仕舞う人、建てる人 5
それから三日ほどしてのことや。朝の掃き掃除を終えて、事務所でコーヒーを飲んでいたら、入り口の戸が静かに開いた。チャリ……と鈴の音が鳴って、ワシは反射的に「いらっしゃい」と言うて入ってきたのはまだ四十代の夫婦やった。
夫は真っ直ぐ背を伸ばした細身の人で、白いワイシャツに薄いグレーのジャケットを羽織っとった。母親は小柄で、控えめな柄のブラウス。ふたりとも、顔に陰を落としとったが、しっかりとした足取りでワシの方に近づいてきよった。
「梛木石材店の……店長さんでいらっしゃいますか」
「はい。ああ、ええっと……」
「申し遅れました。中村と申します。先日ご迷惑をおかけした娘のことで、伺いました」
父親が少し頭を下げた。母親も続けて頭を下げ、こっちが困るぐらい丁寧な挨拶をされた。ワシは慌てて立ち上がって、「へぇ? あぁ、どうぞ、どうぞ。こちらへ」と応接の席に案内したんや。
田村がすぐにお茶の準備を始めた。ワシは座る間際に深呼吸して、ようやく口を開いた。
「店長の津田です。あの、中村さん……その、娘さん、大丈夫でしたか」父親がわずかに口を結び、母親が静かに首を振った。
「命に別状は……今は、ありません。ただ……」
ワシは頷いて、言葉を待った。父親は膝の上で両手を重ねたまま、少しだけ俯いていたが、やがて顔を上げた。
「由衣は……白血病なんです。二年前に治療が終わったのですが……」
その言葉を聞いた瞬間、ワシは椅子の背にぐっと重みを感じた。なんや、心の中に薄い霧みたいなもんが広がって、言葉がよう出んようになった。
母親が、ぽつりと続けた。
「先週、再発が見つかって……本人は、もう長くないと思い込んでいるんです。だから、いろいろ考えた末に……こっそり、こちらに来ていたようです」
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」父親がまた頭を下げた。母親も頭を下げた。
ワシは慌てて手を振った。
「いやいや、あやまらんでええですよ。そんなこと、言われたらワシの方がつらいわ。……来てくれて、ありがたいと思っとるんですわ」
母親の目元がうるんどる。田村が黙ってそっとお茶の入ったコップを二人の前に置いた。しばらく沈黙が流れて、ワシはふと、思い立ったように尋ねた。
「ところで、中村さん。ご実家のお墓は?」
父親が「ええ」と小さく頷いた。
「あります。長浜に、代々の墓があります。うちはもともと、そちらの出で……私の祖父母はそちらに眠っております。ですが——」
「ですが?」
「……由衣は、そこに入るつもりはないようです。前に言っておりました。自分の生き方に、自分の形を残したいと……」
ワシは、胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるような気がした。
「……すんません、中村さん。せっかく来てもろうて、こんなこと言うのもなんやけどな……ワシは、あの娘さんに墓を建てるのは、すすめまへん」
二人ともきょとんとした顔になった。あたり前や。石材店の店長が、墓を建てるな言うんやからな。
「墓はな、建てたら終わりやあらへん。そこが始まりや。誰かが手を合わせて、掃除して、花を活けて……そうやって続いていくもんですわ。人が、通い続けてくれるから、墓は墓でいられるんです」
母親の瞳が、じわりと揺れた。父親は手の甲をぎゅっと握りしめていた。
「せやけど、もしあの娘さんが、ほんまに自分の形を残したい思うんやったら、ここに来てくれたらええ。何回でも、何時間でも、ワシは話を聞きます。石のことでも、墓のことでも、関係あらへん。ただ、話しに来るだけでもええ。ここは、そういう場所でええんですわ」
ワシは、胸ポケットから小さな名刺を取り出して、テーブルに置いた。
「ここに、また来てほしい。ほんで、どんな墓を建てたいのか、どんなふうに生きてきたのか、何が悔いなんか——そういう話を、ゆっくり聞かせてほしいんや。急いで墓を建てんでもええ。まだそこに入らへんのやから」
父親が、名刺に視線を落としながら、しばらく黙っとった。けど、やがて、絞り出すように言うた。
「娘は……どこかで、自分が消えると思ってるようなんです。何も残らんまま、ただ終わっていく……と。だから、形が欲しいと」
ワシは静かに頷いた。
「それはようわかります。でもな、中村さん。形いうのは、墓だけやない。人の記憶に残ること、生きた証を誰かに伝えること、それも立派な形やと思いますわ。ワシらは、その手助けができると思てます。せやから、——あの娘さんに、よう伝えてください。いつでもここに来てくれてええってな。なにより、元気になってもらうんが一番ええことですわ」
母親が、震える声で「……ありがとうございます」と言うた。父親は、もう一度深く頭を下げた。ワシは、そのふたりの姿を見ながら、心の中でひとつだけ願った。
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