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天才数学者が「AI伝道師」になった日——テレンス・タオと数学の新しい地図

2014年、数学界で最も権威ある賞のひとつ「ブレイクスルー賞」の授賞式で、5人の受賞者が哲学談義を繰り広げていました。「数学は発明か発見か」「私たちはデジタルシミュレーションの中にいるのか」——そういうちょっと奇妙な話題です。

でも、ひとりの発言だけが会場をどよめかせました。テレンス・タオです。

「いつか、数百人の数学者が一つの問題を協力して解く時代が来る。証明の正しさを確かめるのは、人間の査読者ではなくコンピュータになるかもしれない」

シミュレーション仮説より非現実的、と笑われたそのアイデアは、12年後の今、静かに現実になりつつあります。


2歳で「先生」をしていた少年

タオは1975年、オーストラリアのアデレードで生まれました。まだ2歳のとき、6歳の子どもたちに積み木で数の数え方を教えていた。7歳で微積分を学び、10歳で数学オリンピックに出場して史上最年少の銅メダリストに。翌年は最年少銀メダル、その翌年は最年少金メダル。15歳で地元の大学を卒業し、17歳でプリンストン大学の博士課程へ。

著名な数学者ポール・エルデシュが書いた推薦状には、こんな一文があったといいます。「きっと第一級の数学者になるだろう。ひょっとすると、本当の意味での偉大な数学者に」。エルデシュの目は正確でした。タオは2006年、数学界のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞を受賞しています。


「一人天才」ではなく「みんなで数学」

天才と呼ばれる人ほど孤独に研究するイメージがありますが、タオは違います。「自分の知識とあなたの知識を組み合わせたら、何が生まれるか」——そういう発想で、流体力学、整数論、MRI画像処理まで、驚くほど幅広い分野で他者と組んできた人物です。

タオが2007年に始めたブログでは、研究の途中経過を日常的に公開し、コメント欄での議論を楽しんでいました。

同じ頃、数学者ティモシー・ガワーズが「ポリマス・プロジェクト」を立ち上げます。数学の未解決問題をオンライン上に公開し、誰でも参加できる大規模協働を試みたもので、タオはすぐに飛びついた。

最初のポリマス・プロジェクトでは、数十人の数学者たちによる数千件のコメントを経て、「ハレス・ジュエット定理」と呼ばれる結果をより精密に証明することに成功し、「D.H.J. Polymath」という共同ペンネームで論文として発表されました。

ところが、この実験には根本的な問題がありました。参加者が増えるほど、誰かがミスを紛れ込ませるリスクも高まる。そのチェックを人間がやるなら、結局は担当者ひとりに負担が集中してしまう。タオは「コンピュータによる自動検証がなければ、本当の意味での大規模協働は成り立たない」と感じ始めます。


コードで書かれた「証明」との格闘

2022年、タオはコンピュータ支援数学のワークショップを主催し、「Lean」というソフトウェアを本格的に意識するようになります。Leanは、数学の証明をプログラムのコードとして記述し、コンピュータが推論の正しさを厳密に確認してくれるツールです。

2023年10月、タオはSNSで宣言しました。「ついにLean4を使ってみることにした」

最初に選んだのは、ある不等式の証明。論文にすれば10ページのシンプルなものでしたが、Leanでの記述には結局1ヶ月かかりました。人間なら当然のこととして省略する「3より大きい数が3つあれば合計は少なくとも9だ」という自明な事実も、コンピュータには一つひとつ丁寧に説明しなければならないのです。

出来上がったコードはタオ自身が「ひどい」と認める代物でしたが、これが転機になりました。

その直後、タオは仲間と証明したばかりの「多項式フライマン・ルザ予想」——数の集合の中にひそむ規則性に関する長年の難問——をLeanでフォーマル化するプロジェクトを公開で立ち上げます。

Quanta Magazineの記事(2026年6月8日付)によると、

「誰でも参加を」という呼びかけに世界中から研究者や学生が集まり、タオ自身はほとんどコードを書かずに全体の方向付けに徹し、数週間で証明全体のフォーマル化が完了しました。


2200万件の問いに挑む「実験数学」

2024年、タオは「Equational Theories プロジェクト」を始動させます。代数の法則どうしがどう関連するかを全部洗い出す——確認すべき論理的な含意は、なんと2200万件。個人や小さなチームではどうにもならない規模です。

でも、AIと自動証明ツールを使った大勢の参加者が動き出すと話は変わります。開始わずか48時間後、タオは「こんなに速く進むとは思っていなかった」と驚きを隠せない様子でした。最終的に99%以上の問題が解決されただけでなく、誰も見たことのない「マグマ・コホモロジー」と呼ぶべき新しい数学的構造まで発見されました。


数学が「実験科学」になる日

タオが描く未来の数学は、現代の物理学に似ています。かつて物理学は少数の理論家が孤独に考えるものでした。それが今では、CERNの大型加速器実験のように、何百人もの専門家が役割を分担する科学になっている。数学にも、そういう「実験的」な側面が育ちつつある——そう彼は信じています。

タオは現在のAIを「自信過剰な学部生のようなもの」と評しています。最前線の数学を単独で解けるわけではない。しかし、AIを使って簡単なサブ問題を大量に片付け、難しい核心部分は人間が担い、Leanがその成果を厳密に検証する——そういう三者の連携なら話は別だ、と。

2014年に「非現実的だ」と笑われたビジョンは、かたちを変えながら動き出しています。「わからない」が「面白い」に変わる瞬間は、もはや一人の天才だけのものではない。タオの挑戦は、数学という営みをもっと広く開こうとする試みでもあります。


参考記事

〇How Terry Tao Became an Evangelist for AI in Math(2026年6月8日)

〇Mathematical Beauty, Truth and Proof in the Age of AI(2025年4月30日)

〇'A-Team' of Math Proves a Critical Link Between Addition and Sets(2023年12月6日)


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