めぐみ、絶対連絡してきちゃダメだよ。
綺麗に手を合わせて「いただきます」という夫に、「めぐみのことを、エッセイとして書こうかな」というと、「やめておいたほうがいいんじゃない」とだけ言い、ホッケを口の中に放り込んだ。
夫は食べ物を食べるのが上手だ。箸使いが美しいだとか、蟹の身を剥くのが得意だとか、そういった部類の上手いではなく、「ご飯があることは、当たり前じゃないから」と言い、料理を作った人、農畜産業の人、運送の人、しまいにはその葉が育つまでに降った雨や、土の中の虫、自然の摂理にまで感謝をしだす始末だ。
いまの私にとっては、当たり前のこの光景が、かつては宇宙の果てにあるかもしれない幻の幸せだったのになと、ホッケを楽しむ夫を見ながら、私の意識があの夜に引き込まれていく。
20代だった私が、仕事帰りに週四で通うダーツバーに寄ったときのことだった。その日、見慣れない彼女は、名前も知らぬ常連おじさんの外したブル(ダーツの中心部)に「惜しい!」と言ってうなり、常連おじさんの奢りでテキーラを飲んでいた。
マスターに「元気なお姉さんがいるね」と聞くと、一見さんだというのである。Tシャツにデニムというすっきりとした服装に、肩から手首にかけて黒いサポーターをしている。夜の街では入れ墨隠しも珍しくないが、そのサポーターさえ、彼女のスタイルを完成させる潔いアクセサリーのようで、自分の足で凛と立つ、自由の象徴のように見えた。
その頃の私は、真面目に生きているのに幸せになれない自分にいつも苛立っていた。「誰か私を幸せにしてくれよ」と心の中の無線信号をとばすも、そんな痛々しい電波を拾う白馬の王子様なんて世界のどこにもいなかったのだけれど。だからだろうか。「自分を幸せにできる女」のような彼女が、私の領域に潜り込んできたことが、なんとなく恐ろしかった。
彼女と常連おじさんは、まるで学生時代からのマブダチであるかのように盛り上がっていた。話したことはないが、あんな楽しそうにめがねを揺らすおじさんは見たことがなかった。きっと二人が知り合ったのは今日なのだろう。でなければ、絶対コンタクトデビューをしているはずだ。
少し時間がたったころ、急に彼女は私が座っていたカウンター席の隣にすとんと座り、人懐っこい笑顔で私の顔をのぞきこみながら、言った。
「カルーアミルクってさ、甘いよな」
なんてことのない当たり前の事を、なんだかおもしろい発見だといいたげな口調で言うので、どうしていいかわからず「そうですね」なんて仏頂面で返事をしたのに、満足気に頷き、常連おじさんに五目並べに誘われるとそっちにふらりと行ってしまった。その後ほかの常連たちと談笑をたのしんでいるうちに、いつのまにか彼女はいなくなっていた。
テキーラに溺れて机で眠る常連おじさんの前に、名刺が置いてあった。その名刺には近くのスナックの名前と達筆な字で「めぐみ」と書いてあった。彼女の名はめぐみである。
その日から、ふらっと現れてはその場所に溶け込み、盛り上がったと思えばふらっといなくなる。めぐみは気まぐれな野良猫みたいな人だった。店で会うと、彼女はいつも脈絡のない言葉を私に投げつけていった。
「今日の朝、傘を電車に忘れてしまってんな」
「今日、ワンピースの新刊発売日やで」
「卵99円で買えてんけど、全部ゆで卵にしたわ」
挨拶代わりの独り言はいつも声が大きく、こちらが返事をする間もなく次の話題へ飛んでいく。私はいつの間にか「へえ、それで?」と彼女のペースに心地よく巻き込まれていた。
