海の国再興譚 ー悪女と腹黒王の契約ー33
第33話 冬の遠泳はもうしない。
「「あ」」
砲弾によりシーアが跳ね上げられるのを見るや、ドレファン一家の操舵士ギルと、砲撃手の老翁セドリックは同時に声を上げた。
沖の小舟に乗るシーアから手話で作戦の決行を指示され、従ったものの。
「あちゃあ、ちぃとズレな。帰ったら嬢に文句言われるのぉ」
さらりと恐ろしいことを吐いて「はい、ちょいとごめんなさいよ」と砲台を降りる少し腰の曲がった好々爺。
そんなセドリックの呟きは、ギルの合図によって新たに発射された砲弾の轟音にかき消されたが、彼の隣で砲弾の弾を新たに詰める作業に取り掛かっていた海軍の砲兵達だけはかろうじて聞き取っていた。
あれほど正確に船首に砲弾を撃ち込んでおいて、不十分だったと?
それを海に突っ込んだ海姫が叱責すると?
小舟は当然大破するものと思われたが、船の中央を船首から船尾へと走る柱とも言える竜骨を捕えた砲弾は、シーソーの要領でシーアを空へと打ち放った。
海に生きるものは総じて目がいい。
海姫が艦隊のマストよりも高い位置まで吹き飛ばされた後、きれいに入水したのは見て取れた。
きれいな体勢だったとはいえ、あの高さから飛び込んだとなると意識を失っている可能性もある。
海王率いるドレファン一家の連中はいつも、こんな事をやっているのか。
ぞっとした。
早朝、セドリックは初めて扱う移動式の砲台を祝砲を装って試し打ちしただけである。
ギルも風を確認したが、これだけ正確に竜骨に当てられただけでも奇跡的だ。
稀代の砲撃手と名高いセドリックでなければ不可能だった。
それでも、ずれたのだという。
その感覚にオーシアンの人間は恐ろしい物を見るように彼等を見た。
これは、シーアとセドリックの遊びだった。
漂流船などを見つけると訓練代わりに狙いを定めて砲撃する。
「小舟だったら船尾に樽でも置いといたら吹っ飛ぶんじゃないか?」
シーアが難破船か泳いで確認に行くうち、面白半分に試し始めたのが始まりだった。
始めは樽などの不用品だったが、やがてシーア自身が飛び込むという実に危険な遊びに変わった。
予定では、もう少し岸側まで飛ばせるはずだった。
「まずいな。あとでお嬢に何と言われるか」
次々と一定の間隔で砲弾を発射させながら、ギルもまた暗澹たる思いに眉をひそめ嘆息する。
よく訓練されている。
海面を睨み、一瞬のタイミング。それを逃さず次を放つ合図を出しながら、ギルはそう感じる。
レオンは帰国後、海王の下で学んだ技術を取り入れ海軍を整え直した。
大砲部隊の指揮役を任せられたギルは、その成果に瞠目せざるを得ない。
これならシーアの望み通りの波を起こせるだろう。
シーアは泳いで岸まで戻る手筈であるが、彼女の速度も位置もギルは計算に入れていた。
彼女の動きに支障のないよう、海面を砲撃する。
とはいっても入り江内ではすでに高い波が起こっている。
常人では泳ぐなど不可能な海になっていたが、彼女はわだつみの娘とも海姫とも呼ばれるシーアだ。
厳しいだろうが彼女はやり遂げる。
そして計画通り順調に砲撃を繰り返しながら、ドレファン一家の代表者二人は役目が終わると同時に一刻も早くこの国から離脱する算段を始めていた。
彼女の無事を確信している彼等は、文句を言われる前に早々に撤収する事にしたのだった。
◆◇◆
港から海軍の小型船三隻が出航して行く。
シーアは東側の岩場まで泳いで戻る計画だが、国は国民に対し彼女の救出成功を示す必要があった。
荒波を乗り越え、決死の覚悟で「婚約者」が着水した海域まで船を進めると救出作業に入る。
それは式典に集まった民衆の心を打つ光景だった。
