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ボタニカルアート・生きのびたツツジ達

「錦繡枕」によって記録されたツツジ達は
四百年後の現在 そのままの姿で生き残っているでしょうか?
2026年4月 各地の植物園をたずねてみました。 まついあけみ        


霧 島 キリシマ

霧 島
     

ツツジをこんなにじっと見つめたのは
初めてです。
“霧島”にかぎらずツツジの雄しべの先は
2本の徳利を背中合わせにした様な
とても面白い形をしています。
しかも花粉は壺の口から白い泡が
吹きこぼれるように排出されます。
また雌しべのてっぺん(柱頭)は
五個のハート💖形の塊りからできていて 
ことのほかベタベタしています。
まるで「花粉 のがさないわよ!」
との意気込みが感じられるようです。
“霧島” は伊兵衛がもっとも
大切にしたツツジで、
彼の中でツツジの基本形となった
品種です。
『錦繡枕』では第一巻の冒頭に
掲載されています。

錦繡枕 巻之一




りゅうきゅう

りゅうきゅう

伊藤伊兵衛はこの “りゅうきゅう”
には相当な思い入れがあったようで
この木に関してのエピソードを
下記のように『錦繡枕・巻之一』
に長い文章で記述しています。
この時の伊兵衛のように
江戸時代の園芸家は頻繁に
野山を歩き回って珍しい花木を
探していたと思われます。

錦繡枕 巻之一(1-27)

現代語訳:りゅうきゅう
この木は、さし木にすると良く根がつきますので、
どんな土地にでも無いということはありません。
花は白の大輪でありますが、わざわざ言うまでもないでしょう。
それゆえこの木を台木にして、いろいろのツツジやサツキを
接ぎますとよくつきます。
しかも木の精力がいつまでも強いといわれています。
近頃、八王子というところへ行きました折、
家の土産に蕨など折って帰ろうと思い、山の奥の方へ行ってみました
ところ、小さい藁屋がありました。
このような場所に人が住んでおられるのであろうかと
訝しく思いながら近寄ってみましたら、そこは農家で、
家の軒の下あたりに此の木が植えてありました。
試みに
「この花はなんというのですか?」
と声をかけましたら、
髭を拭いつつ農夫が出てきて、
「この花の名前を知らないのかね?あなたの方にもあるだろうに。
りゅうきゅうツツジというのだよ」
と答えられたので、もっともだと恥ずかしくなり、
言い訳がましく
「いや、その、、、
江戸の方には花がたくさんあります
のでしっかりとは覚えておりませんので、、
ところで今年の作柄はよいでしょうね?」
などと言い紛らして早々に立ち去ったのです。



れんげつつじ

れんげつつじ

『錦繡枕・巻之三』にこの花の色は 
「かわらけ色」とありますが
なるほど素焼きレンガのような
黄茶がかった朱色です。
ちなみのこの花は毒性が強いといわれています。

錦繡枕 巻之三(3-20)

しかしながら、上記の記述に
「くちばのように」という文言があるとおり
“くちば” 項目を参照すると、まさに
この “れんげつつじ” のことを言って
いるようです。
元禄時代の当時としては 
もともと一つの “れんげつつじ” を
“くちば” と “れんげ” に
むりに分類したのではないかと思われます。
“くちば” の記述は下記のとおりです。

錦繡枕 巻之三(3-17)

現代語訳:くちば
花の色は黄色で、大輪である。
私の記憶では、つつじ・さつきの中に 黄色の花はこれの他にはない。
ならば「本草綱目」に有毒とある「羊躑躅」はこれなのであろう。
時珍は
「枝は少ない 一枝に萼(花)が数枚(数花)つく」
と言っている。
誠にこの花は 一枝に集まって咲きレンゲ草のようである。
私が かつて駿州の富士山へ詣でた折の帰り道 
すそ野にこの花がいっぱい咲いているのを見た。
先立に名をきいてみると
「黄れんげ」とのことであった。
よくぞ言い表わしたものである。
時珍が
「これは山や谷のところどころに有る。
高さは四五尺から一二尺のものもある」
と言っているが、まったくそのとおりである。
天竺にあるという伽羅毘羅樹も是に似ているのであろうか。
葉の形は図の如くで 冬には落ちる。







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