見出し画像

ソノキスタンプ ~小さな魔女となりゆきの弟子~ 第2話

 

腹ペコ魔女

「口に入れただけでふわぁって溶けちゃうんだろうなぁ……」
 その言葉を聞いた瞬間、私の口の中にはもうしっとりしたスフレが一切れ入っている。
 じゅわっとした食感。甘酸っぱいチーズクリームの風味が香る。
 スフレは舌の奥に滑り込んでゆき、思わずごくんと喉を鳴らしてしまう。
 おいしかった、と感想が出かけてようやく我に返った私の視界には青空と、おまけ程度の小さな雲が見えている。
 いつの間にか空を見上げていたみたい。
 慌てて周囲を見渡し、誰も見ていないことを確認する。
 ほっと安心した私は貝が閉じるみたいに肩をすくめ、またつま先を視界に納めた。
 それにしても、まだ口の中にスフレの食感が残っている気がする。
 よだれなんか出ていないよね? とハンカチを取り出して念の為口を拭いた。
 あ、ちょっと危なかったかも。
「え? え? さっきのは……、何?」
 ヒトデの女の子がつぶやいただけ。
 なのにそれだけでおやつを一回食べた気分になってしまった。
 女の子は今もガラスにへばりついている。よく見るとガラス窓の向こうで店員のお兄さんがちょっと困り顔をしていた。
 ん? こんな小さい子がお腹を空かせて一人きり?
 だぶだぶの服を着て?
 えっ?
「ね、ねえ!」
 怖い考えが湧き出し、私は思わずその子に声をかけていた。
「え?」
「あ、あの! あなたのお母さんはどこ? 迷子だったりしてない?」
「あたしにご用……え? お母さん? 迷子? どこに?」
 女の子が大きな目を更にまんまるにして周囲を見る。
「いやあなただから。あのね、お腹すいてない? 痛いところとか……」
「お腹? お腹は……空いてはいる、かな? ん? んんん?」
 ふと女の子が私を見つめて目を細めた。そしてぱっと輝くように目を開く。
「あーーー……」
 女の子はなるほど、と困ったような笑顔を浮かべる。
 その顔つきはさっきまでの幼いぼんやり顔とはガラッと変わっていた。
 よく見ればすっきりした顔立ち。まつ毛、結構長い。唇、キレイ。口はちょっと大きめかな?
 私はどうもやらかしたらしい、と気づきはじめた。
「そっかぁ。あはは、あなたいい子だねぇ。……よいしょっと」
 さっきまでとは別人のような落ち着いた声で女の子がにょきっと伸び、私は「あ」と声を漏らす。
 そう、女の子はしゃがんでいただけだった。
 ぶかぶかのローブのせいでしゃがんでいたのに気づかなかったんだ。
 ただ、立ち上がっても私と背は変わらな……いや、それでも私の方が少し大きかったけど。
「あなたおっきいねぇ。あ、こんなナリだけど、子供じゃないよ」
 大きなタレ目とちょっと大きな口。顔のパーツは子供っぽい。
 だけどパーツの比率、仕草を見て気がついた。
 ──この人、オトナだ!
