ようこそ!フォーチュンカフェへ 2nd☕第10話 帰還 ~エチオピア カッファ~
冷たい雨が、雪に変わった。
クリスマスも過ぎ、年も押し詰まった土曜日。
フォーチュンカフェ号は、「我が家」に戻ってきた。
カラン。
久しぶりに聞く、ドアの鐘の音。
「クロさん!ただいまかえりました。」
こと葉が嬉しそうに、クロさんに挨拶をする。
「帰ってきたか。」
クロさんは、こと葉と後ろにいる修一を見つめにやりと笑った。
「できたぜ、こと葉ちゃん。」
*
雨の音は、もうしなかった。
フォーチュンカフェの天井を見上げても、
以前のような染みはない。
バケツも、布も、もう必要なかった。
クロさん――橋内玄能(はしうちくろしげ)は、脚立をたたみ、工具箱に手を伸ばした。
チェックは終了したようだ。
「ほんとうに、助かりました。」
こと葉は、そう言って丁寧に頭を下げた。
ターコイズブルーの瞳には感謝がつまっていた。
「二ヶ月もの間、見てもらって……。おかげさまで、たくさんのよい出会いがありました。」
「仕事だからな。あたりめぇだ。」
クロさんは、ぶっきらぼうにそれだけ言って、工具箱のふたを閉めた。
*
店の中に、静かな時間が戻ってきた。
フォーチュンカフェ号の荷物を下ろす。
いつも使う道具を、定位置へ。
こと葉が、いつもの場所に立つとふっと空気が変わった。
「おつかれさまでした。二人とも珈琲でも飲みながらちょっと休んでください。」
こと葉は、湯を沸かし始めた。
修一も、クロさんの横に座る。
湯を沸かす音。
ポットから、細く湯が落ちる。
静けさがBGMとなり、時間がゆっくりと流れていった。
クロさんは何も言わない。
その沈黙が修一を待っていた。
修一も何か言いたそうだが、うまく言葉にできないようだ。
二人を見ていたこと葉が、珈琲を入れながらそっとつぶやく。
「クロさん。修一さんほんとにすごかったんですよ。」
そのまま言葉を次ぐ。
「私が珈琲を置きやすいように棚を作ってくれたり、風で珈琲が飛ばないようにしてくれたり……そうだ、子どもが座れる椅子なんかも作ってくれて、とっても使いやすかったですよ。」
「そうか……。こと葉ちゃんが喜んでくれたのなら、まずはいいことだ。」
「だが、修一。おめぇは今回の旅で何を得た。それが聞きたい。」
「師匠……。」
クロさんの隣で、横顔を見ていた修一が意を決したかのように話し出す。
クロさんは前を向いたままだ。
「この二ヶ月、旅してて……」
修一は言葉を探すように、一度、視線を落とした。
「最初は、『こと葉さんが困っていそうなことを助ければいいだろう』って少し簡単に思っていたんです。」
うまくまとめられないまま、続ける。
「でも、違いました。」
前を見ていたクロさんが、はじめて修一の方を見た。
「こと葉さんが『困っていたこと』は、実はお客さんが『困っていたこと』だったんです。」
修一も、クロさんの方を見た。
「まず、相手のことを考える。それからさらに周囲に目を向ける。それが大事だってことに気付きました。」
そして、修一はどうしても伝えたかったことがあった。
「この前、字幕を作ってる人に会ったんです。」
「字幕って、テレビのか?」
「はい。」
「それが、どうしたんだ。」
「『全部の人に分かるようにしようとすると、かえって分からなくなることがある。』って。」
広場のヴィジョンと、流れていく字幕が頭に浮かぶ。
「だから、その人は……まず、一人を思い浮かべるって言ってました。」
声が、少しだけ震えた。
修一は息をそっと吸う。
どうしても、伝えたかったことが口から一気に出てきた。
「この人なら、どうだろうって。それで整えたら、結果的にほかの人にも届くことがあるって。」
修一は、息を吐いた。
「つまり、最初は、『こと葉さんのため』だったのが、次に『お客さんのため』、最後に『そこにいない誰かのため』に自分は何ができるかを考えてすることが大事なんじゃないかなって、思いがふくらんだんです。」
「……それが、自分がフォーチュンカフェ号に乗って学んだことだと思います。」
クロさんは、しばらく黙っていた。
それから、にやりと笑う。
「合格だ。」
修一は、思わず顔を上げた。
クロさんは、工具箱に手を置いたまま言う。
「型は、覚えるためにあるんだ。」
「守るためでも、縛るためでもねぇ。」
「外れていいと思えるようになったら、もう、型は役目を終える。」
少し上を向いたクロさんは、そっとつぶやいた。
「……修一。もう、一人でやっていけるぜ。」
評価ではない。
同じ大工として認める言葉だった。
修一は、一瞬言葉を失った。
そして、ゆっくりとうなずく。
「……はい。ありがとうございます!」
喜びの顔は、隠しきれなかった。
*
湯が沸く音が、静かに店に広がった。
こと葉は、豆を量り、ミルを回した。
軽い音。乾いた粒が、均一に砕けていく。
「今日は……これにしました。」
そう言って、こと葉は豆の袋を軽く示す。
「エチオピア・カッファ。最初に珈琲が飲まれたと言われる場所。」
クロさんは、それ以上聞かなかった。
修一も、うなずくだけだった。
湯が、細く落ちる。
ふわりと、甘い香りが立ち上がる。
どこか果実を思わせる、明るい匂いだ。
こと葉の手は、迷いがなかった。
急がず、ためらわず。
必要な分だけ、湯を落とす。
カップに注がれた珈琲は、澄んだ色をしている。
クロさんが、一口。
少しだけ間を置いて、息を吐いた。
「……いいじゃねぇか。新たな旅立ちの味って感じだぜ。」
それだけだった。
修一も、続いて飲む。
舌に触れた瞬間、軽さを感じた。
それでいて、芯がある。
「……なんか、しっかりと自分の足で立っている感じがします。」
思わず、そう言っていた。
こと葉は、何も言わずに微笑んだ。
祝杯の言葉ではない。
けれど、十分だった。
やがて、クロさんが立ち上がる。
「じゃあな。また何かあったら呼んでくれよ。修一でもいいぜ。」
クロさんは、修一を促しフォーチュンカフェを出る。
こと葉も笑顔で見送る。
それぞれの場所へ戻る時間だった。
カランカラン。
いつものように送り出すドアの鐘の音。
扉が閉まる音だけが、
店に残った。
*
夕方。
こと葉は、店の外に出て、看板を立て直した。
いつも通りの看板だった。
通りを歩く人の流れは、昼よりもゆっくりだ。
立ち止まる人はいない。
足音だけが、遠くへ流れていく。
しばらくして……。
看板の前に、足を止める女性。
扉は、まだ開いていない。
だが、こと葉は分かっているかのように、お湯を沸かし始めた。
フォーチュンカフェは、
また一杯目から始まろうとしていた。
(第2部・了)
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