西野カナに、いつまでも心を震わせていたいのに。
西野カナを聴いても、もう震えなくなった。
令和に訪れた『平成女児』ブーム。自らを『平成一桁ガチババア』と自虐する彼女たちは、エモさに財布を震わせながらあの時代を追体験するべくグッズを買い漁る。
平成5年生まれの私も、エンジェルブルーやメゾピアノのグッズに手を伸ばしながらも、このグッズにどんな価値があったのかと自分の記憶に問いかけてみる。少し違和感を覚えてしまいながらも、そんな自分の記憶を懐かしみながら、心を撫でるようにレジへと向かう。
小学生時代、クラスにいたAちゃんは、全身がメゾピアノに包まれていた。小さくてくりくりおめめのAちゃんに、とてもよく似合っていた。オタクという文字が悪い意味で先行していた時代に、アニメや漫画が大好きだった私は、可愛く着飾る事が苦手で、かわいいに憧れながらも、羨ましさなどまるでないかのように、ライフやダイエーで安くて少しの可愛さが隠れている服を買って満足するふりをした。
なのに、あの頃の写真を見ても幼少期の楽しかった記憶として懐かしむばかりで、あの劣等感を覚えてはいない。でも今私のカバンには、メゾピアノのキーホルダーがついている。Aちゃんは今でも、メゾピアノのグッズを買うのだろうか。
平成のど真ん中。ミニ四駆、プロフィール帳、ケツルル、デコメ、デコログ、着うた、ウィルコム。モーニング娘、オレンジレンジ、ミニモニ、あゆ、大塚愛、西野カナ。あの頃は、自転車で10分もかからぬ距離にすむ地元の先輩に、会いたくて会いたくて震えていることが常識であるような青春だった。
写真や歌、物や季節の匂いを通して、あの頃はこうだったよね、と思い出しては懐かしい時代の輪郭を愛しむことができるけれど、そんな綺麗には残せない平成ならではのあの瞬間を私達はかかえていたはずだ。
ネットも今ほど便利ではなく、InstagramやSNSが流行っている現代とは違って、心の声を公開することは、もっともっと難しいものだった。
そんな時代だからこそ、ポエム帳というものが流行っていた。"一期一会"のポエムがすでにかかれているメモ帳をみんなが持っていて、そこに自分の気持ちをさらに書き足して、ノートに貼り付ける。それを回しあって読み合いをするのだ。
中学生になる頃には、紙面から携帯へと移行して、デコログやHP、mixiといったものが流行っていき、タイムラインというTwitterのようなページに感情に酔った気持ちを垂れ流すようになった。ただ出来事を綴っているような人もいれば、自分の心が感じた事を書いている人もいた。デコログに鍵をつけて、ポエマーになってしまう瞬間が誰にでも一度はあったように思う。私もずっと自分の心の弱さを、感性の根源として大切に思っていた。書いて書いて、全てを曝け出していた。
なのに社会人になり数年が経つと、今度は「誰かに見られると死ぬ」という恐怖に襲われた。私はありとあらゆる手段を使い、その危うい感情の残骸をすべて削除した。ポエム帳も捨てた。昔の恋人との記念日を織り交ぜたパスワードを必死に打ち込み、デコログもmixiも消して回った。もうメールアドレスを変更してしまっていて、消せなかったものもあったが、ほとんどがサービス終了という形で自然に消えてくれた。
今になって、写真やシール帳よりも、あの消してしまった言葉たちにこそ、本当の愛おしさが詰まっていたのではないかと感じるようになると、途端にあの頃失ってしまった自分を探してしまうようになった。
みんな生まれた時から持ち歩いてる鞄の中に、沢山の何かを底に敷き詰めてきた。写真の端に写り込んだ部屋の明るさや、その日の空気、なぜか少しだけ胸が揺れた理由や、虚しさや悲しさをみないように。そっと鞄にしまえるようになるのが、大人だと知った。大人になっても子供の心のまま何も変わらぬ稚拙さをもっているのに、経験値ばかり増えていき、生きやすさを求めて、鞄の中を綺麗に整えてしまう。自分で消化してしまったものはただの"記録"で"感情"ではない。
西野カナを聴いて「会いたくて震えていた」あの頃の切なさは、どこへ行ってしまったのだろう。今の私は、もう"会いたくて"を聴いてもどこにも共感できない、懐かしさを美化する、すっかり「整った30代」となった。
私が残していたかった大切な何かは、美しかった記憶だけではないのに。醜い感情も、青臭さも、どうしようもなく苦しかった夜も、あの沈黙の重さも、たしかに私の人生だった。名前も知らぬまま通り過ぎて行った、あの愛おしい醜さを、無かったもののように思い出せなくなっていく。あれだけ涙を流して、消えたいと願っていた自分でさえ、消えてしまう。なのに消えてしまった事が残っている。書かなければ。忘れないためではなく、私が私を覚えているために。
鞄の底には、ずっとあると思っていたあの愛おしい小さな世界は、もう何も1つ残ってはいない。あの時のにがいと感じた味を、もう私は正確に思い出せずにいる。けれどその形の無い重量を、無くしてしまった事を悔やんでいる暇はない、胸の温度までは未来へは連れてゆけないから、私は書いてゆくしかないのだ。
この重いだけの鞄を、愛おしく抱えて。その重みに、いつまでも心を震わせながら。
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#書く人生がはじまった瞬間
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