なぜエッセイが書きたいのか
最近、なんでエッセイが書きたいのだろうと考えている。
インタビューは楽しい。自分の世界を広げてくれる今の仕事がすきだ。でもエッセイは「文章を書く&読むのがすき」と思えた原体験だから、ちょっと特別なのかも。
小学校の作文の時間はすきだった。詩を書くのもすきだった。自分の体験や想いを言葉にするのは、あまり抵抗がなくて、スラスラ書けた気がする。
地域の文集に作文が載ったこともあった。たぶん人生ではじめて、クラス単位より広い世界で認めてもらえたのが作文だった。
絵本がすきだったので、リズム感のある文章がすきだった。大事な絵本は大人になった今も手放せない。
この頃書いていた作文も、すきな絵本の文体に影響を受けていると思う。
でも高学年になると、絵本を読んでいるわけにもいかなくなる。図書の時間に分厚い本を借りないとかっこ悪いと思うようになった。
クラスで人気の本を借りても、どうしても読み進められなくて、読まないまま返すなんてざらだった。
絵本の次になんとか読めたのは「わかったさん」と「こまったさん」シリーズ。これも絵本みたいなものかもしれないけれど、文字数はもう少し多い。それでもかわいいキャラクターとおいしそうな食べ物に助けられて、読み進めることができた。
その頃、兄の部屋で見つけたさくらももこの『もものかんづめ』。見覚えのあるタッチのイラストが表紙だったので、すぐにおもしろそうと手に取った。
読んでみると、ちびまる子ちゃんと同じように、日々のあるあるや失敗談がおもしろおかしく綴られている。
分厚い本でもすらすら読めた。これが、わたしでもちゃんと読書できるんだっていうはじめての感覚だったかもしれない。
それから、少しずつファンタジーが読めるようになって、大人になってからごく一部のミステリーが読めるようになった。でも相変わらずまだ読書は得意ではない。
ライターをはじめてから、ドキュメンタリー作家さんの講座を受ける機会があった。その人の本はおもしろくて、少しだけ読書の幅が広がった。
文章術とか、啓発本を読み漁った時期もある。これは読書というよりは、情報として読んでいる感覚。
でもやっぱりすきなのはエッセイ。最近すきなのは、光浦靖子さんと春風亭昇羊さんの話。淡々と出来事を綴っているようで、さすが笑いのプロ。胸の内の書き方がおもしろい。
すきだからって自分が書く必要はないのでは?とも思う。おもしろい推理小説を読んだとしても、書きたい!とは思わないから。
じゃあなんでエッセイは書きたいと思ってしまうのだろう。
子どもの頃に書いた作文を読んで、喜んでくれた人がいたからなのかもしれない。
自分の体験をおもしろがってくれることが、うれしいだけなのかもしれない。そんな単純な気持ちでいいのだろうか。
事実をおもしろく書くことは簡単ではない。
書かない事実を決めることも大事。人を傷つけずにどこまで書けるかも、考えるのが面倒になるくらい難しい。
いくら事実だとしても、どこまで書いていいのだろう?
家族に知られたくない過去や、ちょっと恥ずかしい出来事も。
でも「おもしろかったんだよなぁ」って、そんな小ネタを書いて笑ってほしいというのはただの承認欲求なのか。
そんなことを考えながら自分のことを書いていると、迫った原稿のことが頭にちらついて、自分のことを書いていることに罪悪感が生まれる。
仕事じゃない文章の優先順位がどんどん低くなっていく。
後回しになった「自分のこと」が、化石のように頭のあちこちにこびりついているようだ。
化石になる前に、書きたいことを頭から救出していきたい。
