本物は覚悟と行動【名古屋1】
いつもお世話になっております。
まつもとです。
首題の件、名古屋に赴任した頃の状況について、ご報告させて頂きます。
桜の開花前線と共に、私は引っ越ししていた。
人事部から異動通知が出され、私は大阪から名古屋に異動となった。同期の大半は関東か関西に配属し活躍していた頃に、私はそのどちらでもない地区への異動となった。当時はまだ体力もあり、車で帰省していたため、少しだけ地元に帰るのが楽になった程度の喜びはあった。しかし、まるで崖から転がり落ちていくように、出世レースから遠のいていく。
配属されて間もないある日、近藤課長から呼ばれた。
「すぐ出かけるから準備して。」
私は言われるがまま車の鍵を借り、運転席で課長を待つ。
課長は40歳の出世街道を爆進する凄腕の社員。当時他部署の課長は皆50代だったことを考えると、大抜擢だったのだろうと、今になると改めてこの課長の凄さを感じる。
間もなく課長が部長を連れて後部座席に乗り込む。
「〇〇会社の名古屋営業所まで、よろしく。」
やや早口な部長からの指示だった。
部長は50代後半の細身で小柄な方で、艶のある白髪の短髪を綺麗にセットされていた。私が退職するまで、常に私のことを本当の息子のように気にかけて頂いた、優しさと漢気に溢れる男。
車で約1時間、私は車内の課長と部長の話を聞いていた。
「この契約が取れれば大きいですね。」
「ああ、そうだな。ここまで本当に良くやってくれた、ありがとう。」
「いえいえ、とんでもないです。」
「無事に終わったら打ち上げだな。」
「はい、いつものとこ、予約しておきます。」
〇〇会社に到着すると、警備員に従い駐車場に誘導され、来客と黄色に書かれたスペースに車を停めた。車内の会話から、大口契約であることは間違いなく、暖かい春の陽射しとは真逆の、冷たい張りつめた空気が漂う。部長の号令と共に車から出て、受付に向かい、案内された応接室へ行くと、ひょろひょろとした若い男が立っていた。
「いつもお世話になっております。」
若い男は深々とお辞儀をして、我々もそれに応える形で挨拶を交わした。
「間もなく、林が着きますのでこちらに掛けてお待ちください。」
程なく、大柄な男の姿が見えた。
「これはこれは、おふたりでお越しいただくとは、すみませんね。若手の方もご一緒ですか。お名前は?」
「まつもとです。よろしくお願い致します。」
「まつもとさんね、よろしくね。」
軽いアイスブレイクが終わり、場の空気が凍りつくのが、私にもわかるほどの空気感だった。まるで液体窒素にバラを入れて粉々にする実験のような、危険な雰囲気が漂う。刹那、近藤課長が口を開く。
「すみません林さん、本題ですが、弊社の製品ご検討頂けましたでしょうか。」
「近藤さん、すみませんがコンペにさせて貰えませんか?」
「コンペ、ですか。」
近藤課長は拍子抜けした声を出して、続けて、
「林さん、弊社の新商品の品質は合格、価格も御社のご希望通り設定させて頂きました。」
「近藤さん、申し訳ない。」
私は事態をようやく飲み込んだ。〇〇会社に弊社の新商品を売り込んでいて、今日は契約して頂くための面会だった。新商品は大阪時代にも噂には聞いていて、技術的にも国内トップクラス、販売も好調。私は、この商品がまさか名古屋事業所で開発されているとは思わなかったため、驚きと同時に、どこか誇らしくもあった。
「林さん、コンペ相手は、××会社ですよね?」
えっ、という顔をして、近藤さんを見つめる。
「近藤さん、ご存知でしたか。おっしゃる通り。」
「最近よく耳にするんですよ。」
お互いにがははと笑ったあと、コンペの詳細な日程を擦り合わせていた。
「近藤さん、本当に申し訳ない。品質テストの日程が決まり次第すぐに連絡します。」
「林さん、よろしくお願いします。」
