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アジア音楽/BTSによるグラミーボイコットに寄せて

グラミー賞に「アジア・ポップ・ミュージック・パフォーマンス」
という部門が新設されるらしい。
それで、BTSがグラミーをボイコットする事態になっていると。

さーて、この、アジア・ポップ・ミュージックとはなんぞや。
世の中には何か言っているようで実際には「それが何か」
具体的に定義できない、あるいはそもそも定義することが難しい
言葉というものがあって、
これらの言葉は多くの場合、政治的目的、または何かの悪意を
ごまかすためにひねり出されたBS(クソみたいな言葉、とあえて訳しておこう)である場合が多い。

例えば、責任ある財政、とかがそうだ。
財政に責任を持ちますよ、という政府の真摯かつ誠実な姿勢表明
とも取れる一方で、その責任のとり方というのは
誰かの辞任辞職や更迭、解散、組閣ということになり、
そんなことで壊れてしまった(公正を期すには「壊れてしまうかもしれない」)
一国の経済や国民一人ひとりの生活が立ち直るわけでも、
具体的な補償がなされるわけでもない。
要するに「何かあったらごめんね〜」である。

まあ、BSってせいぜいそんなものである。
クソのように目立つけれど、クソほども役に立たない、ということだ。
では、「アジアポップミュージック=アジア音楽」のこと。
これはさらにひどいBSだ。
責任問題ではなく、差別問題だから。

洋楽、いわば現代の音楽そのものでもあるポップソングという既得権を、
自分たちの文化を他人種と共有したくない・与えたくないというのが
白人の本音なのだろう。

だから都合よく「アジア・ポップ・ミュージック・パフォーマンス」賞という部門=BSをひねり出して、
音楽的なアパルトヘイト体制を敷くことにした、と。

今回のBTSとグラミーの悶着、あるいは
グラミーという白人勢力による非白人に対する嫌がらせの本質は
そこにあると私は考えており、
それが、私が今回のBTSのボイコット決定、
そしてその表明を支持する理由である。

これまで幾度となく見てきた、白人の差別主義とその被害が
音楽に及ぶこと。文化・芸術分野における人種差別・人種隔離が
「名誉」いうBSに置き換わること。

それに対して断固として抗議することが今回の行為の根本的理由であり、
こういう意見表明(いわば理由ある反抗、反乱)は
影響力のある人・団体によってなされたときに
インパクトがあるというのが人間社会の常であることから、
それだからこそその主体が「BTS」であることに意味があるのだ。

それにしても、つくづく、呆れるな。
既得権、白人至上主義。人種差別。
アパルトヘイトを乗り越えての新たなアパルトヘイト。

日本や韓国では自国の作品がオスカーやアカデミー賞を与えられたことが
大きな栄誉となり、大きなニュースになるけれど、
それを「自国の文化」(ひろげれば「アジアの文化」)を認められた
という文脈で喜ぶのはそろそろやめにしていいんじゃない?
誰かによるお墨付きをもらうこと自体、
その誰かの権威や既得権や主義主張に依存するということになる。
アジアの音楽を(そもそも、「自分たちの」音楽を)白人に認められてうかうかすることの、
なんて気持ち悪いことよ。

ある意味、グラミー賞にエントリーし、与えられることは
栄誉ではなく、劣等材(洋楽に対するアジア音楽)と決めつけられること、
人種差別されること、「アジア・ポップ・ミュージック・パフォーマンス」というアジア人向けの檻に隔離されることを自ら承諾することになる。

こうやって考えてみれば、
グラミーに収益をもたらすマスコットになるのではなく、
グラミーをボイコットし、白人による不公平な枠組みを拒否することの
意味が自明となるのではないか、と考えた次第である。

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