【活動日誌#10】新構造主義とは/脱構築の彼岸に立つための思考技法
どうも、ニイガタコラボレーターズの増田でございます。
大変ご無沙汰している次第で。
年度もまたぎ、いろいろ活動をしている中で「ちゃんと活動報告をnoteで発信しろやお前コラ」みたいな声が色んな方面から聞こえてきつつ、結構業務が立て込んでて年度末年度初めは怒涛でなかなか筆が進まない体たらくでして。
で、ちょっとテキストライティングのリハビリ的にちょっと思考法というか哲学っぽいというか考え方というかそんな感じの文系民がキャンキャン言って喜ぶような文章を綴ろうと思います。物好きついてこい。
そんなこんなで今までと全然トーン違いますしグリーン・ツーリズムと無関係なことも甚だしいのですが企画職としてまあ普段こんなこと考えてますよってからに(無駄に間違った関西弁)。
で。
突然ですが「なんでこうなるの?」って思ったこと、ありますか?
なになになに、いきなりどうした、とうとうアレになったかとか思わないで。
正確に言うと「この出来事って、そもそもどういう“構造”で成立してるんだろう?」って考えたことありますか?という感じです。
僕ずっと昔から、こういう感覚を持っているタイプで、なにか物事に違和感を抱くとまず構造を参照しにいくというムーブに出るというクセがありまして。
「みんなが当たり前だと思ってること」に対する違和感
たとえば、学校のルール。
僕は小学生のときから、「なぜ男子は坊主じゃないとダメなのか?」とか、「どうして赤白帽をかぶることが必須なんだろう?」とか、すごく気になっていました。
で、それを先生に聞くと「そういう決まりだから」って言われてしまう。
うーん、納得いかねっす。
決まりだから守る、じゃなくて、なぜその決まりがあるのかを説明してほしい。
それが正しいなら、ちゃんと構造として納得できるはずなんですよね。
この感覚は、たぶん大人になってからもずっと残っていて、何かがおかしいと感じると、それが起きている“仕組み”を解明したくなります。
構造を読み、構造を書き換える
僕にとって「考える」という行為は、目の前の問題をなんとかするというよりも「そもそもそれってどういう構造で動いてるのよ」っていう設計視点の確認っていう側面が強い気がして。
で、構造を理解したら、必要に応じて再設計します。
構造物1個1個のオブジェクト(言葉だったり概念だったり要素だったり)を変えたり、前提を入れ替えたり、あるいは丸ごと削ったり。
ちょっと極端な例ですが、僕の中では「構造の見直し」は掃除に近い感覚です。
なんか部屋がごちゃごちゃしてきたな、と思ったら、一回全部モノを出して、要るものと要らないものを仕分けして、また気持ちよく配置し直す。
それと同じように、「このルール、そもそも何のためにあったんだっけ?」とか、「この言葉、何を伝えるためのものだったんだっけ?」って確認し直すんです。
哲学って途中で終わっちゃうよね問題
構造とか前提とかを疑うって意味では、いわゆる構造主義とかポスト構造主義とかの哲学と似てる部分もあるのかなーとも思っています。
たとえばフーコーとかレヴィ=ストロースとかラカンとか。「目に見える出来事の裏側に、社会や文化が作ってきた“構造”があるよね」って話をしていたりします。これが構造主義ね。
で、ポスト構造主義になると「その構造すら幻想なんじゃね?」みたいな話になって、解体・脱構築のフェーズに入っていくという。
で、ここ、めっちゃくちゃ面白いです。
「個人の自由意志って、ほんとはないかもよ?」とか「言葉って伝わってるようで伝わってないよね」みたいな話、大好きです。
ただ、脱構築っていうのコンセプトにシビれつつ、僕がずっと思っていたのは、
で、壊したあとはどうすんのよショーミな話
ということなんですよね。
新構造主義という考え方
そんなこんなで僕が提案したいのが「新構造主義(Neo-Structuralism)」という視点です。提案したいというかそんな感じのフレーミングで自分ずっと思考してきたなというところを改めて言語化したという感じ。いや、なんなら今の流行りに乗って「シン・構造主義」って書きたい。
これは「構造を疑って終わりじゃなく、再設計して現実に実装する」という考え方というか。ここまでやって初めて、“思考”って使い物になるんじゃないかなと思ってます。
いや、なんかそもそも論とかで前提のちゃぶ台をひっくり返してドヤ顔しつつ会議をひっっちゃかめっちゃかにかき乱して話がまとまらずに「じゃ、ま、そんな感じで」みたいにヌルッと終わってなんだったんだ今の時間、みたいな会議ってよくありますよね。それが僕が脱構築に抱いていたモヤっと感。で、そもそもさあとか言いつつ、結局のところじゃあ、どうすんのよと。
新構造主義的な思考ステップ
