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プリンセスは御無礼を、絶対に許さない!!!!

ある昼下がりの日の事である。
夫が「ヨドバシカメラで買いたいもんあるんやけど、今日の夕方に使いたいねんなぁ」と言い出した。

来たか…!!という気持ちで、心が躍る。それはそれは、千載一遇のチャンスである。ずっとこの日を待っていた。私は即座に夫にすり寄る。

「私が行ってあげようか?電車に乗るんは面倒なんやろ」

厄介ごとを引き受けてくれたと急に表情を明るくした夫は、「え、いいの!?」と子犬のように顔を輝かせた。眩しい。私は「あなたの協力者ですよ」と言わんばかりに優しく丁寧に頷いてみせる。

夫の気が変わらぬうちに、私は手早く身支度を整えた。トレーナーにデニム。ボサボサの髪を隠すキャップを目深に被り、すっぴんを完璧に遮断する大きめのマスクを装着。今日のドレス選びも、完璧である。化粧などしている時間はない。その時間は、この後の「予定」に響くのだ。

「行ってくるから、娘のお迎えよろしくね」

冷静に、あくまで健気な妻のトーンで言い残し、おつかいをかって出てから10分で家を出た。玄関を出た瞬間、引き裂けんばかりのニヤリニヤリが止まらない。マスクをしていて本当によかった。

私は今から、1人で電車に乗って都会へ行く。幼稚園のお迎えの時間を気にする必要もない。みんながせかせかと働いている。平日の昼下がり。

私は今から、


自由の身だ!!!!!!!!!!!



これは夫のための公式なおつかいである。プロボクサーである夫の練習(仕事)時間は決まっている。17:00のシンデレラの魔法が解ける前に何食わぬ顔で城(自宅)へ戻り、献身的な妻という着ぐるみを着なおさなければならない。

ガラスの靴を落として帰るようなヘマは、断じて許されないのである。王子様が迎えに来てしまっては、私がシンデレラだとばれてしまう。それだけは避けなければならない。

私の表のミッションは、ヨドバシカメラでおつかいの品を買い、夫が練習に行くまでに持ち帰ることであるが、しかし、そんなものは表のミッション(建前)にすぎない。

私には、絶対に譲れない裏のミッションがあった。

私は、非公式の1人時間を堪能する癖がある。「スーパーに買い物に行ってくる」と家を出て、途中でスタバに吸い込まれる時の、あの背徳的な味。フラペチーノにどのソースをカスタマイズするよりも、旨味が増すのである。夫に聞けば、きっと「ゆっくりしておいでよ」と言ってくれるのだろうが、それでは意味がない。

「ママ」や「妻」という役割から、誰の許可も取らずに、自分の意志だけで時間を支配すること。これこそが本物の解放なのである。シンデレラは辛い。でもシンデレラであるからこその楽しみ方というものがある。私はまごうことなき、プリンセス。

13:30。私は上野行きの電車に揺られる。そういえばシンデレラには「舞踏会に行きたい」という願いを、魔法で叶えてくれる妖精がいたな。考えた結果、鞄から妖精を取り出して、ヨドバシカメラのサイトを検索し、頼まれていた商品のカード払い、店舗受け取りを選択する。

完璧である。一分一秒を無駄にせず、すべての任務を遂行してみせる。これまでの数々の成功体験が、今日の私に揺るぎない自信を与えていた。

私には向かわなければならぬ、舞踏会がある。

ヨドバシカメラに到着し、光の速さでおつかいの品を回収した。ここまではプロの仕切りである。と言いたいところだが、ヨドバシカメラ入口に設置されている、ガチャガチャが「私を回してよ」と目をうるるとさせてこちらを見ていた。普段は城で献身的な妻として暮らしているので、この庶民の嗜みに惹かれてしまうのも致し方ない。

小銭があるだけやろうかと思ったが、経済を回すのもプリンセスの役割だ。同時に、コンプリートして城の景観を維持することこそ、献身的な妻の務めでもある。故になかなか、最後のふらわっちが出ないことにもイライラせず、フルコンプまでしっかりと回して、無事たまごっち5種類のカプセルフロッキーズのコンプが完了した。

結局、商品を受け取るよりも、ガチャガチャにかかった時間のほうが長かったかもしれないが、久しぶりの御散策に心が躍ることも当然である。舞踏会への、ウォーミングアップには丁度いいということにする。

そして、ついに舞踏会の会場についた。子供が産まれるまで、何度も通ってきた油そば屋で、手慣れた手つきで大盛Aトッピングの食券を買う。ここの舞踏会は最高であると知っている私の心はもう踊っていた。

娘とデニーズで山盛りポテトフライ明太子ディップ味を食べているときも、丸亀製麺でうどーなつを食べているときも、マクドナルドでハッピーセットを食べているときも、必ずといってもいいほど思うのだ。

「大人だけで外食したい!!カウンターで油そばが食べたいよお~~~~~~~!!」

その夢を叶えるべく、食券を渡して席につき、玉ねぎを何杯いれるか考えたり、今日の味変は、唐辛子タイプでいくか柚子胡椒タイプで行くかを考えるなどし、「柚子胡椒下さい」と0円タイプのトッピングを店員さんにお願いをした。わくわくという言葉を絵に描いたような声色だったと思う。

