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ソノキスタンプ ~小さな魔女となりゆきの弟子~ 第8話

 風

「あの、なんて?」
「俺、やっぱ俺より早いやつの言うことじゃないと聞けないんだ。先生だって俺より遅いからさ」
「……成長してないぃ」
 私は陸上部にいた頃の伊勢くんを思い出す。
 ホント、誰の言うことも聞かずにただイノシシみたいに走るだけだったけど、それは残念ながら変わってないようだ。
「しょーがねぇじゃん。でも、お前の言う事ならきっとそれなりに聞くし守れると思うんだ! お前だけなんだよ、俺より早いのはさ!」
「いや、今は……」
「あの時は早かった! だからいいんだ!」
 伊勢くんが瞳を輝かせてずい、と前に出る。こんなときも前のめり、フライング気味だ。思わず一歩下がる。
「先生に頼んでも部を辞めたからって聞いてくれねぇし、探しても学校じゃなかなか会えないし」
 不満そうな伊勢くんの言葉にどきっとする。実際私、陸上部を避けていたから。
「で、そこの女子がよ、かなえと仲がいいって知って、聞いてみたんだ」
「この話、伊勢くんからだったの?」
「俺のことなんだから俺から言うに決まってるだろ」
 驚いて茉莉を見ると、茉莉はバツが悪そうに顔を背ける。
「……なるほど。そこの男子は自分のためだけにここに来たと」
「やな言い方すんなよな!」
 美菜を見て伊勢くんが口をとがらせた。
「で、どうだ? もうすぐ大会があるんだ。800が走れる貴重な大会なんだよ! 俺、また予選落ちとかしたくないんだ! 頼む!」
 伊勢くんが周りに響くくらい両手を思いっきり柏手して頭を下げる。本当に何をするときも全力。全然変わってない。
「でも私、一年近くまともに走ってないんだよ?」
「知ってる。アドバイスだけでいいんだ。800メートル走って俺に勝ったのはお前だけだ! お前の言う事なら聞くから! だから頼む!!」
 伊勢くんの目は本番直前の時のようにギラついていた。これは本当に本気の時だ。
「……今の私で出来ることなら」
「ぃよっしゃ!」
 伊勢くんが飛び上がった。うん、やっぱり脚力すごい。
「かなえ? ドーナツは? あと勝負は?」
 美菜、心配する順番がおかしい。
「私たちの勝負って、まさにこういうことじゃないの?」
「あ」
 美菜がはっと口を開ける。
「そんなに一緒にドーナツ食べたかった?」
「べ、別に……。まぁ、少しは……」
 甘い物好きが多いなぁ。
「そういう事だから、それはまた今度ね」
「……分かった。今度」
「うん、いい子」
「うん……って! いや、かなえ! 子供扱いしないでよね!」
「あ、ごめん。つい」
 我に返った美菜が口をとがらせた。怒った顔が今はそれほど怖くない。
「もう……」
「あの」
 ふと、不安そうな声が控えめに聞こえてくる。
 そうだ、と茉莉を見ると、むつけるような、不安そうな顔で私たちを見ていた。
 しまった、おいてけぼりだ。
「茉莉。茉莉のやりたいことは分かったよ。伊勢くんの事だから、確かに前もって言われていたら私、どうしたか分からなかったよね」
「……うん」
 茉莉が服の裾をいじりながら頷く。
「でも、もやっぱり言ってほしかった。聞いてすっぽかすようなマネはしないよ。多分」
「ごめん……」
「あと美菜の事だけど……。ええと、これは言い訳だけど今日ここに来るまで本当に知らなかった。だけど、私も茉莉と話すことから逃げすぎていたんだ。だから、ごめん」
「うん……」
 頭を重そうに、少しすねたような視線で顔を上げ、それから茉莉が美菜を横目で見る。
 私がほら、と促すと美菜は少し不満そうにしつつも。
「……若狭さん、私も一応、割り込むような真似して……悪かったわ」
「ううん。私も、クラスメイトなのに、嫌がるような真似してごめんなさい」
 私たちはお互いにごめんなさい、と頭を下げた。
 うん、これでとりあえずは収まっただろうか。
「なぁ、もういいかぁ?」
 蚊帳の外の伊勢くんが一人暇そうにしていた。
「あ、ごめん。えと、じゃあ私、これから伊勢くんとフォームとかの確認をしてくるよ」
