海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー12
第12話 見た目がいいと天まで味方するのかね
まだ暗い時間に二隻の船は動き出した。
一隻はドレファン一家の中型帆船ドレイク号。
もう一隻はそれよりもかなり小さい、けれど重厚な意匠の高級中型帆船だ。
「年代物のたっかそうな船だねぇ、よく王家の船が残ってたな」
海の国の国旗を掲げるそれをしばらく見詰めたシーアは、そう実にしみじみと感嘆のため息と共に讃えた。
出航の朝、シーアの言葉通り雨は止んだ。しかし舳先の視界も定かではないほどの濃い霧が立ち込めていた。
従者姿の男達が悪天候に表情を険しくする中、当然のような顔をして王家の船に乗りこんだシーアはそれらを歯牙にもかけず操舵士に指示を出した。
「もう少ししたら合図を出すからここから港に向かって移動しろ」
速度まで詳細に指示していた。
十八の小娘にそこまでの発言を許しているのは、レオニーク・バルトンの態度だ。彼は彼女に全幅の信頼を寄せているかのように見えた。
「えらく細かいな。何かあるのか?」
着替えを済ませ、髪を整えた相棒のその姿をシーアは上から下まで一瞥した。
濃紺の詰襟の上下。襟や袖には金の縁取りが上品に走っている。
筋肉がついた均整のとれた体つきに正装を纏い、精悍な顔立ちに凛としたたたずまい。それは性別を問わず目を惹きつける見事な物であった。
高級船の船室から彼がその姿を現した時、オーシアンからの迎えもドレファン一家の船員も皆一様に息を飲んだ。
彼の纏う空気が変わっていた。
そこにいたのはレオンという親しみやすく仕事の出来る仲間ではなく、レオニーク・バルトンという一人の男。
それは彼が覚悟を決めた事によるものが大きいのだろう。
船員達が驚きに言葉を失う中、シーアはしみじみと心中でごちた。
やっぱ人間、見てくれだよなぁ━━
そして自然と口元が緩むのを自覚する。
「サシャも見たかっただろうな、その王子様姿」
そう軽口をたたいた。
無邪気に自分を慕ってくれるサシャに挨拶出来ない事に気付いて顔を曇らせたレオンに、シーアは思いがけず安堵を覚える。それはシーアの知っているいつもの相棒の態度だった。
そんな彼に、シーアはウォルターから預かっていた短刀を差し出す。
柄頭には王家の紋章。
「いきなり砲撃されるような事はないだろうから、お前は堂々としてろ」
いつも通りの自信に満ちたシーアの力強い口調に、レオンははやる心がすっと落ち着くのを感じた。
同時に差し出された短刀を一瞥し、あっさりと決断する。
「まだ半分ほどしか謝礼を払っていないんだ。これは借金のカタに預かっておいてくれ」
シーアは不審気に眉間に皺を寄せて微かに首を傾げ、それからドレイク号を見上げる。こちらを見下ろしているウォルターと目が合った。
ウォルターは読唇術に長けている。こちらの話も把握している可能性が高く、何か指示があるかと思ったが養父は特に何の反応も示さなかった。
「……じゃ遠慮なく」
一瞬逡巡したが結局シーアは、短刀を背中側のベルトに差した。
それから空と、ぼんやりと明るくなってきた水平線を見やる。
「よし、ばっちりだ」
嬉しそうに目を細めて頷くその口元には、実に満足そうな笑みがあった。
「すぐに霧が晴れる。今日は金の海が見られるぞ」
レオンはその言葉に目を剥いた。
それは、半ば伝説と化した海の現象の通称だ。それを聞いたオーシアンの船員達も動揺を隠す事なくざわつく。
「まさか」
「何を根拠に━━」
もはや誰よりもシーアの能力を把握しているレオンでさえも、目を見張って唸る。
「それは━━すごいな」
思わず半信半疑の響きが滲んだ。
条件が整う事で出現するオーシアン特有の自然現象である「金の海」。
前回の出現は20年も前になる。
当然、彼女はその現象がいかなるものか知らないはずだ。
それでも断言するというのか。
「この間あっちから見てきたからな。ここから出発すれば太陽に重なって逆光になる」
レオンは耳を疑った。
あっちから見てきた━━?