そんなわけで、僕の中では、こんなプロセスでいつも考えています。
ちょいそれっぽくかっこよくまとめてみました。
たぶん僕の身近にいる人は「あー確かに増田ってこんな感じの考え方で話を進めていくよなー」って納得感あるんじゃないかと思います。
Disframing(フレームを外す)
→「なんでそういう前提になってんの?」と疑う(というか確認したい)Extraction(構造の抽出)
→ 「何が要素として含まれていて、それぞれがどういう文脈でどういう強度でなんのファクターを媒介としてどうつながってるか?」みたいなことを徹底的に腹落ちしたいReframing(意味の再定義)
→ 新しい文脈で言葉や行動やオブジェクトの意味や関係や枠組みを整理し直すRecontextualization(文脈の接続)
→ 異なる領域や人に翻訳可能な形で再構成するImplementation(実装)
→ それを社会・ビジネス・教育などの“現実”の施策やらなんやらに落としこんで実装していく(この実装が大事)
リコンテクスチャライゼーションってかっこいいっしょ?聖闘士星矢の技みたいで。
たとえば「関係人口」って言葉が気になる
最近よく使われる言葉で、「関係人口」ってありますよね。
地方自治体が「関係人口を増やしましょう!」みたいに言うやつです。
なんとなく良さそうなんですが、僕はちょこっと違和感があって。
たとえば、
“人口”ってついてるけど、数の話?それとも関係の質の話?
そもそも“関係”って、何をもってそう言ってるの?
イベントで1回来た人も“関係人口”なの?それって意味あるの?
みたいに思ってしまうんです。
で、僕はそれを「関係構造のフレームで見直そう」と考えました。
単に人を呼ぶんじゃなくて、“価値のやりとりが成立する構造”としての関係”に着目する。
そこから「関係人口ROI(投資対効果)」という考え方や、自治体内に「関係人口戦略室」を作るみたいな提案にまでつなげていったり。シンプルなKGI/KPIもいいんだけどそれらはひとつのアンカーにすぎず、そのKGI/KPIが符牒として周囲に展開している曼荼羅みたいな構造体の総体をデザインして実装してその形を描き切ることがゴールっていうイメージかな。これ伝わるのか?あれです、エヴァのATフィールドの中心の「キィィィィン!」ってなっている部分がKGI/KPIで、それよりもだいじなのが展開されているATフィールド全体の位相空間のデザインそのものだと。わかるかな、わっかんねえだろうなー。おれもわかんねえもん。
意味を再設計できる人が、これから必要とされる
そんなこんなでこれからの時代って、正解がないことが増えてくると思うんですよね。っていうか今もだいぶそんな感じ。今ある制度とか仕組みって、時代にそぐわなくなっていくし、価値観もどんどん変わる。
そんなときに求められるのが、「目の前の情報に飲み込まれず、自分の軸で意味を再構築できる世界観」なんじゃないかなと思ったりしています。
つまり、思考の美観の軸を持ちつつも整理整頓ができて「この問題の構造はこうなっていて、こう変えればもっとよくなる」って言えるって感じ。
これって、ビジネスでも教育でも人間関係でも、全部に使えるスキルなんじゃないかなと思ったり。
まとめ:構造は、創れる
最後にまとめると、新構造主義とは、
構造を疑う
解体する
意味を再定義する
他の文脈と接続する
そして、実装する
という一連の“思考→設計→実行”のプロセスってことで。
壊すだけじゃない。
読み解くだけでもない。
自分の文脈で、もう一度世界を設計し直す。
それが、これからの知性のカタチなんじゃないかなとかぼんやり思っています。言ってることはめちゃくちゃ当たり前じゃないかって思いつつ、なんていうか、考えた上でその考えを世界や社会に実装していく、そういうところまで落とし込んでようやく思考に意味があるんじゃないかなーと。考えるのはもちろん大好きなんですが、その考えがカタチになるのって一層ワクワクしません?
おまけ:こんな人におすすめです
「いまの常識がなんかヌルヌルして気持ち悪い」と思っている方
「もっと根本的に考えたいけど、どうしたらいいかわからない」方
「哲学好きだけど、現実との接続点が見つからない」方
「自分の事業や活動に、指向性を持たせたい」方
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回は、「“違和感”をどう扱うか」というテーマで書いたりしても面白いんじゃないかな(書き手として面白いという意味ですが)とか思っています。
違和感こそ、再構築の入り口ってことで。
それではまた。
あ、冒頭の画像は全然関係なく、一緒に山を走っていたらブラジルのデカい石像みたいになったSくん。まじで意味なし。生きるの楽しい。