常連おじさん達と一緒にダーツをしたり、テキーラを飲みながら「ラーメンは塩派か醤油派か」で喧嘩したり。周りを簡単に自分の渦に巻き込んでいく、生命力あふれる豪快な愉快さときたら。めぐみは、そんな風に生きる才能を持った猫だった。
けれどその反面、とても誠実な猫でもあった。恋愛の話になると「お米粒を残すのは、お金をゴミ箱に捨てることと同じやわ」というのが定番であった。
実際にめぐみはすごくきれいな姿勢で手を合わせて「いただきます」というと、マスターが出すチャーハンを、米粒をひとつ残らずたいらげるのである。そして隣でカルーアミルクを飲む私に「ご飯をきれいに食べる人と付き合うんやで」なんて言い、「いつまでも可愛くいてね」と頭を撫でてくる。私より5歳上の無邪気なめぐみが途端に親猫のように大人びて見えるその瞬間が私は大好きだった。
めぐみの願いに反して、私の交信はダメンズチャンネルに繋がりっぱなしだった。みんな自分の間違いには甘いくせに、正論を言うのが大好きだ。私の弱さを否定する友達はたくさんいた。勿論彼女たちの優しさであることはわかっていたのだが、彼女たちの「光を歩む生き方」にどうしてもついていけず、自分が作った沼の中で、誰にも言えない寂しさを抱えていた。
でもめぐみだけが、私が泣き付こうとも「別れや」とも「わかるで」とも言わず、ただ頭をなでながら「ほんとうに馬鹿やなあ」と大きく笑うだけ。その「馬鹿やなあ」が妙に温かくて、その言葉を聞きたくてめぐみに泣きついていたのだと思う。
めぐみと出会って半年がたったころ。いつもより遅い時間に、めぐみが息を切らしながらバーに入ってきた。いつもなら「めぐみさまのおでましだ!!」なんて、ふざけた大声をだしているのに。私の横に座った途端に、急にぽろぽろと泣き始めた。気丈だったあの猫が、人間のように泣いている。
それでもバーはいつもどおりにうるさいし、そんなことには目もくれずに酔っ払い達は盛り上がっていた。だからこそよかったのかもしれない。いつも通りに紛れ込むことができたから、めぐみの隣で静かにカルーアミルクを飲んでいた。
めぐみに泣いている理由を聞けなかった。泥沼にいる私も、彼女たちのように正論という正誤を灯してしまうのではないかと途端に怖くなった。私には「どうしたの」と言える勇気も、喉の奥に張り付いた薄い膜のような申し訳なさを剥ぎ取る術もなかった。
なんだか私まで泣けてきて、二人でただただ泣いていたら、マスターが「お腹が空いたら碌なことがないからね。サービス!」とチャーハンを二つならべてくれた。
こんなときまでも姿勢を整えるめぐみに合わせて「いただきます」というと何だかものすごく笑えてきて、目を合わせるや否や私たちは笑いが止まらなくなった。半分ぐらい食べたころ、自分に呆れたように大きく深呼吸しためぐみが、絞り出すように話し始めた。
「私さ、新しい場所でやり直そうとおもってて、明日が新しい家の契約日なんやけど……いろいろあって、お金が足りへんくなってさ。もーほんま絶望。まあそのおかげで、あんたにまた会えたんかな」と笑いながらサポーターをさすっていた。
お金をなくした理由は言えないことなのだと、自分の経験から察しがついた。私の事をずっと否定しなかっためぐみも、私のような沼の中でもがいているのかもしれない。
「私が貸すよ。お金」
店にめぐみを残して、コンビニへ走った。ATMで数字を打ち込む指が震えて封筒に入れるときにその厚みにどきどきした。貸せば戻るのかと一瞬は思ったが、どうでもよかった。私はめぐみを救う聖人になりたかったのだと思う。
ボールペンを一本買ったレシートの裏に「あげる」とだけ書いて一緒に入れた。それ以外の気の利いた言葉はでてこなかった。