「ご、ごめんなさい! 大人の人に向かって子供あつかいして!」
「いーよ。こんな見た目だしね」
 そう言って女の子、じゃなくてお姉さんは被っていたフードをおろす。
 ゆるいウェーブのロングヘアがさらっと風に流れた。背の高さはともかく確かにオトナだ、と納得した。
「で、でも……」
「見ず知らずの子に声をかけてあげるなんて勇気あるね」
「そんな事ないです。普通です」
「いやぁ、出来ないよぉ。うん。自分が迷子扱いされるのは想定外だったけど」
「す、すいません。悪気は無くてほんとうに子供かと……」
 って、何を火に油注いでいるのか私。
「あはは、いいよぉ。実際ちっちゃいしね」
 そして突然ぐぅ、と変な音がした。
 お姉さんの顔を見るとさっきとは別の困り顔で頬を赤くしている。
 あ、本当にお腹は空いているんだ。
「ちょっとまっててください!」
 私は返事も聞かずにコンビニに駆け込み、20秒で戻ってくる。
「これどうぞ! お詫びです! ラストでした!」
「えっ?」
 スフレを差し出すと、お姉さんは宝物でも見ているみたいに手を震わせて目を輝かせた。
「おおお……。こ、これはまさしく『ちょっとリッチなふわとろマスカルポーネスフレ』だぁ」
 その声は感動で震えていた。
 ついでにお姉さんの声を聞くだけでまた口の中にスフレが放り込まれたみたいになる。
「いいの? いいんだよね? た、食べちゃうよ? お腹に入れちゃったら返せないよ? いや、返せるけど見た目が……」
「やめてください。いりません。とにかくどうぞ!」
 変な子、なんて思ったお詫びの意味もあるし、これだけ喜んでくれれば税込み321円なんて安く……はないけど良しとしよう。
 良しとする。うん。
「ありがとぉ……」
 感動の涙を浮かべたお姉さんは袋をばりっと破り、スフレを大きな口でぱくりといく……かと思ったら、実際はゆっくりと静かに、失礼だけど意外に上品に袋を開き、中から顔を出した甘い色のスフレを指でつまんだ。
 そしてひと欠片を口に運んでのんびりもぐもぐと噛みしめる。
「お、おいしいですか?」
 それは思わず問いかけたくなる落ち着いていて上品で、それでいて見ているだけで口の中が甘くなる、幸せそうな食べ方だった。
「わぁあ……! これ美味しいよぉぉ……。ああ、四百年生きててよかったぁ」
 訂正。変な子じゃなくて変な大人だった。
「あの、それじゃ私はこれで……」
「まぁお待ちよ、はい」
 そう言ってお姉さんはスフレを割って半分差し出す。
「一緒に食べよ。美味しいものはみんなで食べるともっと美味しいんだよ」
「それはそうかもですけけど……」
 正直食べたい。
 だけど今あげたものを即いただくのはどうなの? と悩んでいると、お姉さんは私の手にスフレを載せてしまった。
 柔らかくていい匂いがして思わず喉がなる。
「アプリちゃーん」
 ふと、遠くから声が聞こえてきた。
 振り向けば私より年下の、今度こそ低学年の女の子二人が駆けてきてお姉さんに抱きつく。
「あ、やほー」
 女の子の視線に合わせてしゃがんだお姉さんはやっぱり同い年に見えた。
「おー、ゆかちゃんにみさちゃん、いいところに来たねぇ。スフレたべる?」
「たべるー!」
 二人の声がきれいに重る。
「はい、はんぶんこだよ」
 二人が色めきたってお姉さんに群がる。なんだか母猫にお乳をねだる子猫みたいだ、と思った。
 お姉さんはあれだけ食べたがっていたスフレをあっさり全部あげてしまった。
「ありがとー!」
「うわぁ、おいしー!」
 二人があんまり美味しそうに食べるからさっきの口の感触を思い出してしまう。
「ねぇアプリちゃん、またおまじないしてー!」
 女の子が指をなめながらお姉さんを呼ぶ。さっきから言っているアプリってお姉さんのこと?
