見出し画像

ようこそ!フォーチュンカフェへ 2nd☕第4話 運命の輪が回る夕暮れ ~グアテマラ×ブラジル~

派遣で働く女は、いつも“終わり”の気配に怯えていた。

契約が切れては次の仕事へ――そんな十数年を重ねてきた四十歳の冬。

ある夕暮れ、ふと立ち寄ったのは、小さな移動カフェ〈Fortune Café〉。

香り立つ珈琲と一枚の“ことばみくじ”が、忘れていた“自分の火”をそっと呼び覚ましてゆく。

これは、人生が静かに回りだす瞬間の物語。

十一月中旬の夕方。

朝倉美伊子は、首もとに巻いたストールをそっと握りしめながら歩いていた。
今の職場の契約は、来月末で一区切りのはずだが、延長の話は今日もなかった。

(また、終わりなのかな?)

ビル一階のドラッグストアのウィンドウには、クリスマス向けのコフレが並んでいた。
丁寧に並べられた化粧品たちが、白いライトのなかで宝石みたいに光っている。
ガラスに、ふと自分の顔が映り込む。

目の下のくま。
少しシミのできた肌。
昔より、笑っていない口もと。

(もう四十にもなって、何やってるんだろ、私。)

二十代の頃は、ハンバーガーショップでバイトをして、「接客、上手ですね」と言われたこともある。
アウトレットの駐車場で車を誘導したこともある。
ドラッグストアの品出し、コールセンター、寺の警備、短期の事務、工場のライン……。

それぞれの職場で、役に立つぐらいは働いてきたはずだ。
だが、契約が終わればすぐ次の仕事。
自分の中に「これ」と言えるものが残っている気がしない。
足もとが、ずっとふわふわしている。

ビル風が、ひゅう、と吹き抜けた。

ストールの端が持ち上がり、美伊子は手で押さえた。

そのときだった。小さな広場の端に白い車が見えた。
軽自動車より、さらにひとまわり小さい車体。
車体の側面で、若い男の人が、ミルク色に塗られた木の板を取り付けていた。

〈Fortune Café〉――

ターコイズブルーの文字が、風に揺れている。

(……カフェ?)

どこか、かわいらしい。
美伊子は引き寄せられた。

「いらっしゃいませ!」

カーゴの中から、明るい声が響いた。
ブラウンのエプロンの女性が、ふわりと笑う。
その横では、さっき看板を取りつけていた青年が、銀色の工具箱を足もとに置き、ねじを締め直している。

「ホットでよろしいですか?」

女性が問いかける。
屈託のない笑顔に引き込まれるように、美伊子は答えた。

「あ、はい。ホットで……。」

「かしこまりました。寒いですよね。」

ターコイズの瞳が、美伊子の顔を優しく見つめる。
その視線に気づき、美伊子は思わず目をそらし、看板を見た。

「今、この店の看板を作ってもらってるんです。」

美伊子の視線に気づいた女性が、横の青年に目を向ける。

「前に、名前がもっとわかりやすい方がいいかも……と思っていたら、修一さんが、こういうの作ってくれて。」

青年――修一と呼ばれた男は、そっと会釈して再び作業に戻った。
板の位置を数ミリ単位で調整してから、車に看板を掛けるフックを付ける。
ミルク色の板に、手描き風の文字。
角は丸く削られ、小さな車輪のような模様が添えられている。

「いいですね……。その車輪。不思議な感じがして。」

美伊子は自分でも理由が分からないまま、そう口にしていた。
女性が嬉しそうに微笑む。

「わたし、ここの店主のこと葉っていいます。」

人懐っこい笑顔で自己紹介すること葉につられて、

「美伊子です。」と答えてしまう。

「美伊子さんですね。よろしくお願いします。」

こと葉は豆の瓶に手を伸ばし、ふたを開けて香りを確かめる。
そして、二種類の豆をすくってハンドミルに入れた。

「美伊子さん。今日は、グアテマラとブラジルのブレンドです。どちらも“熱のある大地”で育った豆です。……胸の奥で、静かに眠っている火を起こしてくれる味。」

(眠っている火……。)

その言葉に、美伊子の心がすこし動いた。

ハンドミルを回す音が、乾いた空気に心地よく響く。
焙煎した豆の香りは、どこか甘くて力強い。
思わず深く吸い込みたくなるような熱があった。

挽きたての粉にお湯が落ちる。
ふわりと立ちのぼる香りは、柑橘のような明るさと、深く落ち着いた甘さをまぜ合わせたようだった。

紙コップに注がれた珈琲が、木目のカウンターの上に置かれる。

その瞬間、ビル風がふっと強くなった。
紙コップが、カタッ、と軽く揺れた。
縁から、ほんのわずかに液面が波立つ。

「あっ。」

思わず手が伸び、揺れた紙コップを指先でそっと押さえる。

「ありがとうございます、美伊子さん。ここ、意外と風が強くて。」

こと葉が少し苦笑いを浮かべる。

カウンターの向こうで、修一が工具箱を閉めた。
ふと視線を上げ、しばらく動かない。
風の動きを読むかのように、あたりを見回している。
何も言わない。
ただ、指先でカウンターの端を軽くなぞり、材料の厚みと位置を確かめるような仕草をした。

