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やめたい。と思いながら、

深夜の23:58。試合前日。

キャンドルを灯しただけの薄暗いリビングで、計量器の上に置いたシーフードヌードルにマヨネーズをいれる。20gぴったりだ。その上から3gのタバスコをかける。

TANITAの計量器は優秀である。水洗いされて濡れた野菜も、水浸しのシンクを泳がされても、溺れ知らずだ。数々の計量器を天へと召してきた私がどれだけの修羅場に追いやろうとも、この計量器は今日もきちんとした数値を知らせてくれる。壊した分だけの教訓で丁寧に扱うこともできるなか、濡れたマグロを計る漁師がいるならば防水計量器があるはずだと、ズボラを諦めなかった私を盛大に褒めたい。

この計量器への信頼は外見だけではない。内面には、天下のパナソニック製のエネループが入っている。電池が切れても電池を買い替える必要もなく、自立心の気高い計量器へと育てたので、もうどこに出しても恥ずかしくない。試合でどこの遠征に連れて行こうとも、どこの国で勝負しようとも。

「まゆちゃん、体重計も電池が切れてもたわぁ、替えの買い置きあるん?」なんて呑気なことをいわれるので、全部全部ぜーんぶエネループにしてやった。これで絶対に買い置き電池がない真夜中の絶望をもう味わうこともない。24時間体重を計り続けるボクサーの嫁としては最強の戦略だ。

「めっちゃ気合の入った奥様ですよね」
「アスリートの奥様って大変そう…本当凄いよ」
と言われるたびに夫は答える。

「そうやねん、全部やってくれて、本当に感謝しててすごいねん。」
私はその横で微笑みを浮かべ心の中ではやめてくれと唱える。

すみません。本当にすみません。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。違う。全部、違うんです。本当はボクサーの妻なんてやめたい。と思う瞬間がたびたびある。だから家じゅうの全ての電池をエネループにした。

アマチュア時代より付き合い13年、日本チャンピオンになったときに結婚をした。結婚してからは7年である。

世間は私を「献身的な妻」と呼んでくれる。

糖質量を測り、カロリーの計算をしつくしたバランスのいい食事を夫に食べさせる。その食材を買い出しに行くフリをしてマクドナルドへ駆け込み、ハンバーガーを3つも口に詰め込んだエスケープを誰も知らない。マヨネーズを絞りすぎて体重の増加が止められず、さきほどまで夫の食事を計っていた計量器で、自分のマヨネーズ量を計っているのもそのせいだ。

「ささみとか食べるんだよね?最後にはもやししか食べないんでしょ?」
「水しか飲まないって本当なの?」

ささみやもやし食べて、水を飲めば減量が終えられるならそれでいい。むしろその方が楽でこんなめんどくさい感情に陥らずに済んだかもしれないな。

そんな気持ちに罪の意識をずっと持っていたが、アスリートフードマイスターという資格をとった時に、たくさんの妻という存在達に出会った。サッカーや野球、フェンシングにアメフト。競輪に水泳。

彼女たちが共有するのは「輝かしい成功」ではなく、いつだって「誰にも言えない泥臭い葛藤」である。

私から見ると、先輩妻である彼女たちはいつも完璧な妻だ。教科書も手本もない私たちはただ、当たりもしない外れもしない正解を求めて、自分だけのオリジナルな戦い方を模索するしかなかった。でも彼女たちはずっと、葛藤しながらも自分を見つめている。それでも答えがみつからぬまま、引退していく夫を見送る妻たちも沢山いる。

そんな先輩たちは常に私に何かをあたえてくれていた。「完璧な妻」ではなく、あまりにも¨人間¨であるという事実だ。それに抗うかのように選手達もまた¨人間¨であることが私たちを時に苦しませた。そんな孤独は分かち合えるとしったことが、私のほんとうの救いだった。

ずっと頑張る、ずっと燃えている、なんてことができるひとはいるのだろうか。やる気がおきては途端に動き回り、燃え尽きたように倒れこみ、ソファーで10倍の時間をかけて回復するタイプもいる。それこそが、私である。

体重の管理や、試合前のチケットの管理がめんどうくさくて、どうにかできないもんかとスプレッドシートを夫と共有し、券種や枚数、金額の計算も自動入力されるように関数を組んだ。と言えば聞こえがいいが、どうにか私が楽になりますように、と難しい関数は仲良しのミス関数ちゃんをフラペチーノで買収したりもした。ミス関数ちゃんは、私がソファで寝込んでいる間に「いつも頑張ってて偉いね、まかせてね」といたわりの言葉まで送ってくれる。私はその週はいつもの20倍の時間はソファにいたのに。

苦労を楽にする一心で今日までたどり着いたのだが、それでも私は、夫の結果がうまくいかなかったときに、いつもこれまでの事を思い出してしまう。

だから私は私の本当の気持ちに気がついてしまった。

夫が負けることが怖いわけじゃ無い、夫が負けた後に押し寄せる自分への後悔が怖いのだ。マクドナルドに駆け込み、マヨネーズを絞り、辞めたいと叫びながらも「いつか来る終わり」への恐怖が、試合前夜の私を湿っぽくさせる。やっぱりやめてしまいたい、夫は明日勝てるのだろうか。

そして、そんな感情を味わえるのは本当は贅沢だということも。夫のアスリート人生は終盤に差し掛かる年齢となり、引退と瀬戸際で寂しい思いをかかえている。私が本当にやめたかったのは、ボクサーの妻という立場でなく、ちゃんとした奥さんごっこなのかもしれない。

伴走すればするほど完璧を求め、寿命は確実にすり減っているのだ。私の中身はエネループのように充電ができない。寿命は多分75歳くらい。支え始めた20代の頃より確実に歳をとって、エネルギーの供給はおそくなっている。でもシーフードヌードルにマヨネーズを絞れば絞るほど、たぶん私は少しだけ長生きすることになる。¨人間¨という毒と愛を持ちながら。

引退を自分で決められないこの役割はいつか簡単に引退になってしまう。

3分たったカップラーメンをずるずると啜る。

「ごめんまゆちゃん、麺をすするのやめてくれへんかなぁ…、俺のお腹がその音に合わせて、ぐーぐーなってるわぁ」
リビングの音は寝室に抜けていく。

憎らしく儚い。この夜をまだ私はあたためてたい。世間が言うような「気合の入った奥様」ではないのかもしれない。

それでも暗い台所で一人ですするカップ麺の温度を、この先も、たしかに愛おしく感じると思う。

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