「そろそろ戻るわ。じゃあな」
シーアは本当に軽く、恐ろしいまでにあっさりとそう言ってメインマストの梯子に手を掛ける。
こちらの船の方が小さいため、マストの上からドレイク号の甲板に戻るのだろう。
「シーア!」
その右手をレオンが慌てた様子で掴んだ。
男の手で掴むと、彼女の手首はずいぶんと華奢に感じられる。その右手首には、かつて船底の穴に突っ込んだ際の傷が一周ぐるりと残っている。
「スミス一家の船で帰った時、オーシアンに行ってたのか?」
シーアの動向を把握していないのはあの時だけだ。
あの時の行き先を知らされていないレオンは、衝撃を隠せなかった。
「これからって時にそんな顔すんなよ。あんな立派な港が廃れるのはもったいない。言っただろ、一番好きな港なんだ。頑張れよ、王子様。楽しかったよ。わたしに出来るのはこれくらいしかないからな」
彼女は肩をすくめ、晴れやかに言った。レオンの手が緩み自然と放された右手で、こぶしを作ってレオンの厚い胸を小突いた。
すぐにマストを登ると、帆を張る横棒の先端まで軽快に歩く。そこからまだ高い所に位置するドレイク号のマストから投げられたロープを掴む。
ざっと長さを調整してからヤードからひょいと飛んだシーアは、そのまま振り子の原理で一瞬にしてドレイク号の甲板へと姿を消したのだった。
レオンが見上げたドレイク号の船上には、ドレファン一家の船員達が見送りに並んでいる。
ウォルターの隣に並んだシーアを見て、レオンは言葉を探すが何も言えなかった。
代わりに姿勢を正すと胸を隠すように右腕を上げ、上体を前に倒す。
それはオーシアンの男性の最敬礼だった。
感謝しても、し尽せない。
王家の血を引く男のその姿に答えるように、ドレファン一家の船員達は雄叫びのような喊声を上げ、一斉に船の縁を叩き続けた。
高揚を表わし、自らを鼓舞するために行うその行為は彼等からの励ましであった。
顔を上げウォルターと目を合わせれば、彼はなぜか自信ありげな微笑を浮かべた。
レオンは瞼を閉じてもう一度、一礼する。
それから隣のシーアを見やれば、彼女は船長を務めるオズワルドに目を向け頷いてから右手を上げて空を切ったところだった。
出航が合図された。
レオンに視線を移したシーアの手が揺れる。
ドレファン一家の手話は状況説明と、取るべき行動の指示がほとんどだが、一つだけ感情を意味する動作があった。
<あなたにいい風が吹きますように。航海の無事を祈ります>
そんな思いが込められた手話だ。
そこにいつもの笑みはなく、ただ真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに、美しい空色の瞳を見つめていた。
そしてレオニーク・バルトンを乗せた船は動き出した━━
太陽が水平線から半分ほど顔を出したところで、風が変わる。するとまるで魔法でも使われたがごとく瞬く間に霧が晴れた。
同時に、凪いだ海面が太陽の光を受けて一面金色に輝く。
早朝にもかかわらず港に集まった多くの人間が、目を疑い、驚愕に言葉を失う。
そしてその美しさに、その奇跡に、震えた。
朝日の中心にオーシアン王家、最後の王族が乗る船があった。
太陽が昇るとともにその姿が克明に現れる。
何か予兆を感じさせるその光景に、世界屈指と言われる海の国オーシアンの港に歓声が沸き起こった。
◆◇◆
「今更だけどさ、見返りって何だったの?」
シーアはオーシアンの港の方を向いたまま隣の養父に問うた。
レオニーク・バルトンを乗せた船が動くと同時に、ドレイク号は霧に乗じてその海域を離れた。
奇跡の光景の邪魔になるからだ。
船員達はちらりと気遣わしげにシーアの様子を見てから、そ知らぬふりをして持ち場に戻って行く。
