「平等」の化けの皮が剥がれたドイツ。徴兵制復活が暴く、性別と世代をめぐる欺瞞の醜悪な構造。
はじめに――なぜこの問題に怒りを覚えるのか
2025年12月、ドイツ連邦議会は新兵役法を可決した。2026年1月から、18歳の男性全員にオンライン質問票への回答が義務づけられ、適性のある者は身体検査に召集される。志願者が足りなければ強制的な徴兵に移行する法的根拠も盛り込まれた。
対象は男性のみ。女性はすべてのステップが任意である。
この制度設計を知ったとき、筆者の中で長年くすぶっていた怒りが一気に噴き出した。「男女平等」を社会の根本原理として高らかに掲げてきたはずの現代ヨーロッパで、死ぬかもしれない場所に送られるかどうかが、本人には一切選択の余地がない「性別」という生得的属性で決まる。これのどこが平等なのか。
本稿は、ドイツの徴兵制をめぐる世論データを詳細に分析した上で、そこから浮かび上がる二つの欺瞞――「都合のいいときだけ平等を叫ぶ姿勢」と「自分が行かなくていい立場から賛成する無責任」――を徹底的に批判するものである。
第1章 データが語る不都合な真実
全体像:国民の6割が賛成、しかし「誰が行くか」で本音が割れる
複数の世論調査(ARD DeutschlandTrend 2025年7月、Ipsos 2025年7月、YouGov 2025年6月・8月、Forsa 2024年3月、MOTRA/ハンブルク大学 2024年6月、フライブルク大学 2026年2月)を横断的に見ると、ドイツ国民の約60〜73%が「ドイツにはもっと多くの兵士が必要だ」と答え、約54〜64%が徴兵制の復活に賛成している。
しかし、「あなた自身が武器をとって国を守るか」と問われると、明確に「はい」と答えたのはわずか16〜17%だった(YouGov 2025年8月)。つまり大多数は「誰かが行くべきだ、ただし自分以外の」と言っているに等しい。この欺瞞的構造を生み出している二大要因が、性別と年齢である。
性別:「男女平等」はどこへ消えたのか
Ipsos調査(2025年7月、n=1,000)は、回答者に「男性のみの徴兵」「男女平等の徴兵」「徴兵反対」の三択を提示した。結果は以下の通りである。
男性:男女平等に徴兵 55%、男性のみ徴兵 14%、反対 25%
女性:男女平等に徴兵 33%、男性のみ徴兵 23%、反対 38%
男性の過半数が「やるなら男女平等に」と答えたのに対し、女性でそう答えたのは3分の1にとどまった。そして女性の23%は「男性だけ行けばいい」と回答した。男性で「男性だけでいい」と答えたのは14%であるから、「男にだけに義務を負わせたい」という態度は、女の方が顕著に強いのである。
さらにForsa調査(2024年3月)では、18〜29歳の女性の68%が徴兵に反対している。同年齢の男性は52%が反対で、これも高いが、女性の反対率はそれを大きく上回る。まさに自分が対象になりうる状況で最も強く「嫌だ」と言っているのが、日頃「平等」を最も声高に主張してきた層と重なるのである。
もちろん、すべての女性がそうだと言うつもりはない。女性の33%は男女平等の徴兵を支持しているし、MOTRA研究では自発的な軍事訓練への関心を示した人のうち57.6%が女性だった。しかし、集団としての傾向は明白である。「権利の拡大は歓迎するが、命のリスクを伴う義務は男に押し付ける」――この態度が統計的に有意な割合で存在することを、データは冷酷に示している。
年齢:安全地帯から「行ってこい」と言う者たち
年齢による賛否の差は、性別以上に凄まじい。
18〜29歳:賛成 25〜52%、反対 40〜61%
50〜64歳:賛成 73〜85%
65歳以上:賛成 66〜78%
ARD DeutschlandTrend(2025年7月)では、50〜64歳の賛成率が85%に達した。この世代は自分が徴兵されることは絶対にない。彼らの多くは旧徴兵制時代に自らも兵役を経験しているかもしれないが、それは冷戦末期の比較的穏やかな環境での兵役であり、「ロシアがNATOの東翼を2029年までに攻撃しうる」と軍トップが警告する現在の状況とは質的に異なる。
しかも、「自分が武器をとって戦う」と答えたのは全世代でわずか16〜17%である。つまり85%が賛成と言いながら、その大半は自分が行くつもりなど毛頭ないのだ。他人の子どもや孫を戦場に送ることには賛成するが、自分は安全な場所から見ているだけ。これを無責任と呼ばずして、何と呼べばよいのか。
