ソノキスタンプ ~小さな魔女となりゆきの弟子~ 第7話
待ち合わせ
「ホントだった」
夜。
お風呂に入る前にふとアプリさんの言葉を思い出した私はスマホでまぶたを撮って驚く。
アイラインにおまじないの文字を書いた。
それくらい気持ちを込めたっていう程度の意味だと思っていた。
だけどアイラインには本当に細かい文字がみっちり書かれ、それが遠目で見ると淡いグラデーションに見えていた。
「一つ一つの文字に意味が込められた文字かぁ」
スマホのカメラじゃ文字はぼんやりとしか映らなくて、一文字一文字はよく分からない。
お父さんのカメラなら映るかもと思ったけど自分の顔を写してなんて言いたくないから諦める。
そして、お化粧したまま寝る訳にはいかない。
すごくもったいない気がしたのと、落としたらまた気分が下がっちゃうんじゃないかという怖い気持ちがあってなかなか顔を洗えず、鏡とにらめっこしていたらお母さんにさっさと入れと言われ、渋々洗顔剤でお化粧を落とした。
だけど幸い気持ちに変化は感じなくてそれが嬉しかった。嬉しかったけど、なんとなく顔がいつも通りの冴えない地味顔に戻った気がしてそれは嫌だった。
心が変わっても、やっぱり自分の顔は好きじゃないなぁ。
お風呂上がり、私はアプリさんにもらったペンシルをつついていた。
「ねぇ、あなた動ける?」
動いていたでしょ? 使い魔でしょ? と話しかけたり転がしたりするけど鉛筆が喋るわけもなく、私は首を傾げた。
そして。
「実はメイクの才能があるとか……」
アプリさんが弟子と言ってくれたのだから、少なくともそういうことじゃないの? と私はペンシルを握る。
メイクを洗い落とす前の私に自分でなれたら……。
おもちゃみたいなコスメボックスの鏡を覗きながらペンシルをまぶたにあてる。
アプリさんの手付きを必死に思い出しながら。
だけど、出来上がって鏡の前に現れたのは変なエジプト人。
私は顔を洗い、すっぴんの自分を見つめながら溜息をこぼした。
「私、悪い子だよね。アプリさんの弟子になる資格なんて無い……」
スマホを取り出し、少し震える手で茉莉に電話する。
『はい、かなえ、どしたの?』
「あのね、明日なんだけど、待ち合わせの場所を……」
──美菜、ごめん。
その夜、心臓のドキドキがなかなか止まらず、しばらく眠れなかった。
翌朝。
「美菜、怒るだろうなぁ」
月曜日が怖い。
茉莉とこれから遊ぶのは楽しみなのに、心はずぅんと重かった。
今日の待ち合わせ場所、普段なら一番大きい児童公園の定番待ち合わせスポットの噴水前でいつも会っている。
学校のみんなが公園といえばまずそこと言うくらいの公園。
だけど今日茉莉と待ち合わせに指定したのは、街はずれの高台にある千鳥神社の境内。普段人気のない広場の池の前が待ち合わせ場所。
一応遊具もあるし池も花壇もあるから公園と言えば公園だ。
私達の間では公園って呼んでいる。
だから嘘はついてない。
それで押し通そう。
どうせ美菜との弟子争奪戦自体からは逃げられはしないだろう。
ならせめて今週末だけは心ゆくまで自由に遊びたい。これくらいの我は通していいよね。私悪くない、と自分に言い聞かせる。
ああ、それでも私、今日は約束をわざと破るっていう、人生で一番大きい嘘をついてしまうんだ。
美菜の事だから今頃噴水前でもう待っているかもしれないのに。
申し訳無さ99パーセント。だけど心の片隅でほんの1パーセントだけ、そんなワルい自分にドキドキしていたりもした。
神社へ続く石段は280段。
裏に車用の道もあるけど、陸上をしていた時にトレーニングコースに入れていた癖でつい石段を登ってしまう。
「ソノキスタンプかぁ……」
昨日のことがまるでずっと昔のことにも、ついさっきあったことのようにも思えてしまう。
「でも私、アプリさんの弟子に絶対なりたいわけじゃないのに……。まぁ、ちょっと心配だから見守りたいっていう気はす」
「おはよう、かなえ」
「……おはよう、美菜……?」
聞こえないはずの声が聞こえてきた。
ゆっくりと首を上に向けると、石段の上に美菜が立っている。
ああ、なぜだろう。私はあんまりびっくりしなかった。
鳥居の下に立っている美菜が、そこにいるのが当たり前のようだったからだろうか。
なんていうかすごいドヤ顔で、古い鳥居の朱色と青い上着の対比がとても鮮やか。それにずいぶんおめかししてる。ちょっとだけお化粧も。
アプリさんじゃなくて自分でやったのは分かるけど、それでも化粧が似合っているのが羨ましい。昨夜の自分を思い出してこんにゃろうって感じだ。
「いい天気ね。さ、どうする?」
「あの、いや、ええと、そうじゃなくて、今日は茉莉と……」
「能登さんと一緒でも勝負はできるでしょう。週明けからは劇の練習が始まるし、今日と明日が勝負ね」
「明日も?! あ、でも美菜は『使い魔』持ってないから……」
「もらった」
「えっ?」
美菜はポシェットからアイライナーペンシルを取り出し、くるりと指先で回す。私のペンシルよりも新しいっぽい。
「な、なんで?」
「あの後、もう一度アプリさんに会ってお願いしたの。使い魔が無いとそもそも勝負にならないって。ソノキスタンプの施し方はかなえも教わったんでしょ?」
「……まぁ、うん」
言われれば確かに不公平と言われれば不公平なんだけど、アプリさんさぁ。
「で、その時に聞いたの」
「何を?」
「かなえは明日どこにいますかって」
冷や汗が流れるってこんな気持だろうか。私の浅はかなたくらみなんて全部見透かされていたみたいだ。
「で、でも、明日のことなんて、そんな事分かるの? 占いの範疇超えてない?」
「アプリさんを舐めないでよね。まぁ、プライベートだからって迷ってたから、奮発してコンビニじゃないプリン渡したら気合い入れて占ってくれた」
アプリさんさぁ!