珈琲を口に含むと、最初にきりりとした酸味が広がった。
そのあとから、ゆっくりと甘さが追いかけてきて、喉を通ったあとにも温かい余韻が残る。

「……おいしい。」

「よかったです。」

こと葉はカウンター越しに、ほっとしたように笑った。

「美伊子さんは、お仕事の帰りですか?」

「はい。派遣で、事務の仕事を。……まあ、いつまでかは、わからないですけど。」

自分でも、少し自嘲気味な響きだとわかった。
こと葉は、否定も同情もせず、「そうなんですね」と頷くだけだった。

「これまで、いろんなお仕事をされてきましたか?」

「え?」

「なんとなく、そういうお顔の味がしたので。」

“顔の味”。

おかしな言い方だ。
でも、その言葉には不思議と納得させる響きがあった。

美伊子は、紙コップを両手で包みながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

ハンバーガーショップでのバイト。
大きなアウトレットの駐車場で早朝から誘導灯を振っていたこと。
スーパーのレジで、レジ打ちを早くするのに必死だったこと。
ドラッグストアでテスターを拭いたり並べたりしていたこと。
コールセンターでクレームの電話を受けて、帰り道に泣いていたこと。

「いろんな仕事をしてきたのに、どれも“ここだ”って思えなくて。頑張ってるつもりなんですけど……。」

言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
でもこと葉は責めるような顔をしなかった。

「しっくりこないって、大事なサインですよ。」

「サイン……?」

「美伊子さんは、“与えられた仕事”を上手にこなすこともできるだろうけど、きっと“人に笑顔を与える仕事”に興味があるんじゃないでしょうか。」

胸の奥が、そっと熱を帯びた。

(……そんなこと、考えたこともなかった。)

「さっき、美伊子さん、看板の車輪に気付いてくださっていました。あんな小さなことにもちゃんと気づける人は、きめ細かい方だなって。」

「車輪?」

「“運命の輪(Wheel of Fortune)”です。運命的な出来事、人生の転換点、大きな変化……そんな意味があるそうですよ。」

「……人生の転換点、大きな変化。」

その声は、自分でも驚くくらいかすれていた。

——あのとき、チークをのせた瞬間。
「似合ってるよ」と笑った友達の顔。
胸の奥に、静かに火が灯るのを感じていたのに。
あの気持ちを、私はずっと忘れていた。

(……人に笑顔を与える仕事。)

心の奥の熱が、珈琲で一気にあふれ出てきたような気がした。

「よろしければ――。」

こと葉が、小さな木箱を持ち上げた。
ふたを開けると、折りたたまれた紙片がたくさん入っている。

「“ことばみくじ”です。どなたかが、このフォーチュンカフェで一歩踏み出したときに残していった言葉。今の美伊子さんになら届くものがあるかもしれません。」

「おみくじ、ですか?」

「吉とか凶とかは書いてません。“ひとこと”だけ。」

木箱の中の紙片が、風に押されて、ふわりと揺れた。
一枚、紙が少し浮き上がる。

美伊子は、その紙をそっとつまみ上げた。
指先に、冷たい風が触れた気がした。

折り目をひらく。

紅いインクの文字が、そこにあった。

『あなたの手は、誰かの笑顔をつくる。
 それは、あなた自身を美しくする道。』

一行目を読んだところで、胸の奥がぎゅっと熱くなった。

“あなたの手”。

ハンバーガーを包む手。
誘導灯を握る手。
レジを打つ手。
箱を積み上げる手。
電話の受話器を握りしめる手。

そして、友だちの頬にそっとチークをのせた手。

(私の手が?)

二行目を読む。

“それは、あなた自身を美しくする道。”

ぼやけていた輪郭が、くっきりしていくような感覚があった。

自分をきれいにするのは、高い化粧品でも、若さでもない。
誰かの笑顔のために、自分の手を使うことなのかもしれない。

「何なの?これ。」

思わず声がこぼれた。
こと葉が、首をかしげる。

「すごい、刺さりました。」

目尻が少し熱くなる。
笑いながら、まばたきでごまかした。
胸の中で固まっていた何かが、少しずつ溶けていく。
張りつめていた糸が、緩んでいく。

(今からでも……。)

ずっと心の奥で憧れていた仕事。

BA(ビューティアドバイザー)。

今すぐなれるわけじゃないかもしれない。
でも、「無理」と言ってしまう前に、調べてみることならできる。
スクールの資料を取り寄せてみるとか、週末にカウンターを見に行ってみるとか。

小さな“勇気のひとしずく”なら、すぐにでも落とせる気がした。

コーヒーを飲み終え、紙コップをカウンターに置く。

「今日はありがとうございました。」

「こちらこそ。美伊子さん、どうぞお気をつけて。」

こと葉の声は、風の音に溶けるように柔らかだった。

美伊子は、広場を抜けていく道の途中にあるビルのガラスに、もう一度目をやった。

さっきと同じ場所。
なのに、映っている顔は、ほんの少しだけ、やわらかく見えた。
口もとが、かすかに上がっている。
目元に、力がこもる。

ポケットの中で、そっと折りたたんだ“ことばみくじ”が指先に触れた。

(……帰ったら、調べてみよ。)

そう思った瞬間、胸の奥で、小さな火が灯った。

十一月の風は相変わらず冷たい。
でも、その心の灯りは、不思議と消えそうになかった。

振り返ると、白い車がもうポツンと見えるぐらいの距離になっていた。
美伊子は、そっと頭を下げると、まっすぐ前を向いて歩きだした。

(続く)

#小説
#連載小説
#オリジナル小説
#ヒューマンドラマ
#人生の転機
#40代女性
#自分探し
#コーヒー
#カフェの物語
#フォーチュンカフェ

いいなと思ったら応援しよう!

一条 詩紋 いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 物語があなたの癒しになれば幸いです。 チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。