【小説】ある駅のジュース専門店 第1話「ある駅のジュース専門店」
これは、私が高校生だった頃の話。
当時、私の家から高校までは駅三つ分くらい距離があったので、登下校の時はいつも電車を使っていた。
その日もいつも通り授業を終えて、駅から電車に乗った私は、がたんごとんと揺れる車内でスマホをいじったり音楽を聴いたりして過ごしていた。きっと、車内の温度と規則的な揺れがあまりにも心地良かったからだろう。私はついつい微睡んで、いつの間にか眠ってしまっていた。
止まる電車のきしむ音で目覚めれば、もう窓の外は真っ暗。私の他に、乗客は誰もいなかった。
やばい、乗り過ごした! そう悟った私は駅名の確認もせず、切符を握って電車を飛び出した。
そこは今まで降りたことのない、小さな無人駅だった。怖いほど静かなホーム。開いたまま壊れた改札口。とても心細かったが、とにかくお母さんに連絡しなきゃ、と心の中で自分に言い聞かせてスマホを起動し、電話を掛けようとした。しかしホーム画面を開いた瞬間、「圏外」という文字が目に飛び込んでくる。
(……え?)
私は嘘、と息を呑んだ後、どうしよう、と息を吐いた。
とにかく、ここはどこの駅なのか確認しよう。私は気持ちを落ち着かせつつ辺りを見回し、駅名らしき文字が書かれた看板を見つけて走り寄った。そして間近で看板の文字を見て、言葉を失った。「駅」という文字は読めるが、肝心の駅名が全く読めない。それは漢字のように見えるが、まるで誰かが適当に落書きしたかのような、もはや文字とも言えないようなものだった。
ここがどこなのかも分からない、連絡手段も無い。そう考えた瞬間、私は混乱する頭の中で、考えたくもないある言葉を思い浮かべてしまった。
(もしかして……『異界駅』?)
『異界駅』とは、現実には存在しないはずの駅のこと。巷では「きさらぎ駅」をはじめとする、様々な『異界駅』にまつわる体験談が都市伝説として語られている。私も関心を持って、一時期そんな話を片っ端から調べていたことがあった。でもまさか、その『異界駅』が本当にあるなんて、自分がそこに辿り着いてしまうなんて思ってもみなかった。どうしよう、どうしよう。無事に帰れるだろうか。もしもこのまま帰れなかったら、私はいったいどうなるのだろうか。
不安で押し潰されそうになっている私の目に、突如、ピンク色や水色のカラフルな明かりが映った。明かりに近づいてみると、それは駅の中の、一軒の店が掲げる看板のネオンの光だった。看板の文字は駅名と同様、漢字のようで漢字ではなく読むことが出来ない。しかし、寂れた駅の中で一際目立つ鮮やかな光に、私はなぜか大きな安心感を覚えた。
駅の中にはこの店以外に開いている店は無かった。店の入り口で、恐る恐る「すみません」と声を掛けてみると、店の奥から「はい」と声が聞こえた。良かった、人がいた! 私は身体から力が抜けていくのを感じた。
「いらっしゃいませー」
奥から出てきた店員さんは、黒いネクタイを締めた赤いシャツに黒いエプロンを巻き、黒いマスクをしていた。短めのウルフカットの黒髪を片方の耳に掛け、リング状のピアスがちらりと見えていた。
「あ、あ、あの……電車って、いつ来ますか」
私はどぎまぎしながら尋ねた。初めて異界駅で出会う人なので、本当に信用して良いのか分からない。「どぎまぎ」の中にはそういった不安もあった。しかし、同時に高揚感も存在していた。それは、その店員さんの外見が、中性的であまりにも美しかったからだ。
「電車? あー、あと四十分で来るんじゃないですかね。良かったらここで待ちます?」
店員さんは、男性とも女性ともつかない低めの声で気怠げに言った。少し切れ長の黒い瞳が私を見る。
「あ、は、はい」
