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2025年、人生の転機を生きた記録|癒しの仕事を続ける理由

2025年は、
私の人生が切り替わった一年でした。

別れがあり、
大切な人の病があり、
祈るしかない時間がありました。

どれも特別な出来事ではなく、
誰の人生にも
起こり得ることなのに、
振り返ってみると、
魂の輪郭が
少し違って見えるのです。

これは、
成功談でも
スピリチュアルな覚醒でもありません。

人生の転機を生きる中で、
それでも私は
なぜ「癒しの仕事」を
続けているのか。

その理由を、
2025年という一年の記録として、
綴ります。


■1月


人生の転換点は、
別れから始まりました

年の始まりは、
大きな別れの中にありました。

40代後半から52歳まで。
長い時間を共にし、
結婚を約束していた方との別れ。

この出来事を通して、

「どんな関係にも、終わりは訪れる」
ということを身をもって知りました。

そして同時に、
終わったあとも人生は続いていくこと。
人は思っている以上に
強く、生きていけることを
学びました。


■3月

レイキティーチャーとして、
もう一度歩き出す

別れの痛みと向き合いながら、
私はあらためて
「癒し」の道を選びました。

人生の痛みを知っているからこそ、
差し出せる言葉がある。
寄り添える沈黙がある。

そう信じて、
レイキティーチャーとして
再び歩き出しました。

癒しの仕事は、
誰かを救うためのものではなく、
まず自分自身が
誠実に生きるための道なのだと、
この頃から
少しずつ腑に落ちていきました。


■8月

試練の中で、
静かに景色が変わり始める

前を向き始めた矢先、
さらなる試練が訪れました。

母にすい臓がんが見つかったのです。

肺がん、乳がんに続く
三度目のがん告知。

そのさなか、
長年続けてきたアメブロを卒業し、
noteへと場所を移して
心機一転、再始動しました。

この頃から、
有料記事を書けば書くほど、
公式LINEを配信するたびに、
登録者が少しずつ減っていく
不思議な現象が起き始めます。

けれど、
不思議と焦りはありませんでした。

「ああ、
人生の切り替わり目
なんだろうな……」

どこか遠くから
自分自身を見つめるような、
静かな俯瞰の感覚が
そこにはありました。


■10月〜11月

伏見のお山と、
祈りのかたち

10月。
ご眷属さまとの
大切なお約束を果たすため、
伏見稲荷大社へ。

夜行バスで早朝に京都へ着き、
飲まず食わずのまま
お山を二往復。

身体は限界でも、
心は不思議と澄み渡り、
長く抱えてきた
過去の執着を
静かに手放すことができました。

11月には、
ご神託を受けて
「稲荷御幣」の作成を開始。

母にもしものことがあれば、
今年の作成は
続けられないかもしれない。

そんな不安を抱えながらも、
一つひとつに祈りを込め、
形にしていきました。


■12月

祈るしかなかった、
いちばん長い時間

12月1日。
母が再び入院。

3日の手術から5日まで、
集中治療室にいる母と
連絡が取れなかった数日間は、
私の人生で
いちばん長い時間でした。

できることは、
ただ祈ることだけ。

けれど、
12月20日。
母は無事に
退院することができました。

私は今、
母のそばに寄り添い、
今しかできない時間を
大切にするため、
2026年2月末まで
介護休職を取っています。


■最後に

それでも、
癒しの仕事を続ける理由

人生の転機や、
大切な人の病と向き合う時間は、
誰にとっても
突然訪れるものかもしれません。

介護と仕事の狭間で揺れながら、
それでも私が
「癒し」という仕事を
手放さなかった理由。

それは、
この道が誰かのためだけでなく、
自分自身が誠実に生きるための
支えになってくれたからです。

1月には
想像もできなかった場所に、
今、私は立っています。

別れも、
病も、
祈りの時間も。

すべては
本当の愛と癒しを
知るために必要な
道のりだったのだと、
今は受け止めています。

登録者が減っていく中でも、
こうして変わらず読み続け、
関わり続けてくださった皆さま。

その存在が、
折れそうになる私の心を
何度もつなぎ止めてくれました。

本当に、心から感謝しています。


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