仕舞う人、建てる人 10
事務所に戻ると、田村がカレンダーに赤い丸をつけていた。
「……これで、九月の墓じまい案件、全部終わりましたね」
「ああ。よう働いたわ」
ワシは腰をゆっくり下ろし、冷たいお茶を口に運んだ。田村は丸をつけ終えた手を止めて、ペンを指の間で転がしながら、ふと声のトーンを落とした。
「……あ、それと、中村さんから連絡がありました」
「ん?」
ワシはコップを持ったまま、視線だけで田村を見る。田村はメモ用紙を一枚めくって、端を指で押さえた。
「お墓、移すことにしたそうです。長浜から、岡山霊園へ。ご両親とも話し合って、決められたって」
「そうか……」
ワシはコップを机に置いて、しばらく黙ったまま天井の蛍光灯を見上げた。白く光るそれは、どこか淡々として、今日の空模様によく似とった。
「ご両親と話し合って決めたらしいです。今後のことも含めて、家としての判断とのことでした」田村の言葉には余計な感情が混じっておらんかった。それがかえって、話の重みを強く感じさせた。
「ええことやと思うわ」ワシはぽつりとそう言った。
「墓を仕舞うんも、建てるんも、いろいろあるけどな。昔のもんを、そのまんま移して、参りやすいようにするっちゅうのは、先祖にも顔向けできるやり方やと思う」
「……新しく石を建ててもらった方が、石屋としては儲かるんでしょうけどね」田村がちょっとだけ笑った。
「それはそうやけどな」ワシも笑った。
「けど、墓いうんは商売やない。……いや、商売やけど、それ以上のもんや。ワシらの仕事は石を置くんやのうて、思いを残す場所を造ることや」田村は真面目な顔になって、少しだけ頷いた。
「それにしても、移転の墓石、だいぶ前のもんちゃいます?」
「せやな。現場の状態、石の痛み、基礎の打ち方……そのへんはちゃんと下見してから段取り組まんとな」
「じゃあ、行きますか?」
「そうやな。まぁ、中村さんに会ってからや」ワシはそう言って、メモ帳を手元に引き寄せた。やることは山ほどある。役所に改葬許可の手続き、現地の寺との調整、運搬ルートの確認、霊園の指定区画との整合。ひとつひとつ、確実に潰していかなあかん。
ふと、田村が言った。
「あと、中村さんのほう……由衣さん以外に、誰か跡継ぎっているんでしょうか」
「そこやな」ワシは小さくうなずいた。
「それが一番大事や。せっかく岡山に移しても、将来誰も守る人がおらんようになったら、また同じことの繰り返しや」ワシはしばらく黙って、お茶をもう一口すすった。冷たさが喉を通って、ゆっくりと胸の奥に沈んでいった。
「ま、会って話し聞こか。由衣さんの気持ちはわかる。けど、家いうんは一人で背負うもんやない。墓も同じや。生きてるもんがつなぐんや……ただ、体調は大丈夫なんやろか」
ワシはぽつりと呟いた。声に出すつもりはなかったが、田村には聞こえたようや。
「連絡くれた時の声は、わりと元気そうでしたよ。少なくとも、弱ってるって感じではなかったです」
「そうか……そら、ええな」
嘘でも安心する。本当に少しは持ち直しとるんやろうか。そう思いたい。ワシはそっと立ち上がって、窓の外を見た。岡山霊園の方向、遠くの山の向こうに薄く雲がかかっとった。
「津田店長」田村が静かに言った。
「中村さん、言うてましたよ。『まだ死ぬ気はない』って」ワシは黙って頷いた。机の端にあった工程表の空白に目をやりながら、頭の中でスケジュールを組み立てる。
「じゃあ、次は墓の確認やな。石の状態をちゃんと見て、使えるもんは使う。新しいもんがええいう話やない。受け継いだもんをどう生かすか、や」ワシは深く息をついた。誰もが墓を建てる時代やない。仕舞う方が多い時代に、こうやって手間と金をかけてでも残そうとする人間がいる。その気持ちは、ちゃんと受け取らなあかん。墓を建てることも、墓を仕舞うことも、どちらも終わりやない。人は死んでも、何かが残る。生きとるもんが、それを見て、また次を生きていく。
ワシは立ち上がり、腰に手を当てて、大きく伸びをした。光が、事務所の床を斜めに切り取っていた。
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一日延ばしは時の盗人、明日は明日……
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