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短編小説10「ムカデ」

《キモイ!!あー、キモイ!!》

 

 神経を背中に集中させる。走るわけではないが、いつもより速く足が動いてしまう。幸せ絶頂の彼女には、似つかわしくない緊迫感だ。

 一か月前のこと、この女子高生「水井知空(みずい・ちそら)」は担任の郡谷尊(こおりや・たける)を屋上に呼び出していた。淡白な文章で、ただ『放課後、屋上へ来てください。』とだけ書いた手紙を渡して。

「もうよさないか、水井」
「諦められません」

 呼び出された郡谷が、少し疲れた様子で始めた。

「おまえは俺の生徒だ」
「生徒じゃなくなればいいんですか」

 水井は、自分の気持ちとは裏腹に、冷静に言葉を紡ぐ郡谷に対して感情的になっている。何をどうしたら自分の気持ちにこたえてくれるか、その答えだけを探してるように。

「何を言ってるんだ」

 郡谷の反応も当然だろう。なぜその結論に至るのかわからなった。

「生徒じゃなければいいなら、そうします」
「だからな、水井」

 話の通じない女生徒に好意を寄せられるとキチンと対応しなくては後々大変なことになる。だから慎重に諭そうとする。
 だが何も通用しないらしい。

「先生はずるいです。はっきり言ってくれたらいいじゃないですか」

 郡谷もはっきりとは何回も言っている。今回で何回目かも数えていない。
 何か言いたげな口を結んで腕を組む郡谷。風音が聞き取れるような沈黙の中、水井は郡谷に近づいていき、横を通り過ぎた。

「いいですか先生、先生がそんなんだったら私いつまでも諦めませんから!」
「…なぁ水、井…」

 もう姿はなかった。水井の言い逃げだ。彼女の熱意には困ったもので、郡谷は担任として、どう答えたらいいのか悩む。
 相手が女子高生だということ、自分が教師だということ、この問題には悩みしか生じない。仕方なく郡谷も屋上を後にした。

 それから一か月後の現在、高校を卒業した水井知空が幸せ絶頂になっている、四月の夜。彼女の後をつける気配があるようだ。

 足音が重なる。

 人の気配というのは離れていても背中に感じるものだ。
 意識的に歩く速さが増す水井には目的地があった。怖い、神経が張り詰める。そして、一気に走り出す。マンションの一室に向かって。

