海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー<10>
第10話 誰も彼も理解できない。
「で? どうやってあいつを国に帰すつもりなんだ?」
決して広くはない船室に入るなりそう尋ねたシーアに、ウォルターは怪訝そうな顔を浮かべた。
「え? お迎えが来るから引き渡すだけだけど?」
少しの沈黙が落ち、刹那シーアは思わず吠える。
「無事国まで送って、あわよくば政権を取り戻すってのがあいつの依頼じゃなかったのか!?」
「そんな重大な仕事なら船員にも説明するだろうが。他国の政治ってのを見たいって言うから乗せただけだ。帰る時は自分で勝手にどうにかするだと」
「だったら始めにそう言えよ!」
「言ってなかったか?」
ウォルターはしたり顔で笑った。
嬉しそうな顔しやがって。そう余計に腹が立つ。
「聞いてないから言ってるんだ! だったらわざわざ海の国に行かなくても良かったじゃないか!」
骨折り損にも程がある。
「なぁ? 勝手に勘違いしてそんなトコまで行って、なおかつ海賊船に乗って帰って来ちゃうとか。ほんと何やってんだ。お前にしか出来ないわ」
ウォルターはそれは愉快そうに、満足そうに笑っていた。
「……心配とかしないわけ?」
「海にさえ入りゃ、お前は逃げ切れるだろう? 勝算があるから行ったんだろうが。いつも言ってるよな。命あっての物種だって。ま、正直そこまでお前が突っ走るとは思っちゃいなかったんだが。そこまで仕事に命かけるとはなぁ」
にやにや笑いは止まらなかった。
この養父に何を言っても無駄か━━シーアは諦めたように嘆息した。
そこでふと「仕事?」と内心首をかしげた。
なにか、腑に落ちない。
確かに仕事にしては向こう見ずで危険すぎた。
普段ならそこまではしない気がする。
今回のような仕事の仕方は、彼女自身も良しとしないやり方だ。
「で、どうだった?」
ウォルターの態度が一変した。
目を伏せるようにして物思いに耽っていたシーアも顔を上げる。それまでとはうってかわった、ウォルターの真剣な眼差しに射貫かれた。
「━━なかなかひどかった。どこも陰気だし、どいつもこいつもすごい目で見てきやがる。港も閑散として目も当てられない。内乱を警戒してまっとうな船は入って来ないんだろうな。金で雇われた怪しげな船ばっかりだったよ」
シーアは惨状を思い出し、大きなため息をついてから一度に言いきった。
スミス一家もそんな風に雇われた船の一つだった。
海の国の議会の高官連中は贅沢をしたがっているが、船は入って来ない。
嗜好品が不足し、値は跳ね上がっていた。
供給不足、需要過多の悪循環に陥った市場は商人にとっては垂涎ものだが、自分の船を危険にさらすのは避けたい。そこでドレファン一家のような半商半賊や、スミス一家のようなまだ良識があると思われる海賊に運ばせるのだ。
入国を厳しく管理しているつもりだろうがオーシアン内の商人が手引きして海賊船を招き入れ、出入国を管理する官僚達は賄賂を得て見て見ぬふりをする。
海賊への謝礼は高額にはなるが、それを払っても惜しくないほどの暴利が得られるのだ。
それは港だけではなく陸路の関所でも同様で、まともな商人の代わりに入ってきた胡散臭い連中のせいで治安も乱れていた。
おかげでスミス一家の船でオーシアンを出国する羽目になってしまった。
世界有数の港である。
港に行けば馴染の船の一隻もいるだろう。金を出してそこに便乗して出国しようと思っていたのに、いたのは女一人で乗船なんて冗談でも考えたくないような怪しげな船ばかりだった。
海賊船に乗った方がマシって、よっぽどだぞ。
シーアは心底呆れたものだ。
「そろそろ、なんじゃないの?」
チラリと養父を伺う。
これ以上先延ばしにしても状況は好転しないだろう。むしろ悪化の一途をたどるのは目に見えている。
「天下のオーシアンの港が、落ちたもんだな━━もうすぐお迎えだそうだ」
シーアはウォルターの言葉に頷いてから、眉間に皺を寄せた。
「あんな面倒な国にわざわざ帰ってやるなんて、酔狂にもほどがあるな」
相棒の考えを解せない様子でごちたのだった。
オーシアン最後の王族レオニーク・バルトンの帰還。
それは突如、オーシアンに大々的に広まったのだった。
◆◇◆
「ギル。髪を切ってもらいたいんだが、頼めるか?」
数日したある朝、ひげをきれいにそり落としたレオンがギルに声をかけた。
「レオンか……誰かと思った」
一瞬目を剥いたギルは動揺した様子で言ってから、からかうように続ける。
「顎だけ日焼けしてねぇじゃないか、だからたまには剃れって言ったんだよ」
ひげの色素も日焼けで薄くなっていたため、近くで見る分にはそれほど気にならないが、遠目に見るとそれと分かるほどで、やはり不格好だった。
「整えるんだろ? 前髪はちょっと長めに残すか」
事も無げに言って取り掛かかる。
いつもは「どうせすぐ伸びるんだ」と船員達の髪はザクザク切ってしまう彼だが、今日は何度も離れて様子を確認しながら丁寧に髪を切って行った。
船員の誰もが、レオンの出立を知っている様子であったが、誰も何も言わない。それがさも自然だというかのように、受け入れている。
よそよそしささえなかった。
髪を切り終わった時、話を聞きつけて面白がって集まっていた船員達から小さなどよめきが起きた。
整った造形に精悍な顔つき。
これをずっと隠していたのか、嫌味にも程があるだろう。