そう言うと、我々は近藤課長の合図で立ち上がり、その場を後にした。
駐車場に戻り、車に乗ると、
「やられた、またアイツらだ。ちくしょう。」
いつも、冷静な近藤課長がいら立ちを隠せずにいる。部長はまあまあとなだめるように、販売機で買ってきた冷たいコーヒーを、私と近藤課長に渡す。
「すみません部長、詰めが甘かったです。」
仕方ないよ、と言わんばかりの表情で微笑む部長の隣で、近藤課長の怒りは収まらず、私は一言も発することができなかった。
翌日、コンペの件は事業所内に共有された。契約確実と思われていた案件なだけに、現場は驚きを隠せず、特にこれまで関わってきたメンバーは苦虫を噛み潰したような表情をしている。事態が急変するのはこの後だった。
「緊急ミーティングを行う、全員集合。」
部長の号令のもと部署の全員が集められた。
「昨日の〇〇会社への契約延期の話、誠に申し訳なく感じている一方で、なんとしても勝ち取らなければならない。」
部長の口から、強い意志を感じた。さらに近藤課長が前に出た。
「本日より、このコンペを勝ち抜くためのチームを作り、しばらくはこの業務に集中して欲しい。これは各部署の責任者からの承諾も得ている。営業だけでなく技術も含めてメンバーは選んでいる、今から名前を挙げる。」
フロアがザワつく。
このチームに呼ばれることがどれだけの意味を持つことは、誰もが理解できる状況だった。
「前田、北村、新田、谷口、小林、以上だ。」
いずれも各部署のエース級が、予定通りといった表情で各々が返事をしている。特に開発部の北村さんは社内でも指折りの優秀な技術者と評判で、年齢は私の5つ上だが、ほとばしるオーラはどこか近藤課長よりも研ぎ澄まされている。
「あ、あと、まつもと。お前も参加で。」
フロアじゅうの視線が集めまれた私は、呆気にとられてしまい、返事ができなかった。首を2回、コクコクと上下に動かすのが精一杯だった。
「以上で、緊急ミーティングは終了。今呼ばれたメンバーは会議室に集まってください。よろしく。」
私は何度も心の中で、呼ばれた?呼ばれたよな?呼ばれてない?と自問自答を繰り返していると、
「遅い、行くよ、モタモタしない。」
後ろから北村さんが、私の肩をポンポンと叩き、会議室まで向かっていく後ろ姿を、とても大きく感じた。
緊急ミーティングで伝えられたことはふたつ。〇〇会社との案件は今後の会社の業績も考慮すると、絶対に落としてはならないこと。そして、コンペ相手の××会社は近年急速にチカラをつけてきた新興勢力であり、ここ2~3年で、我々のシェアを奪い出しているということ。つまり、この戦いは一過性の突発的な事故ではなく、これからの社運をかけた戦い、偶然ではなく必然。そしてこの重要なミッションのリーダーは、満場一致で北村さんが推薦された。
「コンペは3回行われるそうだ、最初は1週間後に〇〇会社の生産ラインで実施とのこと。各自準備するように。」
一同が揃った返事をすると、早速コンペ用の試作品開発に取り掛かるが、我々は品質には自信を持っていたため、現行の技術のまま試作品を完成させて当日を迎えた。狙い通りの品質を達成し、満足と安堵の表情を浮かべていた。
1週間後、〇〇会社の林さんが弊社を訪問した。1回目のコンペの結果を伝えに来たのである。同席したのは北村さん、部長、近藤課長。私も居合わせた。
「皆さんお揃いで。まず先日は弊社のテストに参画頂きありがとうございます。やはり、想定通り、素晴らしい結果でした。流石ですね近藤さん。」
「ありがとうございます、林さん。我々としても狙い通りの結果になり喜んでいます。」
近藤課長の言葉を聞いて、ゆっくりと息を吐き、そしてまた深く息を吸い込んでから、林さんの口が動いた。
「ただ申し上げにくいのですが、御社の3倍でした、××会社の品質は。」
