仕舞う人、建てる人 3
若い娘は、事務所の中をじっくり見まわしている。彼女の目は敵陣に乗り込んだ軍師みたいに鋭く、それでいて、どこか落ち着いていた。
事務員の田村は眼鏡越しに、怪訝な目で彼女を捉えた。「ちょっと……店長」どこか探るような響きの声で、田村はワシを事務所の奥に連れ出す。
「なんや」
「店長、あの女の子に何かしたとかじゃないですよね?」
「へぇ? なに言うてんねや。お客さんや」田村は眼鏡のブリッジを押し上げた。 そして、低い声で言った。
「それならいいですけど……若すぎません?」
「墓を建てたいと言うとるんや」ワシは田村にお茶を淹れるように言うた。 田村は遅いまばたきをして「わかりました」と言い、給湯室の方へ歩いて行った。ワシはその背中を見ながら、田村が何を考えているのかをぼんやりと考えた。「若すぎる」と田村は言った。若い人が、お墓を建てる事がないわけやない。親の為に建てる人もおるし、大事な人を亡くした人もおる。ただ、あの娘はまだ二十歳そこそこや。墓を建てることを考えるような歳ではない。ましてや自分の為の墓や言うとった。その言葉の重さは、慎重に聞かなあかんな。
ワシはそう思いながら、娘をちらりと見た。彼女は事務所の片隅に置かれた花崗岩のサンプルをじっと見つめている。 その姿は、図書館で本の背表紙を眺めるように静かで、はるか昔から抜け出してきたような雰囲気をまとっていた。後ろで束ねられている長い髪は、幾筋か髪が解けて首筋に落ちて、陽が当たって琥珀色に光っている。その白い肌に薄い痣があるように見えた。
「ええ石でっしゃろ?」ワシがそう言うと、彼女は指の動きを止めた。
「これは?」
「産地によって石目がちゃいます。これは庵治石。香川の石ですわ。庵治石の細目は、きめ細かくて、ちょっと離れてみると独特の二重のかすり模様が見えます」それからワシは隣のサンプルを指して「ほんで、こちらは大島石。愛媛の石や。青みがかった色が特徴で、変色しにくいんですわ。関西では、よう使われる石です」
「じゃあこれは?」彼女は別の石を指した。
「中国の石です。多少、石目が粗いもんもあるけれど、価格を考えたら十分ええ石です」彼女は指を止め、じっと石を見つめた。
「では、墓を建てるなら、どの石が一番良いのだ?」ワシは腕を組んだ。
「何を大事にするかによりますね。石の質にこだわるなら国産やろうし、コストを抑えたいなら中国産。外国の花崗岩をお墓に使ってまだ何十年やし、変色するもんもある。そういう意味では実績が何百年もある国産の石を、私らは勧めますね」彼女は論点を考えるように黙り、そして「天下人に相応しい石は何だ?」と訊ねてきた。
「へぇ? 何を言うてますの? そういえば、自分の為のお墓言うてましたが、どういう事でっしゃろ?」ワシはそう言ってから、まだ挨拶してへんかったと思い出した。
「すんません。申し遅れました。店長の津田です」と言って名刺を彼女に渡すと、彼女は書かれた文字のひとつひとつにじっくりと目を通して、椅子に座った。
「津田殿か」ワシは一瞬、聞き間違えたと思った。
「……殿?」
「私は中村。墓を建てる」妙な重みのある声は、何かの宣言みたいに響いていた。
「中村……さん?」ワシは中村と名乗った彼女に、連絡先などを書いてもらうように伝えた。
「うむ」
「墓を建てる言うてるけど……」ワシがそう言いかけた時、田村がお茶を運んできた。それを、中村さんとワシの前にそっと置いた。「どうぞ」と田村は言った。中村さんは「うむ」と小さく頷いて、コップを手に取った。ワシも飲もうと思い、茶をすする。緑茶は冷たく、舌の上から喉に落ちてゆく。
「ほんでやな、中村さん」ワシは腕を組みながら言った。「自分の為のお墓いうけど、家のお墓はないんですか?」
「あれは違う」ワシはどうしていいのかわからんくなって、田村をちらっと見たが、田村はすぐに目をそらした。
「私のことは私が決める」