店に戻ってめぐみのカバンに封筒を放り込んだ。
「だめやろ」
「いいねん。もう帰ろうや」
ふと見ると、チャーハンのご飯粒は歪に取り残されていた。粒がお皿にこびりつき、乾燥していた。初めて米粒を集めないめぐみを見て「幸せでいてくれよ」と少し苛立った。めぐみも沼にいると喜んでいた癖に。店を出て、手を握るとめぐみはまた泣きはじめた。
私が「馬鹿やなあ」というとめぐみが「ありがとうが言えへん」と苦しそうに笑うから「めぐみなら、絶対大丈夫。やり直すから大丈夫なんじゃないよ。めぐみだから。めぐみだから大丈夫。」と今度は強い気持ちで正誤を付けた。そうして私たちはいつもの曲がり角で、いつも通りのばいばいをした。
「もう会えないね」というよりは「自分を信じて、夜は歩いて抜けていこうね」という私たちへのエールのつもりで沢山手を振った。私も私なら大丈夫と、自分に言ってあげたかった。
いつか別れなければと頭ではわかっていた彼氏や、どこかに向かってきっちりと歩くまともな友人たちとの間で立ちすくむ私の、虚しくも馬鹿らしい何かを埋めてくれるのは、お金を貯めておくことしかなかった。
だから、あの夜の私は、めぐみの絶望を都合よく利用して、まるで彼女たちのように正しい綺麗な人間であるかのように、自分の存在価値を買い取ったのだ。聖人になるはずだったのに、急に自分がひどく安っぽく、おぞましい人間に思えた。
私はそれきり、幸せの無線信号を飛ばすのをやめた。夜の街に出ることも、飲み歩くこともやめて、昼間の世界の住人になろうともがいた。いくつかの恋愛をしたけど、騙されるのは決まって、ご飯の食べ方が汚い男だった。
そんな風に、めぐみのいない退屈で正しい日常を何年も重ねたある日、白昼の道でばったり、めぐみの働いていたスナックのママに会った。めぐみが元気か知っているか聞かれたので、私は「めぐみだからきっと元気なんじゃないですか」と笑うと、ママが困った顔をしていった。
「うちの店やめた次の日に彼氏が乗り込んできてな。新しい家借りるためのお金、全部奪ったのにどこいったんやってどなり散らしはったんよ。あの子、腕の痣必死にかくしててさ、いつも殴られてたみたい」
私が「他人の目を気にしない自由の象徴」だなんて考えていたあのサポーターが、めぐみの沼だったのだ。自分の死に際や弱った姿を決して人に見せないのがまさに猫だと、妙に納得した気分になった。
「便りの無いのは良い便りっていいますよね」といいながら、あの頃の沼の中の2人を妙に寂しく感じた。
あの夜にまた戻れるとしたら、今の私なら、涙の本当の理由を聞けるだろうか。あの夜の私はどうしたら、彼女に光を差し出せたのか、今でもわからない。
猫は三年たてば、人の顔や名残をわすれさってしまうらしいとテレビで言っていた。それでいい。全部忘れてしまってたらいい。私もその方が都合がいい。
私の顔すら思い出せなくなって、めぐみが今も一粒残らずチャーハンを食べきっていてほしい。お皿を見るたびに、私はそう願わずにはいられない。
「もう一杯飲む?」と夫が話しかけてきた。「ビールをメガで頼もうかな〜」なんて言う私に「好きにしな。俺はもうお腹いっぱい」と言い、両手でお腹をおさえる。
私の世界はもう甘すぎて、カルーアミルクなんて飲めなくなってしまったけれど。私は今、ご飯を綺麗に食べる人と一緒に、あの頃よりうんと健康に生きている。この信号は夜を抜けた先で見つけた。どうしてもそれだけ、めぐみに知っていてほしい。
夫の前には、米一粒、いや、ホッケの骨一本さえ残っていない、誇らしげな皿たちがならんでいる。
めぐみ、絶対私に連絡をしてきちゃだめだよ。