第2章 「生物学的差異」という詭弁
徴兵を男性に限定する論拠として最も頻繁に持ち出されるのが、「男性の方が身体的に強いから」という理屈である。ドイツ連邦行政裁判所は2006年、男性のみの徴兵は性差別ではないとする判決を下し、その根拠の一つとして「女性は育児・介護でより大きな負担を負っている」ことを挙げた。
この論法の欺瞞性を暴くために、一つの思考実験を提示したい。
「男性は身体が強い。だから国防の義務は男性が負うべきだ」――この論理が成立するならば、次の主張も同じ構造で成立するはずである。「女性は子どもを産める。だから出産の義務は女性が負うべきだ。少子化対策として全女性に出産を義務づける。」
後者を口にした瞬間、その人物は社会的に抹殺されるだろう。身体の自律(bodily autonomy)は最も基本的な人権であり、生物学的能力を根拠に国家が身体に関わる義務を一方的に課すことは、現代の人権概念と完全に矛盾するからである。
ところが前者――生物学的差異を根拠に、男性だけを死地に送る義務を課す――は、なぜか堂々とまかり通っている。この非対称性こそが欺瞞の核心である。 「生物学的特性を根拠に、本人の意思を無視して身体の自由を国家が剥奪する」という構造は両者で完全に同一であるのに、一方は絶対的タブーとされ、他方は「当然」とされる。この差を合理的に説明できる論理は存在しない。
付言すれば、現代の軍事はもはや腕力だけで戦う時代ではない。サイバー戦、電子戦、ドローン操作、情報分析、兵站管理――身体的な筋力差がほとんど意味を持たない領域は無数にある。「男の方が力が強い」という理屈は、仮に百歩譲って昔は一定の合理性があったとしても、21世紀の戦争においてはほぼ破綻している。
第3章 「空白世代」という構造的不正義
ドイツの徴兵制は2011年に停止された。そして2026年に復活した。この間の15年間に、ちょうど徴兵適齢期を通過した世代が存在する。おおむね現在の19〜33歳あたりの男性がこれに該当する。彼らは制度上の偶然によって義務を完全に免れた。
一方、2026年以降に18歳を迎える男性は突然義務を課される。廃止の決定にも復活の決定にも関与していないのに、結果だけを押し付けられる。さらに、復活を最も強く支持した50代以上の世代は、自分が対象になることは金輪際ない。
ここに三重の不正義がある。第一に、自分は安全圏にいながら「若者は行け」と言う中高年の無責任。第二に、制度の空白期間を偶然くぐり抜けた「空白世代」と、復活後に対象となる世代との間の恣意的な不公平。第三に、当事者である若年層の声が政治的意思決定に十分に反映されていないこと。
Greenpeace委託調査(2025年10月、16〜25歳対象)では、74%が「自分たちの声を政治的議論に反映させてほしい」と回答した。当然だろう。命を差し出す可能性があるのは自分たちであり、そうでない者たちが多数決で「お前たちが行け」と決めるのは、民主主義の原則から見ても深刻な問題を孕んでいる。
ドイツでも日本同様少子高齢化は深刻である。そもそも連邦議会議員になるには一定年齢以上になってから出ないと立候補すらできない。つまり若い議員というのは大変希少で、彼らの意見に徴兵制導入を推し進めるドイツ連邦議会が十分耳を傾けたとはお世辞にも言い難いのである。
かつて建国前夜のアメリカで当時の宗主国たるイギリスにむけ「代表なければ課税なし」と叫んだ著名政治家がいたが、全く同じことが言える。「代表なければ血税なし」というのがドイツの若者のまごうかたなき本音であろう。
高齢者が若者に対して「若いんだから」「国のために」と言うのは簡単である。だがそれは、自分が負わなくてよい犠牲を他者に強いる行為にほかならない。若者が同じことを高齢者に言ったらどうなるか。「老いているのだから、年金を削られるくらい我慢しろ」「どうせ先が短いのだから、医療費の自己負担を増やせ」――こう言えば「高齢者差別だ」「弱者切り捨てだ」と大合唱が起きるだろう。しかし高齢者が若者に対して「命を賭けて国を守れ」と言うことは、なぜか差別とは呼ばれないのである。
第4章 「平等」は双方向でなければ平等ではない