「え? 今から見てもらっていいのか?! いや、それ最高だけどよ」
 やった! と伊勢くんの目が輝く。
「あ、なら私も一緒」「お前はいい」
 茉莉が言いかけると伊勢くんはバッサリ断る。
「話が分かるやつと集中したいんだ。連れてきてくれたのはサンキュだけど、悪いな」
「ううん、いいよ。その為に来てもらったんだもんね」
 茉莉はちょっとだけ苦笑いして遠慮してくれた。
「よし! 実は俺、靴もウェアも持ってきてんだ。今からグランド行くぞ!」
「やっぱりね」
「分かってたのかよ」
「伊勢くんが話だけするために来るとは思ってなかったよ。いつもならグラウンドにいる時間だし」
「さすがかなえだ!」
「じゃあ美菜、茉莉、ちょっと行ってくる。ゴメンね」
 二人は並んでいってらっしゃい、と私たちを仲良く並んで見送ってくれたんだけど。
「若狭さん」
「何? 能登さん」
「ちょっとお話、いい?」
「いいよ。私もお話あるんだ」
 仲良くしてくれるのはいいけど、できれば二人とも笑顔で語らってほしいなー。
 涼しすぎる表情の二人に後ろ髪惹かれる思いながら、私はその場を離れた。
 伊勢くんはリードが外れた犬みたいにすっ飛んでいく。
 追いかけて走る私の足は不思議と軽く、風が後押ししてくれている気がした。
 後ろを見た伊勢くんは私が意外に離れていないのを見てギョッとし、すこしつんのめる。
 危ない、と思いながらもその仕草がおかしくて、私は声を出して笑ってしまった。
 土曜日だけどグランドを使っている運動部はそれなりにいて、陸上部も普通に活動していた。
 伊勢くんが私のことを先生に言うと即OK。
 今は部外者なんだけどなぁ。
「かなえぇ! フォーム見てくれぇっ!」
 伊勢くんがストップウオッチも使っていないのにあきらかに記録級と分かる速さで疾走している。声がドップラー効果していた。
「なるほど……。これで大会で記録が残せないのかぁ。やっぱフォームより何より、精神的な問題だなぁ」
 もったいない、と今もわんこみたいに走っている伊勢くんを見ながら何度目かのため息がこぼれた。
「あー! 安芸さんじゃん! 何? 復帰?」
 ふと、知っている子が話しかけてきた。日焼けした顔が一年前の私と重なり、一瞬筋肉が運動部の空気を感じて緊張した。
「違うの。ええと、アレの手伝いというかケアと言うか、ぶっちゃけ躾……?」
「ああ、アレね。大変じゃん」
 照れ隠しのつもりが通じてしまう。
 伊勢くん、本気で頑張ろう。やっぱりこのままじゃダメだ。
 さて、見て分かったのだけど、伊勢くんは言われたことを忘れてるわけじゃない。ただ、走り出すと頭に血が昇って何も考えられなくなるんだ。聞き返してみたら、やることはちゃんと答えられたんだから。
「つまり、あの暴風じみたテンションをコントロール出来れば、その気にさせれば……。ソノキ……」
 ──やってみるか。
 私はペンシルを取り出し、デッサンを取るような仕草で伊勢くんに向かってペンシルを立てた。さてどうしよう。まさか伊勢くんをメイクするわけにはいかない。想像したくない。
「ええと、こういう場合は……」
 ソノキスタンプはスタンプと言うだけあって、何かにおまじないを書いてそれを媒体として持ってもらうやり方もあるそうだ。
「つまりお守りみたいなこともオーケーと」
 私は伊勢くんに自主練してと言い残し校外に出た。商店街でアクセ売り場を見て、シンプルなミサンガを買う。まずはお試し。
 学校に戻り、静かな場所で私は呼吸を整える。
 アプリさんから習った文字の意味、書き方を頭の中で反芻し、ペンシルを構えた。
 ルーン文字は千八百年以上は前に生み出されたゲルマン文字。二十五の文字には一文字ずつに解釈によって色々な考え方のできる複雑な意味が込められている。相手にこうあって欲しいという願い。それを類似する文字に込めるのがソノキスタンプの基本。
 この前、アプリさんが私に書いたのは『スリサズ』。門という意味のルーン。門を開き、閉じこもっている自分を表に連れ出したい。そんな願いを込めて書いてくれた。だからあの時私は前を向き、言えなかったことを言うことが出来たんだ。