思わず声が裏返ってしまった私を、店員さんは店のカウンターへと案内してくれた。
店内の明かりはピンク色や紫色に統一されており、怪しげな雰囲気だった。何やら果実のような甘い香りが空間を満たしている。いったい何のお店なんだろう。
「それね、お客さんから良く聞かれるんですよ。何のお店ですかって。こんな派手な照明付けてるから、怪しまれちゃうことが多くって」
店員さんの言葉に私は目を丸くした。まるで頭の中を見透かすように、私が疑問に思ったことに答えている。
「うちの店、こんな派手な感じですけどジュース売ってるんです。この辺りは遠いところから来て道に迷う人も結構いるんで、案内所代わりっていっても良いかもしれませんね」
ジュース屋さんなんだ。私はなんだか安心した。安心したと感じた後に、喉の渇きに気がついた。
「お客さん。なんか飲みます?」
「え⁉︎ は、はいっお願いします!」
再び声が裏返る。店員さんは目を細めながらこちらに背を向け、「ストロベリーソーダとラズベリーソーダがありますけど、どっちにします?」と聞いてきた。
「あ、えーと……じゃあ、ラズベリーソーダで」
「かしこまりました」
店員さんの返事を聞きながら、私は店内を見回していた。この店は異界駅にあるとは思えないほど色鮮やかで、おしゃれで、店員さんもどこか謎めいていて。私の家の近所にもこんな良いお店が来ないかな、なんてことを考えられるほど、落ち着ける場所だった。
店内を観察していると、ふと、カウンターの隅に小さなかごが置いてあるのを見つけた。かごの中には可愛らしいデザインのハンカチや腕時計、ネクタイなどが入れられている。なんだろうと思った瞬間、店員さんが振り向いた。
「あ、それですか? お土産みたいなもんです。良かったら持ってってください。お土産の代金は頂かないんで」
「え、良いんですか?」
「はい。もうそろそろ捨てようと思ってたんで、大処分セールみたいな感じで。セールといっても全部無料なんですけどね」
「あ、じゃあお言葉に甘えて……」
せっかくなので、私はかごの中からハンカチを持っていくことにした。店員さんは「ありがとうございます」と再び目を細めて、ラズベリーの果汁を絞った真っ赤な液体を、氷の入ったプラスチックの容器に注いだ。そこにソーダを入れて、マドラーでかき混ぜる様子もカウンターから見えた。
数分後、店員さんは黒いマニキュアを塗った細い指で、私に容器を差し出した。
「ラズベリーソーダです、どうぞ」
「わぁ……ありがとうございます」
鮮やかな赤色のジュースにいくつもの小さな泡が浮かんでは消え、鼻を近づければラズベリーの濃厚な香り。異世界のジュースは不思議な味がするのではないかと少し警戒していたが、とうとう我慢できなくなって、ストローに口を付けた。
「……ん! 美味しい……!」
しゅわしゅわと溶けていく炭酸の後からラズベリーの甘酸っぱさが追ってくる。その美味しさにほっとして息を吐くと、店員さんが「良かったです、気に入ってもらえて」と言った。
電車が来るまでまだ時間がありそうだったので、すっかり肩の力を抜いた私は、店員さんともう少し話してみようと思った。
「あの……」
「はい」
「どうして、この駅で店をやろうと思ったんですか?」
「ああ……うーん、自分でもよく分かんないですけど……居心地が良い、からですかね」
「居心地が良い?」
「はい。私、なんかこういうジメッとしたところ好きなんですよ。人通りもたまにあるくらいで丁度良いし、こうしてお客さんも来てくれますし。まぁ、もっとお客さんが来てくれたらなぁって考えることもありますけどね」
気怠げに淡々と語るこの店員さんに、私はいつの間にか、ほんの少し、惹かれていた。
「……お客さんは?」
「え?」
「お客さんは、どうしてこの駅に来たんです?」