事務所の中は、午後の光が薄いカーテンを透かして、ぼんやりとした影を床に落としていた。 中村さんはふと動きを止めた。ワシがそれに気がついた瞬間、彼女の体は傾いた。
「大丈夫か?」とワシは言った。彼女は首を振って、何でもないような顔をしたけど、首筋に薄紫色のあざが浮かんどった。それは、鉛筆で点を打ったみたいに広がっていた。
彼女は目を閉じて、深い息を吸うた。ワシは彼女を見ながら、なぜか、昔飼っていた猫のことを思い出した。いつのころか、あの猫は遠くを見ているような目をするようになったんや。ほんで、 どっかに行ってしもた。なんでかわからんけど、この娘と、あの猫が似ているような気がすんねや。
「中村さん、あんた、顔色悪いで」とワシが言うと、彼女は目を開けて、ワシをちらっと見た。
「なんでもない」その声は、古いラジオのノイズみたいに、不明瞭やった。中村さんの唇がそう動いて、彼女の目がふと遠くに見えた。 ほんで、彼女の体が椅子の上で小さく揺れた。ワシが何か言う前に、その娘は椅子から転げ落ちよった。ドスン、と音が響いて、ワシは椅子に座ったまま、動けへんかった。
「おい、中村さん!」と叫びぼうとした声が詰まって、代わりに息だけが漏れた。彼女の腕がだらんと伸びて、手の平がこっちを向いていた。
「店長! どうしました!?」田村の声が事務所の壁に跳ね返って、変なエコーみたいになった。
「倒れたんや!」とワシは叫んで、椅子から立ち上がったけど、何をしてええんかわからへん。田村は眼鏡を上げながら床に膝をついて、「救急車! 救急車を呼んでください」とまくし立てた。なんやよくわからへんけど、 田村は携帯を見ながら、中村の手首に手をあてて脈をとっとる。えらい冷静やなとワシは思った。
「店長! 何しとるんですか!」田村がこっち見て叫んだ。 眼鏡の奥の目が鋭くて、ワシは、怒られた時みたいに縮こまった。「何!? なんや!?」とワシは言い返したけど、声が裏返って、まるでカラスが鳴いたみたいな情けない音になった。
「救急車を呼んでくださいよ!」ワシは右と左のポケットをまさぐった。頭ん中が真っ白になって、まるで古い引き出しを引っ掻き回してみたいように手を動かして、携帯電話を探した。
「救急車や」と呟きながら、ワシは数字をタップした。一を押して、九を押して、ほんで九を押そう。しもた。間違えて八を押してしもた。
田村が「店長、落ち着いて!」と言ったけど、ワシの声は遠くの波の音みたいにしか聞こえへんかった。
「もしもし! 救急車や! 来てくれ!」とワシの声がデカすぎて、自分で驚いてしもた。電話の向こうの人が「落ち着いてください、場所はどこですか?」と静かに言ったけど、ワシは「場所!? ええと、石材店や! 石材店! 女の人が倒れて……」とまくし立てた。言葉がぐちゃぐちゃになってしもた。「住所は?」と電話の向こうで聞かれて、ワシは「あ! 住所! なんやったっけ!?」と事務所の中を見回した。田村が「店長、名刺! 自分の名刺に書いてます!」と叫んで、ワシの胸ポケットを指した。ワシは「名刺!」「老眼や! 田村、読んでくれ!」と叫んで、田村が「もうええです、私が話します!」と携帯を取られた。ワシは携帯を取られて、呆然と立ち尽くした。 田村が「はい。住所は……」と冷静に喋る横で、ワシは中村さんの倒れた体を見て、意味もなく事務所の床をウロウロした。
「女の人が倒れて……。脈はありますが、意識がないです」と田村が淀みなく喋る。 ワシは、「脈ってどうやってやってるんや」とどうでもいい事を考えてしまった。
田村が「はい。はい。五分で来る? わかりました」と電話を切った。倒れている中村さんは動けへん。それはまるで古い絵本の挿絵みたいに静かやった。ワシはその横でただ突っ立っているだけや。
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一日延ばしは時の盗人、明日は明日……
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