残念ながらドレイク号の位置からは「金の海」はほとんど見られなかった。それほどに「金の海」を目にする条件は厳しいものであった。
「あぁ」
ウォルターは「言ってなかったか」と思い出したような声を上げる。
レオニーク・バルトンは報酬は約束出来ないと、はじめに素直に告白した。
巻き込むことが前提であるがゆえ、虚言で騙す気はなかったのだ。
それがあの男の長所であり短所だったな、そうウォルターは微笑する。
「船に乗ってる間はお前のおもりを頼んだ。残り半分はあいつが船を降りて、上手く実権を取り戻した後でって話になってる」
シーアは絶句して、隣でオーシアンの港の方角を見詰めている養父の表情を確かめる。
「二人とも太っ腹だな」
大した事じゃないとでも言うような養父の様子に、シーアはそうため息をついた。
報酬が受けられない可能性があるにもかかわらず、レオンの願いに応じたウォルター。
対してこちらの要求が如何様なものになるか分からないにもかかわらず、報酬を約束したレオニーク・バルトン。
下手な契約よりも危なっかしい。
そんなものにあいつは応じたのか。
二人ともなんてリスクの高い契約を結んだのだろう。
とはいえ━━どっちもどっちか。
シーアは呆れた。
ウォルターはレオンが王子として授けられた教育をシーアに伝授する事を望んだ。
こんな機会はまずお目にかかれない。
謹厳実直なレオンにしてみれば、それだけでは到底報いられないと考え、反乱に関与させた負い目をずっと抱えていた。
自分が敗北すれば、ドレファン一家は反逆者に手を貸した罪人として追われる事になる。
自身のためにも、自国のためにも、そして恩人であるドレファン一家に害が及ぶのを防ぐためにも━━圧倒的な勝利者でなければならない。
大した男だよ。
ウォルターは内心そう唸る。
本当にもったいない。ああいう男が娘達と一緒になってくれたら、どんなに良かっただろう。
「逃した魚は大きかったんじゃないか? 惚れてたんだろ?」
揶揄するように言ったウォルターに、シーアは目を瞠って何を言われたか分からないと言うような表情になる。
思案を巡らせて養父の真意を読み取り、今日くらいはいいかと応酬した。
「あいつに惚れない人間なんていないだろ。父だってベタ惚れだったじゃないか」
今シーアの胸中にあるのが「惚れた男と離れた女の心境」ではないことは確かだったが、否定すればするほど養父を喜ばせるのは目に見えていたのであえて否定はしなかった。
案の定ウォルターは楽しそうにしている。
「魚なら逃がさない。わたしを誰だと思ってるんだ?」
強気に言ってからふと力が抜けたようにシーアは笑う。
「でもまぁ、陸の生き物は専門外だから、さ。ハナから狙わないって」
はじめから分かっていた。
彼は陸に帰る人間だと。
だから、いたずらに意識してはならないと無意識下で制御していたし、成功もしていた。
けれどそれこそが一つの事実を導き出すことに、彼女はまだ気付いていない。
「死なないといいな」
シーアはポツリと言って踵を返す。
今の彼女にあるのは、それだけだった。彼女にしては珍しい力のこもらない声に、ウォルターは養女の漆黒の頭に手を乗せる。
「あれだけド派手な演出されたんだ、これで失敗したらいい面の皮だろうよ」
ウォルターは無為な気休めを言うような人間ではない。そう言った彼の顔には穏やかな笑みがあり、シーアは少しだけ憂いが緩和された。
成功を願う他、出来る事はもう何もない。
奇跡の海原から帰還したレオニーク・バルトンは半年足らずで王位を復活させ、議会との共同執政の確立に成功する。
表向きは平和的解決だったという。
彼は海の国オーシアンの王となった。
※※第一章 完※※