「あ、えーと……実は私、学校から帰る途中で……」
私は店員さんに、電車で居眠りしている間に降りるはずの駅を乗り過ごしてしまったことを話した。
「大変ですね。ここ電車あんまり来ないんで、次の電車には乗り遅れないようお気をつけくださいね」
その言葉は少し、優しい声に聞こえた。
「ありがとうございます……」
私は真正面から目を合わせるのが恥ずかしく、思わずぺこぺこと頭を下げた。
「……あ、そうだ、お会計」
「ラズベリーソーダでしたね。五百円です」
そして会計を済ませると、店員さんはホームの方をちらりと見た。
「……電車、もうすぐ来ますよ」
「ありがとうございます!」
私がお礼を言ってホームに駆け出そうとすると、店員さんから「あの」と呼び止められた。
「お客さん、スマホ持ってますよね? もし良かったら、後でこの店の宣伝お願いしても良いですか? SNSで発信してもらっても大丈夫ですし」
「えっ?」
でもこのお店は私が住んでいるところとは別の世界にあるみたいだし、宣伝したとしても店名や、行き方を教えることもできない。
「ああ、店名や場所は詳しく書かなくても大丈夫ですよ。ただ、こんな場所にこんな店があったって、感じたことをそのまま書いてくれれば良いんで。私たちにとって一番大切なのは、お客さんの口コミですからね。どうか、ご協力よろしくお願いします」
店員はどこか楽しげな口調でそう言った。
「分かり、ました」
そう答えている私の後ろで、がたんごとん、という音が横に流れていく。ぷしゅーっという音に振り返ると、電車がホームに止まっている。
「店員さん、本当に、ありがとうございました」
「いえいえ。もしうちの店を気に入ってくださったんなら、ぜひまたジュース飲みに来てください。お待ちしてます」
申し訳ないけど、またここに来るのはちょっと……と考えたその時、「あぁ、そっか。そりゃそうですよね。すみません」と店員さんが笑った。
なぜか背中がひんやりと冷たくなって、私は逃げるように、電車の開いたドアに駆け込んだ。
その後、電車は無事に降りるべき駅に到着した。あの駅を離れてからは、スマホがいつも通り使えるようになった。そうなるとやはりあの駅は『異界駅』だったんだと実感して、戦慄したのを今でも覚えている。
さらに不思議なことに、駅を乗り過ごしていたはずなのに、いつも帰宅する時間からさほど時間は経っていなかった。だから、その日は帰宅してお母さんに怒られることも無く、心から安心することが出来た。
自分の部屋に入ると、私はさっそく、今日体験した不思議な出来事をSNSに投稿した。両親に話してもたぶん信じてくれないだろうし、この出来事をとにかく誰かと共有したかったのだ。
異界駅でジュース屋さんを見つけたこと。そこで働く店員さんがミステリアスで美しかったこと。ジュースが美味しかったこと。それから、そうだ、貰ったお土産のことも書かなくちゃ。
私は制服のポケットからハンカチを取り出した。花柄の可愛らしいハンカチ。何気なく見ているうちに、ふと、あることに気がついた。
新品じゃ、無い。
ハンカチの表面にわずかに汚れが付いている。さらに、お店の中にいる時は果実の香りが強すぎて分からなかったが、鼻を近づけると香水の香りがする。このハンカチは……いや、ハンカチだけじゃない。あのかごの中に入っていた腕時計もネクタイも全て、お土産というより、もともと誰かが身につけていた物のように思えた。
(じゃあ、いったい誰の……)
納得のいく答えを考えようとしたが、結局、私はそこで考えるのをやめた。あの駅について、あのお店について、これ以上踏み込んではならない気がして。
ただなんとなく、「無事に戻って来られた自分は、たぶん運が良かったんだな」と思った。
〈おしまい〉
