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ソノキスタンプ ~小さな魔女となりゆきの弟子~ 第4話

お化粧の理由

「なな、なん……げほっ!」
「ああ、落ち着いて。はい、お茶飲んで深呼吸しんこきゅう」
 むせる私を見てアプリさんが背中を擦ってくれた。
 言われるがままにお茶を飲んで深呼吸すると確かに少し落ち着いたけど、それでも心臓がドキドキして目が回っている。
「急にごめんね」
 アプリさんは指でお茶を持つ私の手を撫でる。
 見た目よりも体温が低く、指先がひんやりして心地よい。
 それだけで不思議と私の心はゆっくりと落ち着いていった。
「まずは今の気持ちに素直にならないとね」
「別に普通で……」
「前を向くのが辛いのは普通じゃないよ」
 その一言息が止まりそうになる。
 言葉に詰まった私を見たアプリさんが微笑み、メイクボックスの鏡のライトを点けて私の顔を照らした。
 まるで芸能人のメイクの準備みたいで無意識に背筋が伸びてしまう。
「まずはお試しってことで、すこーし気分を『軽く』しようね。お代はもらってあるから気にしないで」
 お代ってさっきのスフレ?
 首を傾げているとアプリさんは私のほっぺを両手で包むように触れた。ドキッとしているとこうか?こうだ、もうちょい、とかブツブツ言いながら私の顔の角度をいじる。
「ん、これで首がまっすぐ正面」
 アプリさんがよし、と笑った。
「うわ」
 ──……正面を向くとこんなに視界が広いんだ。
 視界に床がなかった。
 私は自分がどれだけ下を向いていたのか思い知る。
 アプリさんはそれからファンデーションを開け、中のケーキを幅の広い筆で撫で、私の頬をくすぐったいようなふんわりした力加減で染めはじめた。
 嗅いだことのない優しい香りがして気が緩む。
 そして次に細い筆とリップを取り出す。
 リップをさっとなでると穂先が淡い桃色に染まりキラリと光る。穂先が私の唇に近づき思わず目を瞑る。
「はーい、動かないでね」
 唇につややかに綺麗にリップが塗られる、かと思ったんだけど。
「む……」
 アプリさんは小さく唸って筆の穂先を私の唇に触れるか触れないかの距離でちょこちょこ、と動かす。
 リップクリームくらいは塗ったことがあるけどそれとはぜんぜん違う初めての感覚だった。
 筆で塗るとこんな感じなんだ。くすぐったい。
「うし、次はアイライン」
 アプリさんはボックスを見もせず、指先だけでペンを持ち替えて目元にペンを走らせる。それもやっぱり塗るというよりつつくような不思議な指使いだった。
 それは何故か心地よくて、お腹の中からふわっと何かが浮かんでくるような気分になる。
 不思議でびっくりで固まっているうちに……。
「はい」
 アプリさんは筆を離し、両手をぱっとひらいてメイクは終わった。
 一分もないような、一時間も過ぎたような、不思議な時間の流れだった。
「鏡を見て」
 アプリさんがメイクボックスの鏡を指差す。すこし緊張しながら鏡を見ると。
「誰だこいつ?!」
 思わず声が出た。
 映っているのはもちろん私。でもやっぱり誰? と思わずにいられなかった。
 同じ顔なのに違う。
 自分が他人になってしまったような気がしめまいを起こし、ふらついた私をアプリさんが身を乗り出して支えてくれた。
「大丈夫?」
「あの、これ、私?」
 鏡の中の私を指さしながら言うとアプリさんはにこりと頷く。
 自分で言うのも悲しいけど、うすらデカくてボーッとした冴えない顔のパーツ一つ一つがどこかシャキッとして見えた。
 うまくいえないけど、まるで水を撒いて艶が出た花。
 化粧をしたなんて言われないと分からないのに、とにかく違う。
 これって……そう、まるで今朝の若狭さんだ。
「アイライン引いて少しファンデしただけなのに……」
「アイラインの中に文字が隠れてるんだよ。元気になるおまじないの文字が」
「え?」
 鏡を見ても普通に線があるようにしか見えない。
「ね、軽くあーーーっ、て言ってみて」
「は、はい……」
 すう、と息を吸う。……あ、なんか肺が広がったような気がする。
「あーーーー。……あ? うえぇっ?」
 驚いて喉を押さえる。声まで何かが違っていた。
 いや、違わないよ。なんにも変わってない。
 でもそれでも確かに何かが違っている。
「え? 私、何か変になっちゃった?」
