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反緊縮カルトをあえて応援して、日本を財政破綻に追い込もう!

※前にも似たようなエントリーは何本も書いているが書きたくなったから欠いた。反省はしていない。

このnoteの読者なら知っていると思うが、私は緊縮財政派である。無駄遣いをなくして、国の借金をできるだけ小さくしていきたいと考えている。
しかしその真逆にいるのがいわゆる反緊縮派(放蕩財政派)である。連中は金をばらまけば万病を癒すと本気で信じてる頭のおかしい連中である。しかし、最近(正確に言うともう少し前から)、私は反緊縮カルトの連中を確信犯的に応援することにした。それはなぜか? 過去のエントリーでも書いたことだが、もう日本の財政はどんどんのどん詰まりで、真っ当な方法で莫大な政府債務を返済できる見込みは存在していない。だったらとっとまだ少しでも余力が残っているうちに一度崩壊させて、残った余力でできるだけ早く立ち上がったほうがいいと考えているからだ。

 さて、振り返って現在(2025年7月24日)は、先の参議院選挙で敗北し衆参両院で過半数を割った初の総理となった石破茂内閣総理大臣が辞める・やめないの押し問答を繰り広げている状態にある。緊縮派の自分なら本来は石破さんの続投を望むはずである。しかし上で述べた通り、日本の財政はもはやにっちもさっちもいかない状態にあり、もはや何をやっても手遅れである。最善が取れないなら次善を取るべきだろう。つまり早くアベノミクスの精神的な後継者であり「いま(金利を)上げるのはアホ」などと抜かす積極財政派(反緊縮カルト・放蕩財政派)の高市早苗を総理総裁に押し上げて、高市総理と自民党にこの国の財政をぶっ壊させ、次のステージに進ませるほうが良いと考えるようになった。このまま何十年も真綿で首を締め付けられるようなインフレによる経済苦に喘ぐくらいなら、明治維新や敗戦後のような一時的には痛いが、その後それをバネにして復活する道の方が後遺症は少ないと判断したからだ。

だから私はは高市や国民民主党・れいわ新選組見たいなバラマキ政党のことをある意味応援してる。「戦後」という時代に終止符を打ってくれる存在になりうるから。苦しみながら生きるより、一度死んで転生したほうがずっといい。
今の社会をちょっとづつ変えていくのにくれべれば、まっさらな状態からもう一度国を作るほうが遥かに容易い。維新後も敗戦後もそうだったはずだ。斬新的な改革なんて悠長な事やってたら、日本の復興は遥かに遅かっただろうことは想像に固くない。

55年体制、あるいは冷静やバブル崩壊のあと30年以上改革を行って社会を変えるチャンスはいくらでもあった。新進党への政権交代、小泉内閣の登場、民主党への政権交代など実際そういう運動が盛り上がった時期もあった。
だが強固な既得権益層に遮られて結果として失敗した。これから斬新的な改革で世の中を改めろとか言ってるのははっきり言って愚か者だ。バブル崩壊以降一世代分以上の時間があったのに、根本的な部分で世の中を変えられなかったのが現在の日本の体たらくである。もはや日本人お好みの「ちょっとづつ変えていく」という手段が取れる段階はとうの昔にタイムリミットが過ぎた。あとはこのまま何もしない・あるいは小手先の改革もどきをやりながら静かにくちていくか、あるいは腹を決めて明治維新や戦後のような大改革を苦しみながらも行うかの二者択一しか無い。

先ごろ、十数年ぶりに日本の長期国債(10年債)の金利が1.6%につけたそうである。円もアベノミクス以前は一ドル100円ちょっとだったのに、いやま140円台が当たり前。もうすぐ、この国の財政は崩れる。そのきっかけは普通にヘッジファンドが「日本の財政はもう持たない」と判断し空売りを仕掛けるものによるのかもしれないし、台湾有事や南海トラフ地震などの物理的破壊が起こったその随伴現象としておこるかもしれないし、それらの複合型かもしれないし、全く違うところからやってくるのかもしれない。だが間違いないのは「審判」の日は近いということだ。各自自衛に務められたほうがいい。いざというときは誰も守ってくれないよ。備えるだけならまだほんのちょっとだけ時間があるから、現実から目を背けてる暇があるなら少しでもいいから備えをしろ。いざというときに泣きを見たくなけりゃ備えをしろ。


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