「いいけど、なにの?」
「ないしょ!」
 女の子は満面の笑みで口に指を当てた。
「それじゃまじないようがないぞぉ」
「ゆかちゃんね、あっくんにこくはくしたいの。お手紙書きたいんだよ!」
「みさちゃん!」
 ゆかちゃんがみさちゃんを追いかけ、みさちゃんはきゃー、と悲鳴のような笑い声を上げながら逃げ回る。
「はいはい、ゆかちゃんこっちおいでー、おまじないしてあげるよ」
 アプリさんが言うと、ゆかちゃんはくるっと向きを変えて転がるように駆けてきた。
 そしてアプリさんの前にきちんと立ち、目を輝かせる。
 一人残されたみさちゃんが遅れて戻ってきて、隣で同じように目を輝かせる。
「さて、ゆかちゃん」
 アプリさんが少し落ち着いた声で語りかける。
 さっきまでのはしゃぎっぷりがウソのようにゆかちゃんは黙っていた。
「ゆかちゃんはあっくんと何をしたい?」
 アプリさんがゆかちゃんの手をとり、静かにゆっくりと問いかける。
 アプリさんもさっきとは別人のような話し方で、その声を聞くとなぜか背中がさざめいた。
「わたし……ええと、あれとあれと……それに……」
 ゆかちゃんが指を折ってあれこれ考える。
「うん、色々あるかもだけど、最初は一つだけあっくんに聞いてごらん。一番最初に思い浮かんだことをね」
「一つだけ?」
「そう。一つだけ。たくさんお願いしたら、あっくん困っちゃうよ」
 ゆかちゃんがあっ、と息を呑む。
「だから、一つだけ聞いてみるの。そうしたらあっくんはきっと聞いてくれる。お友達になれる。そうすれば他にもやりたいことを二人で相談できるよ」
「あ、そうか! でも……んーー」
 ゆかちゃんはどうしよう、とかわいい顔を両手でぐにぐにとこねくり回している。
「で、依頼するなら、なにか持っているかな?」
 あれ? 対価取るんだ。この流れは普通タダじゃあ……。
「あ。……持ってない」
 ゆかちゃんがはっと目を丸くしてしょぼん、としおれる。
 ああ、驚かないってことは初めてじゃないんだ。
「スフレは、食べちゃったし……」
「あ、あの! これ!」
 みさちゃんが食べかけのスフレを差し出した。
「これでおまじないしてあげて!」
「みさちゃん……」
 ゆかちゃんが泣きそうな顔をしている。みさちゃんはいいんだよ、と笑った。
 みさちゃんマジいい子。
「よぉし、それじゃあーん」
 アプリさんは大きな口を開けてスフレに顔を近づける。
 みさちゃんが口を結んで硬直し、ゆかちゃんはみさちゃんのスフレが食べられちゃう、と涙目。
「あむっ」
 アプリさんは大げさに言ったけど、実際はスフレの端っこをほんの少しだけかじり、もぐもぐして微笑んだ。
「ごちそうさま。じゃあ、人差し指を出して」
 二人はわぁっとひまわりみたいに明るく笑う。
 ゆかちゃんは右手の人差指をそっと差し出した。
 その瞳は潤むくらいに期待に満ちている。みさちゃんは羨ましそうに覗き込んでいる。
 アプリさんはふところから小さくて細いペンを何本か取り出す。
「アイラインペンシル……かな?」
 私がつぶやくとアプリさんはおや、と私を見てとうなずく。
 アプリさんは百均にあるようなネイルアート用シールを取り出し、それにササッと何語かわからない絵みたいな文字を淡いピンク色で描いた。
「よし、人差し指だしてー」
「はい」
 ゆかちゃんが指を差し出すけどわくわくでぜんぜん動きが止まらない。
「こら、ストップ」
 アプリさんが貼れないよ、と人差し指をつまんだ。
 なるほど、じっとしていないであろう子供だから貼るタイプなのかな。
 で、こういっちゃアレだけど、アプリさんの指って、ゆかちゃんと大差ないような……。
 そんな失礼なことを考えていることも知らないであろうアプリさんが指にシールを貼り、ふっと息を吹きかける。
 すると、ラメも使っていないのに描かれた模様ががキラリと光る。
 ゆかちゃんがまたわぁ、と目を輝かせた。
「スタンプ完了。これでゆかちゃんはあっくんに手紙を書くゲンキが出るよ。消えるまでに書いてね。でも、焦らないでいいよ。書きたいって思ったときに書くのが一番だからね」
「わかった! 書くまで手洗わない。お風呂入らない!」
 ゆかちゃんはありがとう、とお辞儀をして向こうへ駆けていく。
「ちょっと! お風呂入らないのはダメだよー! おーい」
 あっという間に見えなくなったゆかちゃんを追いかけ、みさちゃんもアプリさんに手を振りながら行ってしまった。
 二人がいなくなると急に周りが静かになった。
 アプリさんは満足そうに笑いながら、ペンをくるりと回して懐にしまう。
 アプリさんはちらりと私を見てどう? と得意げな顔をする。
 そのドヤ顔の雰囲気はさっきの子どもたちと大差なく、しゃがんだその姿はやっぱり小学生かな、と思わざるを得なかった。