「尊! 尊! 助けて、入れて!」

 マンションのドアを激しくノックする。表札には『郡谷』と書かれていた。

「尊!」
「…水井?」

 ドアを開いたのは、元担任の郡谷本人だった。部屋の電気が消えていて見えにくかったが、怪訝な顔で水井を見て、徐々に青ざめていく。

「おまえ、なんでこの部屋知ってんだ…」
「なんでって、だって私もう先生の生徒じゃないからだよ? ねぇ早く入れて、変な人がつけてくるの」

 どういうことだ。まさか、生徒じゃなくなれば郡谷は水井の気持ちに応えるという解釈をしたのだろうか。

「ダメだ。帰ってくれ」

 当然だ。こういう女は刺激すると何をされるかわからない。

「え? なんでそんな酷いこと言うの?」
「もう俺に付きまとわないでくれ」
「生徒じゃなければいいって言ったじゃない!」
「言ってない」

 やはり、その解釈をしていたようだ。
 郡谷は力強くドアを閉めた。

 全ての明りを消した部屋の窓辺に男が佇んでいる。半開きのカーテンの隙間に望遠鏡を挟み、それを覗いている。

「菜月先生、可愛いよ、菜月先生」

 職場の同僚、九上菜月(くじょう・なつき)の部屋を望遠鏡で覗き見る郡谷尊。望遠鏡の下にはよだれが溜まってフローリングが剥がれている。

「誰と電話しているんだい、菜月先生。僕はここにいるよ。ごめんね目を離してしまって。いや違うんだ浮気じゃないよ。卒業生がね、訪ねてきただけ」

 びちゃ、と体勢を整えた郡谷がよだれ溜まりを踏んづけた。

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 受話器を持ったままじっと待つ女。

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 九上菜月は毎晩電話をかけている。

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……

「あ、遅いぞ祐太郎~、も~うすぐ出てよね! 今日も疲れたよ~早く会いたいなぁ」

 しばらくコール音を鳴らしていた。
 ようやく出てくれた祐太郎と楽しそうに話す菜月は、今日一番の笑顔とも言えるほどだった。教師として色々大変なことがあるのだろう。

「ね、ね、今度の休みさ一緒に出掛けない? うん、温泉行きたいの」

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……

「運転はお願いするねっ。大丈夫だよ~寝ないって~」

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 菜月の会話している電話からはコール音が変わらず鳴っていた。

「それでね、うん、そうなのー!」

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 この電話は数時間続いた。
 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 電話相手の投戸祐太郎(なげと・ゆうたろう)。彼は菜月の何なのだろうか。

 私は丸亀同太(まるかめ・どうた)。ごく普通の刑事だ。ここ最近頻発するストーカー被害の調査をしているのだが、終わりが見えない。

 あんぱん、牛乳の張り込みアイテムを駆使して部屋を見張ったりもした。しかし、複数の案件を追っているわけだが、不思議とこの被害者「水井知空」へと辿り着いてしまう。

 水井知空、彼女はストーカー被害の依頼者であるはずだが、もう一人の依頼者、郡谷尊とも関りがあるようだ。
 まさか、二人は恋人同士?

 その疑いを晴らすために、水井知空を徹底的に調べねばならない。

 家を特定し、就寝時間、登校時間を見極め、余すとこなく知りたい。友人関係から判断する彼女の性格から好みのタイプ。スリーサイズは既に入手済みだ。

 服装は何が好きなのだろうか。趣味はなんだろうか。行きつけの店はあるのだろうか。知りたいことは山ほどあるが、毎日少しづつ知っていけることが幸せでならない。

 知空、今日も郡谷に会いに行くのか?
 そいつは君に相応しくないぞ。

 カフェではカップルが楽しげな会話をしている。女は男の携帯電話がずっと鳴っていることを不審に思う。

「祐太郎、携帯鳴ってるよ、出なくていいの?」
「ん、ああ。いいんだ」

 投戸祐太郎は、テーブルの上に置いたままだった携帯電話を不自然にポケットへしまった。じっと祐太郎を見る女。

「…女?」
「ただの幼馴染だ」

 冷静に答える投戸。しかし女は諦めない。

「毎日じゃん…なんで?」
「いいだろなんでも。彼女でもないくせにうるさいぞ」
「は? 私彼女じゃないの?」

 女にとって衝撃の事実だった。彼女でもないのに毎日デートのようなことをしていたの? 女はそんなことを思うことすら忘れてポカンとする。

「…友達だろ、ただの」
「聞いてないよ、そんなこと。彼女じゃないのに今一緒にいるの? 彼女にしてよ」

 少し混乱して何を言っているのかわからなくなっているが、おそらく女は本当に祐太郎のことが好きなのだろう。
 少なくも今のところは。

「おいよせって、急に。あ、時間だ、じゃあ俺先に帰るわ。会計はお願いな」

 投戸は会計すらも女に任せてそそくさと店から出て行った。最低な男だ。少し時間が経てば女もそう思うだろうが、まだ必至だ。急いで会計を済ませて後を追って出て行った。

 投戸は、まさか他の女のところへ行くのだろうか。
 こいつは、そういうことをするような奴だ。

 カフェの奥で『おつかれー亜美ちゃん、また明日も調理お願いねー』と店長の声らしきものが聞こえた。
 亜美はすぐに電話をかける。

「あ、祐くん、今バイト終わったから向かうね」

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