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「破綻による再生」。この道しかない。

いまの日本を覆う閉塞感、そして先行きの見えない不安。その根底には、もはや小手先の「改革」ではどうにもならないという、国民的な諦観があるのではないか。参議院選挙が近づく中、与党が過半数を失い、政権運営のために国民民主党との連携が不可避となるシナリオが現実味を帯びてきている(もしかしたら連立相手は維新かもしれないし、大穴で立憲かもしれないっが、ここでは国民と組む当前提で話を進めていく)。しかし、その先に待つのは「財政バラマキ路線」の加速、そして財政の信認が決定的に失われる未来である。

バラマキ政治の行き着く先

現代日本の政治は「バラマキ競争」の色彩を強めている。とりわけ国民民主党は、現金給付、減税、子育て支援、最低賃金引き上げなど、財政出動による国民生活の底上げを主張している。自民・公明が参議院で過半数割れとなれば、政権の延命や法案成立のために国民民主の協力が不可欠となる。
このバーターによって、国民民主の主張が予算編成や経済対策に組み込まれる可能性は高い。結果、政府支出は雪だるま式に膨張し、財政規律は形骸化する。これまで「一億総バラマキ」政策で何とか乗り切ってきた日本だが、もはやその余力はほとんど残されていない。さらに敗戦の責任をとって石破内閣が総辞職し、次なる総裁に高市早苗が就任したらさらに危機に拍車がかかる。高市は言わずとしれたアベノミクスの正当なる後継者で「師匠(安倍晋三)」の後を次ぐような政策を打ち出してくる可能性がある。もしそうなれば、より一層我が国の財政は厳しさを増すことになるだおる。

日銀が国債の半分近くを抱え込み、事実上の財政ファイナンスが常態化した今、「国債の増発でバラマキ」という安易な選択が、どれほど危ういかを理解していない政治家はいないはずだ(高市など一部を除く)。それでも、目先の人気と選挙を優先し、「ツケは未来に先送り」する。この構図は、太平洋戦争末期の「戦線拡大」と同じ自己欺瞞を想起させる。

危機の連鎖と財政余力の喪失

仮にこうした「バラマキ政治」が常態化したまま、大地震や台湾有事といった国家的危機が襲えば、日本は財政余力を完全に失う。歴史が証明している通り、未曾有の災害や戦争の際、国家は「無い袖を振り切ってでも」巨額の資金を投じざるを得ない。その時、すでに財政の体力を使い果たし、国債発行も困難になった国家には、もはや打つ手が残されていない。

金利の急騰、円相場の暴落、信用不安。外資が一斉に日本から資金を引き揚げる「日本売り」の雪崩が始まれば、国民生活も、金融システムも、あっという間に崩壊する。そうしたシナリオを想像するだけで背筋が寒くなるが、現実はすでに「ギリギリの綱渡り」の上にある。にもかかわらず、政権も国民も「今だけ、カネだけ、票だけ」に目を奪われ、破局への加速装置を踏み続けている。

破滅待望論のリアリズム

だが、この状況を「悲観」とだけ切り捨ててよいのだろうか。むしろ、ここまで来てしまった以上、「いっそ徹底的に破綻し、一度すべてをリセットするしか道はないのではないか」と考える声も現れている。いわゆる「破滅待望論」である。

日本の歴史は、平時の「抜本改革」がほぼ実現不可能であることを示してきた。明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、いずれも体制がどん詰まりに陥った末に、外部からの強制力(外圧や敗戦)で初めて大転換が実現した。平時には、権益構造や社会的慣性、現状維持バイアスが強く働き、どれほど危機が迫っていようとも本格的な改革は骨抜きになってしまう。それが日本社会の「病理」である。

創造的破壊――壊滅的なショックを契機に、ゼロベースから社会を再構築するという発想は、一見極論のようでいて、現実には最も確実なリセットの方法でもあった。焼け野原からの出発が、高度成長や民主化を生んだ。平時の漸進改革では、利害調整の泥沼に沈み、何一つ変わらなかったであろう。

一時の地獄か、緩慢な死か

いまの日本が直面している選択肢は、実のところ極めて残酷である。
一つは、「痛みを先送りし、緩慢に没落していく」道。すなわち、アルゼンチンのように、かつては先進国だったが今やハイパーインフレと政情不安に沈む“元・繁栄国”へと転落するシナリオである。

もう一つは、「意図的な破綻、あるいは未曾有のショックによる強制的なリセット」を経て、短期的な“地獄”を乗り越える道だ。これは無数の犠牲を伴うが、それでも再生への希望を残す唯一の選択肢かもしれない。

いま何も起こらなければ、我が国は静かに、しかし確実に「二度と立ち上がれない段階」に堕ちていく。現代日本の社会体制は、もはや斬新的な改革でどうにかなる段階を遥かに超えてしまった。ならば、あえて破局を受け入れ、その痛みの先に新しい社会を築くべきではないか――そう考える人が、着実に増えている。

犠牲と希望、その狭間で

もちろん、この道が正しい保証などどこにもない。一時的な混乱、生活苦、政治的・社会的な不安定、時には暴力や混乱すら想定せざるを得ない。だが、それでも「このままゆっくり死んでいく」よりは、未来への賭けに身を投じるほうが、まだマシなのではないか。そんな声が、現実主義者の間で日に日に強まっている。

創造的破壊による再生――歴史は、そうした痛みを通じてのみ、社会が本気で生まれ変わることを教えている。戦後日本の繁栄もまた、あの焼け野原と絶望の果てに生まれた。いま求められているのは、「今だけ、カネだけ、票だけ」の小手先政治を終わらせ、将来世代のために一度大きな犠牲を払う覚悟かもしれない。

最後に――
このまま何も起こらず、日本が「気がついたらアルゼンチン」になる未来と、激痛を伴ってでもやり直す未来、どちらが本当の地獄なのか。あなた自身の答えを、ぜひ考えてほしい。

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