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人のカタチ 一部 第二話


 大老の堀田正盛は目を閉じ、首を振って肩をすくめるだけで、何も言わない。伊木は昨夜の事を報告するために朝四つに登城していた。
「ところで……あの、生き人形というのは……」伊木がそう聞くと堀田は目を大きく開いた。
「人形がどうしたんじゃ?」
「いえ。可児の国の人形は、あとどれぐらい残っているのでしょうか?」
「それを知って、どうする?」
「いえ。ご存知かと思いまして……」伊木は軽く肩をすくめて、下を向いた。
「何を聞きたいんじゃ?  はっきり言わんかい」堀田は語気を強める。
「いえ。その……。人形についてです」伊木は額に手を当てて頭を掻いた。
「それで?」
「彼等は何者ですか?」
「何も知らんでええ」堀田は眉間にしわを寄せた。聞いても無駄だと思ったのか、伊木はそれ以上何も言わなかった。江津衆の頭目になったとはいえ、伊木は人形の事を詳しく知らない。知っているのは、人形が幕府の脅威となっている事ぐらい。
 堀田は井伊の国の出身で、西を平定した武将。息子に西の所司代を任せ、本人は新たに出来た幕府の政治を統括している。
「種冬が居なくなって一週間だな」堀田は、何かを思い出したような口調で話題を変える。伊木の父親の種冬は、堀田三本槍の一つ「蜻蛉切」の使い手だった。しかし、江津衆の任務中に行方不明になったのだ。種冬が行方不明になった時、伊木守一は父と一緒に居た。種冬だけが居なくなり、守一は助かった。
「はい」
「そろそろ慣れたか?」
「……」伊木は黙っていた。家督を継いだとはいえ、そんな器では無いのは明白である。
「鍛練はしとるか?」
「えっ? あぁ……はい」
「後で叩き直したるけんの。練兵館に来い」
「え?」向かい合っているだけで、刀を突き付けられるような迫力が堀田にはある。座っている姿一つとっても、常人の域を超えた圧力で周囲を圧倒する。
「なにが『え?』じゃ。種冬はおどれに何も教えんかったか?」
「剣と槍を少々」
「もうええ。用意せぇ」
 伊木は頭を下げて部屋を出た。長い震えた呼吸を腹の底から吐き出しながら、伊木は気合をいれるように、両手で顔を叩いた。廊下に出て少し歩くと、伊木の前に二人の若い武士が現れた。「もりかず」と名前を呼ばれて、伊木は二人の顔をよく見る。
「ああ、お前達か」二人は、三本槍の残りの二つ「御手杵」と「日本号」の使い手の子息。
「もりっち久しぶり! 元気になった?」登城が許されているのは、男だけではない。女の山田如秋が弾んだ口調で話しかける。
「なんだ。浮かない顔だな。御頭」相馬弾左衛門こと弾左が自信の色を隠さない表情で、伊木を茶化す。「なんでも無い」伊木は二人の顔を見て、卑屈な笑顔を作った。
「もりっちも練兵館に行くとこだよね?」束状に金色に髪を染め、がっつり縁どりされた目張り、長い睫毛、赤い口紅のそれらの化粧は、浮世離れしているようにも見える。しかし、如秋の口元は真一文字に引き締まり、相応の威厳はあった。
「あぁ。堀田様に練兵館来いと言われた」
「だから浮かない顔しているのか」
「そんなつもりはないけど……」
「俺達もこれから行くところだ」顎を上げて、弾左はニヤッと微笑んで見せた。伊木と同じ歳の二人は、生まれた頃からの付き合い。二人ともそれぞれの父親譲りで武芸に秀でている。
「もりっち、もう良くなったでしょ? 久しぶりにあたしと手合わせしよ!」如秋は女ながらに腕が立つ。
「え?」伊木は困った様子で眉を下げる。
「いいじゃないか。やってやれよ」弾左は伊木の肩に手を置いて、自分が優位であるのを確信しているような、余裕のある声でそう言った。
「俺はあまり気が乗らないんだ」
「何を言っている。御頭は強くないとダメだろ?」
 伊木は、今まで稽古で二人に勝った事がない。弾左は別段の悪意はなさそうだが、彼の口に出る言葉は、魔物のようだった。伊木も伊木で、それを気にするような素振りをみせない。冷たい言葉を真に受けないから、胸に痛みを感じないのだろう。
「もりっちはいいよね」
「なにが?」
「だって、人形と戦えるんでしょ?」
 如秋は昂奮を持ちながら、悪魔的といえる挑んだ表情を眼に浮かべ、伊木を見た。彼女は一種の戦闘狂で、常に闘う事に飢えていた。
「ねぇ! 昨夜行ったのでしょ! どうだった?」
「どうって、俺は何もしていない」小間が一撃で人形を葬った光景を、目の前の二人に、どう伝えていいか、伊木はわからなかった。
「如秋。やめておけ」弾左がそう言ったのは、種冬の事が関係している。嬉々として人形を話題にする事はできない。なぜなら、戦は終わったわけではないからだ。
「そっか。それじゃ、練兵館で待っているね」如秋はそう言うと、先に歩いて行った。

