海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー32
第32話 なつかしい遊びを
式典が始まる正午を前に北の台地の王弟はオーシアン国王と並んで席に着く。両国の友好な関係を表わすための流れだ。
レイスノート王弟は40代半ばのはずだが痩身のため実年齢溶離も年嵩に見えた。目つきが鋭く、全体的に神経質そうな雰囲気があった。
レオニーク・バルトンの隣にはもう一席、少しだけ後ろに下げられた位置にいつまでも埋まらない空席があり、レイスノートの王弟は昨夜の歓迎の夜会で紹介された「海の国の黒真珠」の席だろうと判断した。
不意に「海の国の黒真珠」を一目見ようと早くから港に集まった人々からどよめきが沸き起こる。
沖に現れた、横に帯状の黒い影。
式典に出席していたカリナ・クロフォードもまた息を飲んだ。
北の山岳地帯の麓で羊飼いの娘として育った彼女は目がいい。そして羊を数える習慣のため一瞬にしておおよその数を把握出来る特技を持っていた。
その数50隻からなる船隊は大きさも様式も異なっていた。
衛兵達が直ちに貴族や来賓の異動を促し始めるのを見たカリナは、再度沖へと目をやる。
あぁ、やはりあれは商船などではないのだ。
入り江の出口を完全に封鎖する形でその船隊は船を進めた。
式典会場となる入り江には今回の主役となる進水式に備える軍用船と、港を飾るよう中型から大型の軍用船とそれよりも小さい機動力に優れた海軍の船が並んでいる。
そして沿岸にはずらりと並ぶ移動式の砲台。
式典の見栄えのために整然と並べられたそれらではあるが、有事の際にはいつでも稼働出来るはずだ。
そんな時になぜ大挙して押し寄せたのか━━
そしてなぜ、オーシアンの海軍は動かないのか。
カリナは軍事に関しては全くの無知と同じであった。
素人だからこそ、ごく当然の疑問を抱きながら避難の案内に従う。直後、彼女の疑問はすぐに払拭された。
海の無法者達の船に国王の婚約者シーア・ドレファンが捕えられている━━
その噂は瞬く間に港に集まった人間に知れ渡り、会場は騒然となったのだった。
レイスノートの王弟はそれをレオニーク・バルトンから直接聞かされた。
「彼女は海にいた頃を忘れられないのか、時々船に乗って漁などに出ていたんです。このような事態になってしまってお恥ずかしい。すぐに片付きますから、どうぞご安心を」
我が国の力をお見せします。
レオニーク・バルトンの態度は落ち着き払い、余裕さえ感じさせるものだった。
何を、言っている。
レイスノートの王弟は想定外の状況に動揺し、混乱した。
その女は昨夜の夜会に出席していたではないか。
そんな筋書きは無い。
虚言だ。
ここに来て計画の変更は出来ようはずもない。
否━━この事態だからこそ。
状況を逆手に取る。
レイスノートの王弟は輸出用に倉庫に保管している砲弾と、可動式砲台の提供を申し入れた。
この国の王の婚約者を救出するためならば、惜しくはない。喜んで提供する。
そう、彼女の安全を心底から慮る様を装って申し入れた。
しかし海の国の王は泰然とした態度でそれを辞退するのだ。
「ご心配には及びません。こちらも情報をつかんでおりました。殿下にご出席いただきましたおかげで、北方部隊の砲弾をこの港に集める事が出来ました。篤い友好に心より感謝いたします。これより我が国の海上における鉄壁の防御をご覧に入れましょう」
彼は嫣然と笑んだ。そこにあるのは絶対の自信。
「海賊共を打ち払う様子、ごゆるりとご観戦ください」
レオニーク・バルトンはそう宣言して主賓席のひじ掛けに手を置いて指を組むと、ゆったりと椅子に体を預ける。
見目良いその顔には「まるでいい余興だ」とでも言うかのような、余裕に満ちた薄い笑みがあった。
さすがは海の国と呼ばれる国だ。
そう誰もが称賛し、安堵する態度であった。
オーシアンの港を利用する者であれば、この自信がどれほど心強い物になるだろう。
しかしレイスノート国王の実弟は、拳を握りしめる。
式典に合わせ、海姫の属するドレファン一家への報復を装って海賊共が襲来するという筋書きだった。
それなのになぜ海姫があちら側にいるのだ。
海賊共は何をやっている。
何か状況が急転したのか、そして誰がそんな指示を出した。
レオニーク・バルトンより渡された望遠鏡がその手の中で小さく軋む。
レイスノートの王弟は、激しい焦りと怒りに襲われる。
体温が上がり、唇が乾いた。
しかし、彼もまた一国の王が信頼して送り込むほどの人物である。
心中の焦燥を抑え込み、状況を見守るに徹した。
同じ会場内でカリナ・クロフォードは北からの強風に髪をなびかせながら沖を見やる。
山からの強い吹き下ろしが、少女の金色の髪を乱暴に海へと誘った。
規則正しく、一定の距離を開けて並ぶ船の大軍。
圧迫感と緊張。そして恐怖から実際の距離よりも近く感じる。
それらの最前列に、小さな手漕ぎの船が浮かんでいた。
港に集まった人間は海に従事する人間も多く、望遠鏡を持ち出して船隊を見やる。
小さな船の乗員は2名。
一人は黒髪に見えた。
本当に海姫が捕えられているのであれば、交渉が行われるものと思っていた。
そしておそらくそれは長期戦になるだろうと。
しかしオーシアン海軍は、突如砲弾を1発、小舟に向けて発射したのだった。
この距離では届かない。
愕然とするとともに誰もがそう思った。にもかかわらず、その砲手の放った砲弾は小舟の船首に命中する。
火薬の仕込まれない鉄球の砲弾だったのだろう。
船首に落ちた砲弾は爆発する事はなく、船尾を跳ね上げると同時に船尾から黒い物体を空中へと跳ね上げる。
まるで片側に荷物を乗せたシーソーの反対側に、突然大石を叩き落としたかのように、それは空へと放たれた。
「人じゃないのか」
望遠鏡をのぞいていた者達からどよめきが広る。
カリナの目は、黒髪の人間が空中で宙返りして体勢を整え、海面に対して垂直に入水するのを捕えた。
震える手で口元を抑えると、そこにへたり込む。
あれは、まさか━━
その瞬間、軍用船の大砲と港に並んだ大砲が一斉に火を噴く。
それはほぼ同時だった。
放たれた砲弾は、船隊よりかなり手前に着水した。
線上に撃ち込まれた砲弾に、等間隔に規則正しく20ほどの水柱が立つ。
水柱がおさまる前に次の砲弾がまた同時に放たれた。
今度は岸に対して垂直方向に、入り江の東西2か所でそれぞれまた15本ほどの水柱が立つ。
湾内に同じタイミングで出現する水柱は、まるで水の壁のように見えた。
砲撃の目標は海賊船ではなかった。
水柱と水柱の間に次の砲弾を撃ち込み、そこへ内陸からの強風が味方する。
『三角波だッ』
海賊達もまた、その光景に言葉を失った。
それは進行方向の異なる波がぶつかる時に出来る、大きな波である。
オーシアン海軍は一定の間隔、適切な着水点に砲撃を加える事で入り江に三角波を人工的に作り出したのだった。
嵐の海で出現しやすく、出くわすと沈没する危険性をはらむ。
船乗りにとっては脅威である波が、ひしめき合う船隊を巻き込めば衝突は免れない。
離脱。
否、一刻を争う避難。
海賊達はそれを選択する他なかった。