筆者は根っからの平等主義者であり自由主義者である。だからこそ、この問題に怒りを覚える。
過去数十年にわたり、男女平等の名の下に多くの是正がなされてきた。賃金格差の縮小、管理職への登用、ハラスメント対策、育児休暇の充実。これらはすべて正当なものであり、筆者はその一つ一つを支持する。
しかし、「平等」とは本来、権利の拡大だけでなく義務の共有をも含む概念である。権利だけを享受し、最も重い義務――命のリスクを伴う義務――は「私は女ですから」と言って回避するのであれば、それは平等ではなく特権と呼ぶべきものである。
同様のことが世代間にも当てはまる。高齢者は年金・医療・介護といった社会保障の最大の受益者であり、その負担の多くは現役世代と将来世代にのしかかる。それに加えて「国防の義務も若者が負え」と言うのであれば、それはもはや世代間の連帯ではなく搾取である。
ノルウェーは2015年に、スウェーデンは2017年に、デンマークは2026年に、それぞれ男女平等の徴兵を導入した。「平等を言うなら義務も平等に」という原則を実際に制度として実現した国々がすでに存在する。ドイツでもメルツ首相自身が「徴兵制を導入するなら女性も含めなければならない」と発言し、連邦軍トップのブロイヤー大将も同じ見解を示している。にもかかわらず実現していないのは、憲法改正に必要な3分の2の多数を、左翼党が「女性の自己決定権の侵害だ」として阻んでいるからである。
左翼党の論法は象徴的だ。「女性は賃金格差があり、ケアワークの負担が重い。さらに兵役まで課すのは不公平だ」と主張する。しかしこの論理を裏返せば、「賃金格差やケアワークの負担がある限り、女性は国防の義務を免除されるべきだ」ということになる。では聞きたい。賃金格差が完全に解消され、ケアワークが完全に平等に分担されたら、その日から女性にも徴兵義務を課してよいのか。おそらくそうなっても、また別の理由を持ち出して反対するだろう。なぜならその主張の本質は「平等」ではなく「免除」の正当化だからである。女特権を守るためならいくらでも理屈をこねくり出せる。なぜって?それは「女性は弱者だから」。なお女性が弱者としての権利(実質的な特権)を享受している下で喘ぎ苦しんでいる人たち(例えば女医が投げた手術の代わりをしている男性医師と男性麻酔医、知り合いにいた)は、今日も救われない。
第5章 真の平等を求めて
本稿の主張は単純明快である。
義務を伴わない権利は特権であり、特権は平等の対極にある。
「平等」を掲げるなら、その旗は晴天のときだけでなく、嵐のときにも掲げなければならない。平時には「ガラスの天井を壊せ」「管理職の女性比率を上げろ」と要求し、有事には「私は女だから兵役は免除」と主張し、地下壕に閉じこもってしまう。このような秘境卑劣極まりない選択的平等主義は、平等という理念そのものを著しく毀損する。はっきり言えば現在の(若い)女・中高年の一部は社会に巣食うシロアリである。身分に甘え、本来ならやらなければならないことを無視し、ひたすら社会保障なり世の中の優しさなりを貪り食っている。それが永遠のものでないとも知らずに。
世代間についても同様である。「若者は国を守れ」と言う資格があるのは、自らもその覚悟がある者だけだ。安全な場所から他人を死地に送る投票をすることは、民主主義の行使ではなく、民主主義の悪用である。
ドイツの徴兵制復活は、一つの国の安全保障政策の問題にとどまらない。それは「男女平等」「世代間連帯」「自由と権利」といった現代社会が掲げてきた理念が、究極の試練に晒されたとき、どれほど脆く、どれほど御都合主義的に運用されるかを白日の下に曝した、一種のリトマス試験紙である。
筆者が求めるのは、男性だけが得をする社会でも、女性だけが得をする社会でもない。若者だけが犠牲になる社会でも、高齢者だけが安楽を享受する社会でもない。すべての人が同じ権利を持ち、同じ義務を負う社会――ただそれだけだ。それが実現していないことへの怒りを、筆者は一切隠すつもりはない。
(本稿は複数の世論調査データ――ARD DeutschlandTrend、Ipsos、YouGov、Forsa、MOTRA/ハンブルク大学、フライブルク大学Political Panel、Greenpeace委託調査等――に基づいて執筆された。各調査の詳細な数値は本文中に記載した通りである。)