 すごく細かくたくさん描いたけど、実はそれはたった一文字だった。一文字だけ? と思ったけど一つの文字だからこそ願いが強く反映されるらしい。願いを込めるのは大変で、疲れるしお腹が減ると言っていた。
「今の伊勢くんに必要なのは……『アルジズ』!」
 文字の意味は保護。
 彼の感情の激しさを諌めることで成長を促す願いを込めよう。必要なときに実力を出せるように、私の願いを込めて。
 ミサンガの柄がないところにペンシルでアルジズを書く。小さく小さく、できるだけたくさん、模様のように。私の思いを込めて。
「小さいほど……効果は強くなる……」
 文字は小さいほど力が凝縮されるらしくて、アプリさんはその気になれば猫のひげにだって文字を書けると言っていた。
「それは無理でも、ミサンガの太さくらいなら……」
 ペンシルの先をうっかり折らないように慎重にカッターナイフで整えて尖らせ、できるだけ小さく文字を書いた。
 意識を集中するとミサンガの繊維が太くて隙間だらけだと気づき、ひどく書きにくいと思った。繊維が太いと思ったのなんて初めてだ。
 最初のたった一文字を書くのに一分かかり、芯を離した時初めて息苦しいと感じた。息をしていなかったことに気づいて慌てて呼吸する。案外息止めても平気なんだ、と変なことに感心してしまう。
「アルジズ……意味、間違ってないよね」
 頭の中で意味を反芻する。文字の形、意味は自分自身で覚えてなければいけない。検索はと言ったら、検索しなきゃ分からないものは知っていると言わないとアプリさんは言った。文字の意味、込める願いを頭の中で組み上げられなければ、いくら丁寧に書いてもただの記号だそうだ。
「あークソ! 伸びねぇ!」
 グランドに戻ると伊勢くんがじたんだを踏んでいた。本当にやってる子は初めて見る。
「かなえ、助けてくれ! ペース分かんねぇ! 走り出したらもう分かんねぇ!」
「伊勢くん、ちょっと『おまじない』しようか」
「おまじないぃ? いや、いくらなんでもよぉ……」
 あからさまに嫌な顔をするけど、ここは言うことを聞いてもらう。
「でもね、プロのアスリートも自分にスイッチを入れるためにこういう事する人いるんだよ。プロだって……いや、プロだからこそ験を担ぐの」
 プロと聞いて伊勢くんが目の色を変える。
「何でだと思う? プロなのに」
「プロなのに……ええ? 何でだよ。プロって自分のメンタルとかちゃんと出来るヤツだろ?」
 あ、意外に分かってる。
「そう、プロってそうだよね。でもね、本番で最大の本気を出せる。自分の肉体と精神は目一杯整えたって、自信を持って言える。だからこそ後は神頼みなの」
「自分の力を引き出しきったからこそ……」
 伊勢くんがはっと息を呑む。
「伊勢くんにはそうなって欲しい」
「あ、ああ。いや、なるさ! ならなきゃ!」
「だから、まず形から入ろう。プロのマネ、大事だよ」
「……分かった。アクセサリーなんて小っ恥ずかしい気もするけど、かなえが言うなら従う!」
「ん。じゃあ左腕を出して」
「おう! 両腕両足でもいいぞ!」
「真面目に」
「お、おう」
 私の静かな声に伊勢くんの声のトーンが落ちた。
「さて……」
 アプリさんのマネをして、なんとなくいつもより声を少し低めにして、ゆっくりと話してみる。
 私のおまじないを、込めた意味を聞いてほしいから。心に刻んでほしいから。
「君はやるべきことはちゃんと覚えている。理解もしている。ただ、がむしゃらになりすぎて、考えることをやめちゃうだけ」
 君の心が落ち着きますように、と願いを込めながら、ミサンガを手首に結ぶ。
 伊勢くんはなんとか黙って私の言うことに耳を傾けてくれている。寝ている時以外は動いているような彼にしては頑張っている。
「……これで良し。伊勢くん、走っていて頭の中が真っ白になりそうになったらこれを見て。君はきっと冷静になれる」
「あ、ああ。分かった! かなえが言うなら出来るはずだ! やってみるぜ!」
 伊勢くんは両腕を振り回し、ヒーローみたいにポーズをつけ、トラックに駆けていった。
 なんか逆に興奮してない?
 不安を拭えぬまま私はストップウォッチを持ち、校門の外まで駆けていきそうな勢いの伊勢くんを見送った。
 おまじない、効いているかなぁ?