見出し画像

人のカタチ 一部 第五話


 歪な跡が、番屋に残っている。畳が泥で汚れた室内に、心惹ひかれる風情などなく、暴れた痕跡が色濃く残っていた。腰板が外れ、土壁に穴が開いている。願人坊との戦いは伊木が優勢だったが、結局何の情報も聞きだせずに、彼は願人望を逃がしてしまった。
「御頭」
 切ない塊を胸から出すように、番屋に戻ってきた小間春松は、伊木守一に声をかけた。二人とも状況を正確に把握できていない。小間は、伊木に種冬の事をどう伝えるか悩んでいるように、額の皴を顔の真ん中に集めている。
「小間、人形の事はどこまで知っている? 人形から取り出した金字塔は何のために保管している?」
 葬儀の喪主のような、重々しい口調で伊木は問う。人に迫るような顔つきは、今までにない彼の表情だった。黄緑色の若葉が、硬く濃い緑の葉に変わるのに似た変化とも言える。また、その言葉には、周囲を疑い始めた雰囲気を含んでいた。城下の侍が応援に来ていたが、二人は屋内で話をしている。
「御頭。私が知っているのは種冬様から聞いた事ばかりです」小間は聞かれた事を先に答える。何となくだが、疑いが自分にも向けられている事を、小間は感じたようだった。
「金字塔が後々役に立つかもしれないと、種冬様はおっしゃっておりました」と小間は伝えた。
「それから……報告しなければなりません」
 小間は暗鬱な空気を無理矢理吹き飛ばして、堀田邸での出来事の話を切り出した。
「父上が堀田様を……一体何が起きているのだ?」
 小間春松の報告を聞いた伊木守一は、苦しい様子で声を上げた。起こった出来事や、事件の詳細は、まるで狐狸の悪戯のようだったからだ。
「先週のあの日の事を俺は覚えていない。俺が人形だと願人望は言っていた。現に俺は今までの自分と違う。勝手に体が動くのだ」
 伊木守一は自分の手を見る。彼の手には、傷一つついていなかった。
「何か隠していないか?」
「私は誓って本当のことしか言っていません」小間は首を振る。
「では、この体はなんだ! 何が正しいのだ?『眼木札が入っていない』とあの坊主が言っていた。父上は何を考えていた?」伊木は頭を抱えて叫んだ。
「落ち着いてください」小間は冷静な声で彼を落ち着かせる。伊木守一は眉を寄せ、顔を歪めた。
「俺の腹の中にも、金字塔があるのか? 試してくれ」そう言うと、彼は着物を脱ぎ上半身裸になった。筋肉質な体で、肩幅は広く胸板は厚い。人形には見えない。
「願人坊が言っていた『人幻形』という言葉は私も始めて聞きました」
 小間は戸惑いながらも、伊木の言葉に従うことにした。伊木守一の腹部を触り、彼が人外の存在かどうか確認した。臍の下あたりにある臓器の感触を確かめるように、小間はゆっくりと撫でる。
「わかりません。御頭は人間の体です」
 昨夜、小間が一瞬で決着をつけたのは『手従形』という言葉を話さない人形。そして小間が一度討伐した『絶体形』は言葉を話し、手従形を操る上位の型。その二つは人に似せて作っているが、無機質な人形なのだ。
「俺は腹を切る。そうすればわかるだろ?」
「御頭。何を言っているのです?」
 脇差を逆手に持ち、一声「よし」と快げに頬を膨らましてから、伊木は息を吐いた。
「待たんかい」と槍を担いだ山田浅右衛門がその場を制した。
「格好つけるにゃぁ、早すぎんかの」堀田邸からやって来た浅右衛門の一言で、その場が凍り付いた。伊木の手も止まったのだ。
「腹を掻っ切って、死んでもうたらどうすんの? 片付けするのはワシらじゃないの?」
 三本槍の一人、山田浅右衛門は首切り役人とも呼ばれていた。江津の獄卒を束ねる長であり、町奉行でもある。剣の腕が優れている為、浅右衛門が首を斬ると、斬られた罪人はその事に気がつかず、落とされた首が死ぬまでの間、話をする。
「おどれが死んでもうては、手がかりをなくすけんの、それはやめろ」
 伊木の体は勝手に動かなかった。逆手に持った脇差は、腹に触れる寸前で止まっている。
「俺の事はどうでもいいのですか」
「まぁ、聞け。守一。わしゃ、おどれの身柄を確保せにゃならん。町奉行なんかになっとるけんの。ほいでや、おどれの事がどうでもええとか、そんな事は、わしゃ言うとりゃせん」
「じゃあ、なんで止めたのですか?」
「そりゃ止めるわい。腹切るなんて、簡単に言いよるけぇ、そやから止めてやったんじゃろうが」と、山田は怒鳴った。
「何もわからんまま死ぬつもりかえ?  わしは許さんぞ」伊木は黙って下を向いている。
「人形にされたのなら、元に戻す方法を探せばええ。可児の生き残っている人間を締め上げれば、何か情報が得られるかも知れん。死に急ぐな」伊木は持っていた脇差を落とし、歯茎が見えるほど強く歯を噛んでいる。
「おどれは人間じゃ」伊木守一の顔は、血が集まっているように赤い。
「小間、守一に着物を着せてやってくれい」浅右衛門がそう言ってから、小間は伊木守一の背中に腕を回し、彼の着衣を手伝った。
「守一、小間からの報告は聞いた。それで、小間、おどれは種冬の事を調べろ。あれがワシらを裏切るとは、思えん」
「はい。そのつもりです。それと、願人坊が言っていた忠三郎という人物についても調べます」
「何か分かったら、報告せい」
「わかりました」小間は頭を下げて、部屋を出た。小間の足音が遠ざかると、伊木は口を開いた。
「山田様。俺はどうすればいいですか?  何を信じればいいのでしょうか?」
「記憶も曖昧になっておるようじゃが、これから思い出していくはずじゃ。ワシの家に来い。しばらくおどれの面倒をワシが見るけんの」
 その言葉を聞くと、伊木はぼんやりと番屋の庭の向こうを見た。後ろで結った髪から露出した耳たぶが、ほんのり赤くなっている。
「あいつ等に何でも言うたらええ」
 あいつ等というのは、浅右衛門の娘の事。その事で、伊木の身体は紅潮し、細い血管までがうっすら膨れ上がっているようになった。

いいなと思ったら応援しよう!

中島亮 一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!