ああ、こういう状況を進退窮まるって言うんだ。この前辞書で見た。
「あの、それについてはその」
「誤解しないで。かなえに怒ってはいないから」
「……なんで?」
「私ね、かなえのお陰で気づいたの」
美菜は真っすぐで、そして澄んだ眼で私を見つめた。
顔が整っていると素面でいるだけで絵になるんだなぁ。
私はほとんど現実逃避同然に美菜を見つめ返す。
境内から風が吹き下ろし、美菜の髪がさらりと揺れた。
「私は、今までうわべだけのおまじないしか教えてもらってなかった」
美菜がずっと昔のことを思い出しているような顔で呟いた。
「でも、かなえが弟子になると知って……、使い魔のことを聞いて分かった。私は本気でソノキスタンプを信じてなかったんだって」
「そんなこと」「いいから聞いて」
美菜がいいから、と言葉を遮る。
「だからアプリさんはうわべだけしか教えてくれなかった」
「あの、わ、私こそ別に本気じゃないんだけど……」
「いいえ、アプリさんはかなえの心の中に見たのよ」
「な、何を?」
「ぼーっとしているふりして狡猾な、秘められた燃えさかる野望を、野獣のような闘争本能を感じ取ったに違いない!」
内なる野生なんて持ってないから! てか狡猾って何?
風評被害が加速している。
「おかげで私、やっぱりまだ自分には頑張れる余地があるんだって分かった。そういう意味ではありがとう、かなえ」
「あ、ど、どうも……」
美菜は可愛らしく爽やかに微笑み、私は顔をひきつらせた。
「美菜? あのね、今日は私、遊びに来ているだけだから。だから、勝負とかはできるだけお手柔らかに……っていうか、何なら応援するからさ、どんどんポイ」「言っておくけど」
美菜が私の口に指をつん、と添える。
唇に触れた指が柔らかくてドキッとした。
「手抜きとか手加減って、いっちばんキライなの」
だと思った。
「あと、アプリさんがいない時はどうやってポイントを計算するのって聞いたらね、使い魔が教えてくれるんだって」
「これが?」
ペンシルを取り出すけど、やっぱり今はどう見てもただの化粧道具だ。
「私達を信用しているってことだと思う」
美菜がちょっと自慢げに頷いた。
「つまり自己申告して、それをアプリさんが判定する……?」
「おそらくね」
美菜はズルは嫌いそうだし、私だってごまかすマネはしたくない。
とすると……うわぁ、そう考えるとアプリさん、意外に先読みしてるなぁ。
「……なるようになる、かなぁ」
どうにも逃れられそうにない、と私はある意味悟りの境地を感じていた。
「それで、今日はどこに行くの? 駅前なら最近ドーナツ屋さんが出来たから行ってみたいの。デコレーションドーナツが可愛くて美味しいんだって」
「茉莉に聞いてみる……」
さっきまでの生真面目な表情はどこへやら。
楽しそうに声を弾ませている美菜の姿は普通に遊びに来たようにしか見えない。一体どっちが本心なのやら。
「そうそう、アプリさんにもドーナツ買っていかないと」
「賄賂?」
「失礼ね。かなえと二人でってことであげるつもりなの。あの人いっつもお腹空かせてるし」
「そう言えば……」
「お金は出すから気にしないで。言い出しっぺだし。無論遠慮なんか不要よ」
うわ、なんか美菜がいい子に見えてきた。
「で、かなえ。いちばん大事なことを聞き忘れていたんだけど」
「な、何?」
「まず、ソノキスタンプはメイクのセンスがいるんだけど。かなえ、メイク分かるの? ケーキって分かる? お菓子じゃないからね」
「し、知ってるし! ファンデでしょ! ブロウもシャドウもクリームも一通り使えるし!」
そこまで言って、あ、と口を抑えた。美菜は意外そうに目を丸くし、それからむぅ、と唸る。
「なるほどぉ……。やっぱり、思いつきどころか虎視眈々と狙っていた、と」
「だから違うからぁ」
何を言っても悪化するだけなの? 絶望しかけていたその時。
「かなえー! どしたの? めっちゃ早いじゃ……」
茉莉がやってきた。
え? まだ時間まで四十分あるんだけど?