船が港に戻ると、港に準備されていた担架が船内に運び込まれる。
「少し失礼させていただきます」
北の台地の王弟にそう言って、オーシアン国王は優美な所作で席を離れた。
主賓席と来賓の席を区切る柵に片手を乗せ、身軽に横飛びに越える。そのまま颯爽と港へ進み、担架を取り囲む軍服の集団の輪に入った。
やがて担架と集団は国王を取り残して、式典会場を後にする。
婚約者の無事を確かめた国王は整った顔に明確な微笑を乗せて群衆に向けて片手を上げ、彼女の無事を知った人々は割れんばかりの歓声を送る。
それは五年前の金の海原を彷彿とさせる光景だった。
砲弾を終えても強い波はしばしおさまらず、それは人々の高揚を表わしているようだった。
地を震わせるような歓声を前に、レイスノートの王弟は立ち尽くした。
昨夜、夜会にて挨拶した「海の国の黒真珠」。確かにその名を彷彿とさせる女であった。
海賊が捕えられた女と、昨夜のあの女が同一人物である必要性はない。
誰もその顔は確認できていないのだから。
だがオーシアンはそう主張し、国民はみな海姫の雄姿に酔いしれている。
海賊団は東西から順に、すごすごと入り江から撤退して行った。
強く噛みしめた奥歯がぎりりと鳴る。
口内に血の味が広がった。
あの女だ。
あの女のせいで━━
◆◇◆
くそ、あいつら。
もう少し岸側まで飛ばせたろうに。
シーアは岩場に上がりながら肩を上下させながら大きく息をつく。
天気は良かったがシーアが予測したよりも格段に風が冷たかった。三角波を起こすために風が強いのは好都合だが、遠泳をする方としては運が悪い。
難しいもんだ。
「くっそ、さみぃっ。二度と冬の海で泳いだりするもんか」
シーアは作戦の成功を信じて疑わなかった。達成感に酔いしれたいというのに、気候が最悪だった。悪態をつきながら冷たい岩場にあおむけに倒れ込む。
容赦なく吹き付ける風に、奥歯がカチカチと鳴るのを止められない。
一面青空の視界に、不意に男の姿が入る。
「何か掛かったか?」
シーアは転がったまま、馴染みのある顔に尋ねた。
レイスノートの雇った面々を見て、指南した人間がいるのではないかという疑いをレオンとシーアは抱いた。
もしそんな人間がいるとしたらそれは、オーシアンの海軍の情報ではないか。
海軍に内通者がいる。
その疑念が払拭されないままこの日を迎えた。
情報が漏れていた場合、海から上がったシーアの身が危険に晒される。ここでもシーアは自身を餌として提供した。
内通者を捕える絶好の機会だ。
シーアの上陸する岩場にて彼女の安全を確保し、不審者がいれば捕えるのが男の仕事だった。その重要な役割を、レオンは自身が最も信頼する人間に託したのだ。
「誰もいない」
グレイは周囲を見渡しながらつまらなそうに答えた。
やはりか、とシーアはぼんやりと思う。
通訳を乗せていた海賊船の船長は情報通だ。
海賊団の選抜も、その男の指南によるものだったのだろう。
こんな事なら入り江内で海軍の船に拾ってもらえばよかった。
とんだ骨折りだ、とは思ったが大衆に海姫の素顔を知られるのは避けたいのだから今更言っても仕方がないかとも思う。
地味顔が知れ渡ったのではドレファン一家の船を降りた後、何かと不都合が生じるのだ。
それでいくと「海の国の黒真珠」などという、実際とはかけ離れた大層な呼び名がついたのは実に都合が良かった。
「俺、お前の警護でここにいるけどよ。もし俺がレイスノートと繋がってたら、とんだお笑い草だよな」
シーアは頭上に立つグレイを見上げる。
レイスノートとの国境に隣接する山岳地帯出身の彼は、静かに彼女を見下ろしていた。