私はただ空いた口が塞がらず、隣にいる北村さんの顔を見ることができなかった。これまで自社の技術の粋を集めて開発された商品が、あっさりと、しかも圧倒的な差を見せつけられたのである。林さんは少し残念そうな顔をしながら、我々にテストレポートを差し出した。咄嗟に近藤課長はレポートを見て、さらに顔が青ざめていく。
「特に重要な品質の不燃性が、3倍ですか。」
近藤課長は眉間にしわをよせて、レポートを隣にいる北村さんに渡した。北村さんは隅々までレポートを見て、隣の私に流した。
「近藤さん、不燃性を××会社相当まで引き上げないと、はっきり言って申し訳無いが、次のコンペは実施せずに××会社になります。これを本日伝えに来ました。」
林さんは頭を深々と下げながら、残酷な事実を告げた。
「近藤さん、私とあなたの仲だ。付き合いも長いし、あなたを応援したい。でもこれだけの差があるとあなたを、あなたの会社の商品を推すことはできない。すまない。」
近藤課長はにこっと笑いながら、
「ありがとう林さん、正直に伝えてくれて助かります。コンペにも立てないことは理解しました。不燃性を××会社まで改良します。いつまでに達成したらコンペに参加させてもらえますか?」
「、、、1ヶ月でお願いしたい。」
「1ヶ月ですか、そうですね、御社の商品化スケジュールから逆算しても、それ以上は待てませんよね。想定内です、ありがとうございます。」
絶望的な事実のみを突きつけられたものの、近藤課長は一切表情に出さず、淡々と話を進めていた。
「では近藤さん、2週間後にまた状況を教えてください。」
「はい、林さん、本当にありがとう。ここまでデータを見せて数字で話してくれるのは林さんじゃ無ければありえなかった。助かります。」
「近藤さん、申し訳ない。ここまでです、私がしてあげられるのは。あとはあなた達を信じて待ちます。何とかして××会社を超えて下さい。」
近藤課長はもちろんですよ、と言いながら、席を立つ林さんと談笑している。近藤課長もさぞ悔しい思いをしているのに、寧ろ林さんに感謝を述べるだけだった。林さんは小一時間の打ち合わせを終えて、深くお辞儀をして、帰った。
林さんは近藤課長とは旧知の仲で、若い頃から一緒に仕事をしていた。林さんからすれば、今回の大型案件は近藤課長に獲得して欲しいし、近藤課長からしてもそれは同じ気持ちである。しかし現実は厳しく、格上の品質を有する新興勢力に勝たねばならない、しかも短納期で。私はこの危機的状況から目を逸らしたくなる思いと、なんとしてでも勝ち取りたいという熱意が交錯し、それは目の前のみんなが同じ感情であることを北村さんの一言で悟った。
「やるしかない、ってことですよね。」
「なんだ北村、弱気だな。もしかして諦めてるのか?」
近藤課長が北村さんの肩をポンと叩く。
「好きにやらせてもらいますよ。」
「やってみろ。おれが許可する。」
ニヤリと笑顔を見せた近藤課長。そう、近藤課長もまた、この窮地を救えるのは北村さんしかいないと思っての抜擢。そしてエースの心に火がついたことを確信したのか、その場から去った。
「まつもと、今から指示した内容をメモしてすぐに取りかかって欲しい、申し訳ないがひとつひとつ丁寧に教えてる時間は無い、わかるな?」
「わかりました、始めましょうか。」
私は人生で初めて、本当に仕事のできる男達の会話を見たこの瞬間に、何かが変わった。それまでぼやっと感じていた仕事ができるという言葉の意味を、ようやく理解した。できるかできないか、では無く、やるかやらないか。やると決めたらやりきる覚悟と行動こそが、本物なのだ。そして本物が目の前にいるのだ。こんなにも幸運なことは無かった。私もこの仕事に全てを注ぐ覚悟を決めた。
そして過酷な戦いが始まろうとしていた。
以上になります。
よろしくお願い致します。