「いや、茉莉こそはや……うえっ?!」
茉莉を見て、いや、茉莉の後ろを見て声がひっくり返る。
「おう、久しぶり!」
「伊勢くん?!」
「あら? あんたたち、男子とも遊んでるの?」
美菜が珍しいものを見る目で言った。
「いやいや違うから! 茉莉! なんなの?! なんで伊勢くんがいるの?」
「こっちが聞きたいよ。どういう事……?」
勢い任せに問い詰めていたつもりが、茉莉は静かな声で逆に聞いてきた。
「え? どういうって……」
「どうして若狭さんが一緒にいるの? 私と遊ぶ約束でしょ?」
茉莉が美菜に噛みつきそうな顔で言った。
「そ、それは、ええと、だから、美菜がいることは会ってから説明しようと……」
「美菜? どうして若狭さんの名前を呼び捨てなの?」
「あ、それは……」
「かなえ、いつ若狭さんと仲良くなったの? 私知らないよ? 知られたくなかったの?」
「あの」
「かなえは私と一緒がいいんじゃないの? 私をもう頼らないつもりなの?」
「ちょ」
「私よりも若狭さんのほうが優等生だから? 私はいらないの?」
「ち、違う! 落ち着いて」
茉莉の言葉が止まらない。
「落ち着いているよ! 私に隠れて仲良くしていたなんて……」
「だから! 隠すも何も仲良くなったのは……いや、仲良くなったのかなぁ? いや、それはよくて……。な、なら茉莉! 茉莉こそなんで伊勢くんと一緒なの?」
色々いっぱいいっぱいになった私の言葉はだんだん大きくなり、さっきの茉莉みたいに抑えがきかなくなり始めていた。
「それは、伊勢くんが来るって知ってたら、きっとかなえは来たがらないと思って」
「そう思うならどうして連れて来たの? 私が陸上やめた本当の理由、茉莉は知っているよね?」
「それは……」
茉莉が視線をそらした。
私はそれが無性に癪に障る。いっそ忘れていた、とか言われたなら諦めもついたのに、茉莉は知っててわざとやったんだ。
一番会いたくなかった伊勢くんを連れてきたんだ。
「かなえ、私は」
「人の都合とか聞かないで勝手に……」
「ドーナツ屋さんに行きたいんだけど」
私が茉莉に勢い任せに言葉を投げつけようとしたとき、美菜が場違いなくらい軽い言い方で言った。
私も茉莉も、一人だけ蚊帳の外の伊勢くんも呆気にとられる。
「あなたたち、ここに何しに来たの? お互いに何か考えがあっての行動なんでしょ? それならまずは話し合いなさい」
美菜の言葉が空気を変えた。
私もカッとなっていた頭が水をかけられたみたいに冷える。
「ま、言い出しっぺだから、まずは私から話すわ」
美菜が前に出る。
「私はかなえと魔女の弟子の座を賭けて競っている最中。今日はポイント勝負をするために一緒にいるの」
「魔女の弟子?」
茉莉がなにそれ、と眉をひそめる。
「知らないなら知らないでいい。部外者だしょ。ただ私達にとっては大切なこと。それのジャマはしないで」
「ぶ、部外者?!」
茉莉の声が驚きと焦りでうわずる。
「じ、ジャマって……! もともと私とかなえで遊ぶ予定だったのに、なんで若狭さんが? 若狭さんこそ……」
「理由は今言ったでしょ。大事な勝負なの」
「だから!」
「待って」
「かなえ……」
私の声に茉莉が非難するような顔で振り向く。視線が痛い。
「あのね、私たちが一緒にいる理由は今言った。だから茉莉もどうして伊勢くんを連れてきたのか聞かせて。それこそ私聞いてないよ」
「私『たち』……?」
並んで立っている私と美菜を見て、茉莉の声が少し震えていた。
「ちょっと待った」
伊勢くんが茉莉を守るようにして前に出た。
「これ、茉莉がいじめられているみたいじゃんか」
「これっぽっちもいじめてなんかいないんだけど?」
美菜が迷惑そうに言った。
「そう見えるって言ったんだ。俺の事なんだから、理由は俺から言うぞ」
茉莉がなにか言うかと思ったけど黙って伊勢くんの後ろにいるままだった。
その姿は小さくて弱々しくて、少し前の私と重なり、胸が締め付けられるようだった。
「かなえ!」
突然若狭くんがずい、と顔を寄せてきてびっくりした。
「頼む! 俺のマネージャーやってくれ!」
「あ、うん……」
ん?
「はいぃ?」
空に響くような変な声が出た。