ちょっとした人だだかりに足を止めたシーアもひょいと人の輪を覗きこみ、集まっているのならちょうどいいとばかりに船員達に告げる。
「これからジキタスの港に向かうってさ」
ソマリよりも西のジキタスの港で、迎えとの合流が決まっていた。
ひげを落とし、髪を切って顔が見えるようになったレオンを見て、シーアは実に嫌そうな表情を浮かべる。
「せっかくの男前が台無しだな」
彼女も呆れた体で言い放った。彼女が容姿に対して褒めるような事を言うのは初めての事であり、レオンは居心地の悪さを感じるとともに困惑する。
もう相棒ではないと、言われたような気がした。けれどそれはまったくの杞憂であった。
「ちょっと塗っといた方がいいぞ。陸に上がる前になんとかしてやるよ」
からかうように、小馬鹿にするように言ってシーアはいつものようにニヤリと笑んだのだった。
レオンが髪を切り終えたあと、二人は大量のジャガイモの皮を剥いていた。
今なお続く、シーアの単独行動の罰を連帯責任で負わされた結果である。それについてはレオンももう何も言うまいと思う。
しかし、こちらは。
レオンは目の前の相棒を盗み見た。
なんと言ったものか、なんと言われるか。
言うべきか言わざるべきか、そもそもどこまで知っているのか━━そんな事を欝々と考えていると、ふとシーアが手を止めてレオンに目をやった。
大きな手が器用に動いている。
長い指は形もきれいだと思う。
何をしても様になる男だ━━
たとえイモの皮剥きでも。
「王子様が皮剥きねぇ……」
シーアはポツリと言うと、また視線を落として作業を再開した。
しばらく二人は黙々と作業を続け━━やがて肩が震え始める。
そしてどちらともなく「もう限界だ」と言うように吹き出した。
「おっまえ、こんな事ばっか覚えてなんになるんだよ。もっとちゃんと他に色々覚える事あっただろ。遊学だって言やこっちだってもう少し考えたのによ。三年も無駄にして何やってんだよ」
シーアはまくし立てて大笑いしていたが、それは本心だった。
「まぁ、これなら潰しも効くだろ」
ジャガイモを弄びながらレオンも笑って肩をすくめる。
「それに、船長には充分すぎるほどよくしていただいた」
シーアの養父もまた統治者である。そんな養父がレオンにこれまで見せてきたもの。
レオンが不意に見せた真摯な眼差しに「なるほどね」とシーアも納得する。確かにこの三年、あらゆる国風の地を巡った。
飄々としていながら実は警戒心が強く慎重な養父が、普段なら絶対に近寄らないような戦場に近い地にもレオンとシーアを使いに出す事があった。
あまりの惨状に二人してしばらく食欲を失う羽目になったが、あれは彼に見せる事に意味があったのだろう。
とばっちりだったのかよ。傍らで相変わらず手を止めない男の顔をちらりと見やる。
「料理屋でもやるつもりかよ」
「それもいいな」
実に手際よく皮を剥く様子を鼻で笑って茶化すシーアに答えながら、レオンもまた本気でそう思った。
「作ったものをうまそうに食べてもらうのは好きだし」
「そうだよな、お前もともと料理上手だよな。隠居してる間に覚えたって事だろ?」
「近所にうまそうに飯を食べる奴がいてな。よく食べせてたんだ」
レオンは珍しく過去の話をした。思い出したのか、とても穏やかな顔で語るその様子にやや戸惑ったシーアは畳みかけるように続ける。
「そもそもお前、もうちょっと偽名ひねろよ。バレバレじゃねぇか」
シーアはけらけらと楽しそうに笑い、そうしていると年相応の若い娘にしか見えない。
「船長に本名を名乗ったら、偽名について相談する間もなくみんなに紹介されたんだからしょうがない。あれには参った」
本名を明かしたのはレオンの誠意だった。
しかし、海王は何のひねりもない通称をつけて船員に紹介してしまい、他の偽名に変更など出来るはずもない状況に追い込まれたのだ。
それは━━シーアは表情に同情の色を浮かべるとともに、「身内がとんだご迷惑を」と養父の破天荒さをつい詫びたくなった。
『王子様とかは出来過ぎだろう。おとぎ話じゃあるまいし』
さすがにシーアもはじめはそう思っていた。しかし時間が経てば経つほど、そうとしか思えなくなった。
彼女ははさらりと尋ねる。
「なぁ、お前なんで帰るの?」
さっぱり理解できないという態度だった。
「責任感じてんの?」
もしそうなら、きっともたない。
シーアは冷淡なまでに結果を予測した。
十五歳で王政維持か、議会制への変革か。
その判断を迫られるなど、正直言って同情する。
レオンに出会ったのはシーアが十五の時だった。
彼を海王に会せるか否か、その判断でさえ途方に暮れたのだ。
それを国の将来を左右するかのような重大な判断を任せられ、その結果の責任まで負わされる。
それが王族というものなのだろうが━━自己犠牲なんて、海に流してしまえと考えるシーアの問いは率直すぎて、レオンは誤魔化す気も起らなかった。
「逃げて隠れて、見つかる事に怯え続ける暮らしなんてごめんだからな」
顔を隠す物がなくなり、容赦なく晒される魅力的なそれは抜き身の剣と同じで、とても危険で厄介なものだとシーアは思った。
突然の国王崩御のあと、議会派の人間達から理想的な改変を諭されたレオン。一五歳の彼は国民の為になると信じて議会に政権を譲り渡した。
無知な子供のその判断をあざ笑うかのように見る見る国は荒れ、王政派の残党が復権を訴えて接触してきた。
責任を感じ、国を憂いていた若き王子が彼らと状況の改善を模索し始めたその矢先。
彼は議会に暗殺されかけたのだった。