「何も変わらないよ。すこーし心の重しをとっただけ」
「重し?」
「今の視界はどう?」
「視界って……」
 そういえばなんだかアプリさんがさっきよりも小さくなったと思ったけど……ううん、違う。
 そうだ、私、背筋が伸びている。さっきは顔が上向きになった。そして今度は姿勢も変わってる。
「うん、しゃんとしている方がいいよ。息も楽でしょ?」
「私、背中をこんなに丸めていたんだ……」
 胸に手を当ててもう一度深呼吸。
 空気を吸って気持ちいいなんて感じたこと無かった。
「これ、今のおまじないで……ですか?」
「そだよー」
 アプリさんがカニみたいにチョキチョキしながらにっこりと微笑んだ。
「……魔法みたい」
 普段は思っても言わないような例えがぽろっと出た。
「魔法だよ、ある意味」
 ふんわりと微笑みながら言うその言葉があまりに自然で信じてしまいそう。
 私は首元をくすぐられたような気分になり笑い返す。
 そして、楽になった呼吸と一緒に胸の奥に押し込んでいた言葉が勝手に溢れだした。
「今日、学芸会でやる演劇の役決めがあったんです」
「ああ、そんな季節だね。何やるの?」
「『鳥巫女』ってお話、知ってますか?」
「江戸時代にこの辺りが村だった頃、一帯を飢饉から救った鳥使いの巫女のお話だね」
「あ、知ってるんですね」
 かなりマイナーなお話だと思ってたのに。
「神の使いの鳥たちが持ってきた種や果物を持って村を救おうとするっていう、この辺りに伝わるふるーい伝承じゃない。渋いねぇ。そんなに明るい話でも無いよ?」
若狭わかささんの案です」
「若狭?」
「あ、知りませんよね。クラスメイトで、父母や先生に好印象になるからって。で、これが台本です」
 ランドセルから台本を出してアプリさんに見せる。
「どれどれ……。うわ本格的」
 アプリさんは中を見て目を丸くした。
「……ふぅん。科白はさすがに簡単にしてるけど、おおよそ合ってるねぇ。……ああ、ここはこういう伝わり方になっているのかぁ……」
「はい?」
「何でもないよー。それで?」
「これ、若狭さんが作ったんです。で常に持ち歩いてセリフを覚えるように。自分のセリフだけじゃなく前後のセリフも頭に入れて、状況と感情が繋がるようにしなさいって」
「すごいねその子」
「若狭さんって、なんていうか……その、クラスのボス的な感じ?」
「ボスかぁ」
 アプリさんが変な顔で笑う。
「それで若狭さんが鳥巫女の主役をやりたがっていて、今日学校にお化粧して来たんですよ」
「へぇ……。何? 主役ってそんなに倍率高いの?」
「いえ、どっちかと言うと確実にするため、かな。元から若狭さん以外の女子はそんなに積極的に主役やりたいって子はいないし」
「確実に主役の座を掴み取るため、印象を良くしようとお化粧してきたと。どんな感じに見えた?」
「ぱっと見は普通なんです。よぉく見ても正直わからないくらい。でも、明らかに印象が違うんですこう、普段より少しだけキレイで、魅力的に見えて、なんていうか……」
「輝いている?」
「そう、それです!」
 まさにそう見えた。輝いている若狭さんを思い出すだけでまた背が丸まりそうになる。
「ゆっくりでいいよ」
 その一言だけで縮みかけていた背筋が伸びる。
 アプリさんの言葉って一言一言がその気にさせてくれるなぁ、と私は救われる気分だった。
「友達の茉莉は、お化粧して学校来るなんていけないんだって若狭さんに言ったんです。だけど若狭さんは全然気にしなくて、逆に茉莉が黙っちゃうくらい堂々としていて」
「強気だねぇ。茉莉ちゃんって子もすごいね」
「茉莉はがんばりやさんだから」
 茉莉が褒められる。私はそれが自分の事のように嬉しかった。
「お化粧が自然すぎて、しているように見えなくて文句が言えなくなっちゃったんだと思う。私もつい見とれちゃってたし」
「へぇ、どんなふうに見えた? どんなふうに見えた?」
 アプリさんが身を乗り出す。
「え、ええと、おそらくはまつげとほとんど変わらないアイライン入れて、頬を明るく見せるファンデーション、チークも使ったと思います」
「ほうほう。よく分かるね」
 私の言葉にアプリさんはなぜか満足そうだ。
「で、結局元がいい子は何をしてもサマになるんだなぁ。私なんかとは基礎から違うんだなぁって思って……」
「そうかぁ」
「その後、当たり前のように満場一致で若狭さんは主役になりました」