 体が流れている。それには、伊木自身も驚いているようだった。
「あれ? 当たったと思ったんだけどなぁ」猿のように敏捷な踏み込みをした如秋だったが、人の感知を超えたような動きで伊木は横に流れた。
「もりっち、やるねぇ」周囲に自分は「余裕」だと知らせる為の、意図的な独り言を彼女は言った。
 如秋が再び動く。振りかぶった木刀は、空気を裂き、伊木の顔面めがけて飛んでくる。それを寸前のところで沈んでかわし、伊木は前に出た。
「ぐぅ」
 伊木は木刀ではなく、すれ違い様に膝で如秋の腹を突いた。彼女は痛みに耐えかねて、体をくの字にして悶絶した。
「ごめん。大丈夫?」伊木は慌てて駆け寄った。
「ひざ?」と言い、如秋は伊木を睨んだ。
「刀で叩き斬るだけが、戦やないけんの」堀田正盛は伊木を咎める事はせず、何かを確かめるように「おい、おどれはどう思うんじゃ?」と後ろに控えていた弾左に意見を求めた。
「俺も同じ考えです」弾左はそう言ってうなずいた。
「ほうか。ほな、おどれもあいつとやらんか。もりかず、もう一回やりぃ」
「え?  もう終わりじゃないのですか……」
「誰がそんなこと言うた。やれ」不必要な人殺しを強要するような口調で、堀田は伊木に命令した。
「もりかず、いくぞ」ジリジリした様子の弾左が木刀を握り、伊木に対峙する。伊木は「あぁ」と返事をすると、再び構えた。
「せいっ!」先手を取ったのは弾左。鋭い突きを伊木の胸元に繰り出す。
「ふぅ」伊木はそれを間一髪で避けると、弾左の足を払い、床に転がす。それだけでなく、とどめを刺すつもりなのか、木刀を弾左の腹に突き立てようとした。
「そこまでじゃ」堀田が思わず大声を出した。その声で、伊木は自分のやろうとした事に気がついて、その場にへたり込んだ。
「もうよい。よくやった」堀田の称賛ともとれる発言に、伊木は暫く何も答えなかった。というよりは、何も言えないのかもしれない。
「体が勝手に動きました」
「ほうか。引き続き鍛練しろ」それだけ言うと堀田は練兵館を出て行った。
「もりかず、お前……」我慢しているような弾左は、起き上がりながら、何か言いかける。その瞬間、惰力に引かされて、彼は思わず微笑へと表情を変えた。しかし、眼光には伊木への驕慢と、自分への忸怩を弾左は隠しきれないでいた。
「なんでも無い」弾左は、口角を上げたまま、首を横に振って取り繕う。自分と伊木の差が何なのか、よく理解できていない気がしたのだろう。その答えを本人に聞くのが怖くなったのかもしれない。
「ちょ、もりっち、もう一回しよ」
「えっ」
「だって、おかしいよ。もりっち、何で急に強くなったの?」素直な如秋は、羞恥もせずに率直に尋ねた。伊木は引き続き困惑しているようだった。
「わからない。何となく体が変なんだ」
「変?」
「勝手に動くんだ」眉間に皺を寄せて、困ったように伊木は言う。彼は考えあぐねるように視線をさまよわせていたが、頼るように弾左に向けた。
「確かに、今までのお前と違う」弾左が感じている違和は、伊木の動きだろう。感情が全くなかった。
「あの日から、何かがおかしいんだ」
「あの日って先週のあの日?」意識を無くした状態で見つかった伊木は、大事なものを簒奪されたような顔をしていたそうだ。
「俺が江津衆の頭目っておかしくないか?」
 伊木は二人に思いの丈を打ち明けた。それは、誰もが抱いている疑念。父親の後継ぎとはいえ、何故自分が選ばれたのかという事。そして、その疑問が解消されない事が、伊木にとって一番の苦痛なのかもしれない。
「御頭が弱かったらまずいもんな」
「うん。まぁ、そうなんだけど」
「気にする事はないだろ」
「そういう問題じゃないんだよ」
「どういう問題だ?」
「俺はこんな事望んでいない」
「まぁ、いいんじゃない。ねぇ。もりっち、また手合わせしようね」
 如秋は二人の会話を遮り、伊木に笑いかけた。辛気臭い空気を一掃する如秋の声色に、打算的な欠片は一塵もない。それに対して、伊木は何も言わなかった。如秋はそれ以上詮索する事はなく、ただニコニコと微笑む。
「そういえば」伊木は突然思い出したように話し始めた。「俺は、どういう状態で発見された?」
「は? コツの刑場で倒れていたんだよ。聞かされてなかったのか?」古塚原の一角にある広場。そこは、罪人の処刑場所だ。
「お前が生きていてよかった」弾左はそう言って、伊木の顔を見た。
「ああ。そうか……」
「どうした?」
「いや。なんでもない」
「そうか?」弾左は、伊木の様子がいつもと違う事に気がついたようだ。だが、それを口に出す事はしなかった。
「俺は番屋に戻る。まだ、仕事が残っているから」伊木は言い慣れない台詞を口にした。昨夜の願人坊の事を確認しなければならないと、彼は思ったのだろう。
「さっすが、御頭だね!」如秋の言葉に、伊木は曖昧にうなずくと、足早に練兵館を出た。

「もりっち、大丈夫かなぁ」如秋は弾左に呟いた。
「あいつは強い」
「どうしたの?」弾左の言葉には、何か言いたげな事を隠している節があり、如秋はそれを確かめたくなったのだろう。
「いや、何でもない」
「ふぅん」それから二人は黙り、伊木の背中を見送った。

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中島亮 一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!