅の強盗殺人事件や、
白昼堂々の宝石店の強盗事件などは記憶に新しい。
農作物が夜中に何者かに盗まれる姿が防犯カメラに証拠として残り、畑のモラルが崩れている。
児童たちがきちんと歩道を歩いていても、そこに暴走車が突進してくる。
国道沿いの民家やコンビニなど屋内にいても、アクセルとブレーキを踏み間違えた車が寝耳に水のごとく突っ込んでくる。
労働過多や急病によって運転手は意識を失い、暴走したバスが路外に転落するなんてニュースも実際にあった。
オレオレに始まる特殊詐欺はあとを絶たず、対策をしてもその更に上を行く犯罪が生まれる。いたちごっこは今でも繰り返され、それが終わる見通しは立たない。
電気がなくなるだけで、生活ホットラインのほとんどが機能しなくなる。北海道のブラックアウトがそのよい例である。
「誰でもいいから殺したかった」なんて身勝手な言い分で、群衆に対し無差別に暴れまわるといった事件も一度や二度ではない。
◇◇
つまりは、日常生活の中には、トラブルや事件・事故、そして地震や天候による災害など、危険や災いが随分と潜んでいるということが断言できる。
そしてそれは、不意に、忘れた頃に、全く油断したタイミングでやって来る。
我々はいったいどうしたら良いのだろうか。
天災には、有事に備えて備蓄や避難方法などを準備しておく。
事故になるべくあわないよう、地に足を付けた行動をとるようにする。
人を信用することは大切だが、犯罪に巻き込まれないようきちんとした知見と判断を持つように心がける。
などなど色々考えるが、せいぜいこういったところか。
でも、同じ人間を信用するにしても、
犯行グループに騙されるのではなく善良な人々を信じること、
それを選択し判断できる確かな判断力を身につけたい。
そして不運な目にあったとしても、
取り乱したりうろたえたりすることなくどっしりと構えていられる、
大きくゆとりのある心を持っていたいものである。