「うん、あなたは?」
「鳥たちが留まる御神木の役になりました」
「ごしんぼく……神様の木、の御神木?」
「ええ、その木です。あ、鳥の役も兼任です。チュンチュン言うだけなのに、無理をしている巫女を心配している鳴き声とか、口に咥えた木の実のせいで鳴きにくそうだけど一生懸命鳴いている鳴き方で、とか場面ごとに全部指定があって……。ああもう何なのこれ?!」
 思わず声が大きくなり、アプリさんが苦笑いする。
「御神木の役だって! 男子が! 私の方が背が大きいから丁度いいじゃんとか言って推薦までしたんですよ! まぁ、クラスじゃ男子でも私より大きい子一人もいないし。お似合いってやつです。あはははははっ!」
 ああ、なんだか言葉が止まらなくなってきた。
「そういえば私、こんなナリですけど、去年まで陸上やってたんです」
「あなた足長いもんね」
 アプリさんのさりげない褒め言葉が私の気分を上げる。
「まぁ、自分で言うのもなんですけど、それなりに早かったんですよ。でも、四年生頃から背が伸び始めてフォームが崩れて、そのうえ膝が痛くなって、色々あって……。嫌になってやめました」
「成長痛か。育ち盛りだからねぇ」
「伊勢くんはマネージャーならどうだって引き止めてくたけど……。嬉しかったけど、結局やめちゃった。……本当、背なんて大きくても……なんにも……いいこと、ない……し……」
 声が震え、握った手に涙がこぼれた。せっかく気持ちよく声が出せたと思った途端にこれ。
 私ってやっぱりダメだ。情けなくて涙が止まらない。
「自分の体なのに、思い通りにいかないんだね」
 アプリさんは励ましでも同情でもなく、単純に寄り添う言葉をかけてくれた。
 それきり何も言わない。だけどその言葉が頭の上から体をすうっと通り抜け、胸の中にあったザラザラしたものを掬ってくれた。
 胸の網目を詰まらせていたものが無くなった。胸の中を風が通り空気が入れ替わる。さっきまでとは違う涙が自然に溢れてとめどなくこぼれる。
 悲しいのに気持ちいいと思い、私は顔を隠すこともせずただただ泣いてしまった。
「……お化粧に興味を持ち始めたのも、すごい後ろ向きな理由だったんです」
 もうヤケ。全部言っちゃおう、と私は最後の秘密を打ち明ける。
「私、体が大きいでしょう。顔も。だから、小顔メイクしたら少しでも小さく見えるかなって……」
「切実な理由だね」
 アプリさんが真面目な顔で頷いた。
「はー……」
 しばらくして涙も出尽くしたらしい。ようやく落ち着いた私は大きく深呼吸して天井を仰いだ。
 それから。
「アプリさん、ひどい」
 普段なら使わない言葉がぼそっと出た。
「えー、何がぁ?」
 私の側で黙っていてくれたアプリさんがふわふわした顔で言う。
「おまじないのせいで色々閉じ込めていたものが全部出ちゃった。ほんと、恥ずかしい……」
 言ってて内心驚いている。打ち明けただけじゃなくて、こんなあけすけな喋り方を他人にするなんて初めてだ。
「って言う割には笑ってない?」
「笑っちゃうよ。今まで我慢していた事、お母さんにだって茉莉にだって言わなかった事、全部言っちゃったんだもん」
 胸の中に澱のように溜まっていたものが空っぽになった気分。言葉使いもつい崩れちゃう。
 私はうん、と思いっきり背伸びして、最後の一粒の涙をポロッとこぼす。
 これでもう涙はおしまい。
「……おまじないのちからって、すごいですね」
「でしょ?」
「……んん? いや、これっておまじないですか? なんか、カウンセリングって言ったほうがいいんじゃ……」
 言ってからまた失礼なことを、と口をふさいだ。でも。
「そうとも言うかも」
 意外にけろっと肯定してしまう。
 だけどアプリさんが否定しないから、むしろおまじないの信頼性が増した気がした。
「で、教えて欲しい?」
「え」
「覚えたくなったでしょ? そうだよね?」
 ずい、とアプリさんの顔が迫る。
「わ、私は……」
 いらない、と言えなかった。
 花の蕾が開いたみたいな心の開放感をあのおまじないで感じた。もしかすると、このおまじないでダメな私が変われるかもしれない。
「あの、ち、ちょっとだけ……」
「よぉし、言霊とったぞぉ。みんなかもぉん!」
 アプリさんが両手をパン、と叩く。
 コスメボックスの中の筆にペン、櫛やハサミが一斉に起き上がり、顔もないのにギョロリと私を見た。