カサカサと鳴り響く紙エプロンが苦手だ。油そばを救い上げるたびにガサガサと鳴り、口に運ぶまでもおちつかない。しかも、汚れないようにガードするものなのに、エプロンに飛んだ油が結局下の服に響くことがこれまで何度もあった。そこまでのことを考えてこのドレスできた私は、プロのシンデレラなのである。

厨房の奥の方から、店員さんがいよいよ運んできた油そばがカウンター隣の席の人のもので、少しグラスを避けていただく準備をしてしまったのがプリンセスとして恥ずかしい。隣の方も玉ねぎをたくさん入れていらっしゃる。油そばの事をよくご存知なようで、安心する。油そばはみんなに愛されている。それだけで幸福であった。

自分の油そばが来るまで少し妖精でも召喚してヒマを潰そうかとポケットから取り出そうとすると、

「ペチャ……クチャクチャクチャ、ズルルッ」

……ん?鼓膜を突き刺してくる、この音は…。間違いない、純度100%のクチャラーだ。別の客を見るだなんて、はしたないとはわかっているが、横目で見ると、隣の男はイヤホンを耳に突っ込んだまま、片手で触るスマホの画面を凝視して、油そばを啜っている。

油そばへの敬意もないだらしない男は、行動とは真逆に、スーツを着てネクタイをきちんと閉めている。30代くらいだろうか。自分の世界に没入しているその男の口元から、絶え間なく放たれる、湿度の高い破壊音。

「ズルズルっ、ぺちゃぺちゃっ、ぺちゃ、ガチャ、くちゃ」

(嘘でしょ……)

どれだけの時間待ったかも記憶になく、いつのまにか私の前に運ばれてきた、美しく輝く油そば。いつもなら数えながら入れる玉ねぎも何杯入れたのかわからない。油とお酢を回しがけたかも、覚えがない。いつも聞こえる私を食べてという声が聞こえない。

とりあえず混ぜて、口へ運ぶ。
……味がしない。
「クチャクチャ、ズルルッ」
柚子胡椒を入れて、口へ運ぶ。
「ズルズルっ、ぺちゃぺちゃっ、グニョぺちゃ」
……味が
「ズルぺちゃぺちゃっ、ズルぺちゃグチャ」
……しない。

ありえない。右隣から放たれる「ペチャ、クチャ、ジュルルゥッ」というASMR(地獄版)によって脳内や味覚…私の味覚中枢が、完全にハッキングされている。脳内の私はどこかに吹っ飛び、ぐるぐると回って消えていくような感覚になった。紙エプロンのことなんてかわいい悩みだ。

私は城を抜け出してはるばるやってきたのに。せっかくの舞踏会なのに。愛してやまない、あの至高の油そばの味が、一切わからない。

「ぺちゃぺちゃっ、ぺちゃ」

これまでの人生で、こんな悲劇があっただろうか。耳から侵入してくるこのノイズが、私を完全にバグらせていく。

どうすればいい?
「すこし、お口の音を控えてくださらない?」
違う。
「すみません、席を変えてもらいたいのですが」
違う。
とりあえず乗り切らなければ。

落ち着くために、先ほどのガチャガチャのふらわっちを取り出し撫でてみたりするが、なんの気休めにもならずポケットへしまった。

消えてしまった脳内の私を引き摺り戻し、DJのように音に乗ってレコードを回させる。「ズルチャ、ズルズルジュ」その音に合わせて無味の油そばを、私も口に運ぶ。

そんなことを続けてふと男の器を見ると、驚いたことに、麺のみならずあんなに大量に入っていたはずの刻み玉ねぎが、一つ残らず綺麗に食べ尽くされていた。そこは丁寧な事がさらに私の心をえぐっていく。

生まれて初めて、殺意が芽生えた。私はシンデレラだ。『生まれて初めて〜♪』と歌いたいところだが、あれは同系列・別次元のプリンセスなので歌えない。

男は食べ終わったうつわをカウンターの上に置き、口を拭き始める。帰るというのか?

普段、幼稚園のママ友の間では「いつも穏やかで丁寧なお母様」として通っている私である。ママ友のお茶会ではスコーンにクロテッドクリームをそっと添えるような、可憐で上品な女としても定評のある私(自称)だが、今日ばかりはこの男をこのまま返してはならぬはずだ。

男が立ち上がり自動ドアに向かって歩いていく。店の外に出るまでに何か制裁を与えなければ……。無意識のうちに、ポケットの中のふらわっち(カプセル)をギリギリと握りしめていた。気持ちは穏やかになるどころか、拳に力が入り目がどんどん見開いていく。

許さない許さない許さない許さない許さない。
許さないで縛り付けて、咄嗟に念じる。

「クチャラーよ、バルス。」

怒りのあまり、同系列どころか、ライバルの作品の滅びの呪文を使ってしまう始末である。そんな呪文は効くはずもなく、男は満足げにネクタイを整えながら店の外に出ていった。

結局、油そばの味は1ミリも記憶に残らないまま、私は命からがら店を脱出した。憧れのカウンターで油そばは食べたのだから、兎にも角にも、裏ミッションは成功した。ただ本日の舞踏会は野獣のせいで、躍ることなくお開きとなった。

電車に乗ってからもどこからか、あの男の口の音が聞こえる気がして気分が悪い。誰かに聞いてほしい。でも私は舞踏会に出た事を秘密にしなければならない、シンデレラなのである。ガラスの靴を落としては来なかったが、魂が抜けたようにふらふらと舞踏会から帰宅した。

16:50。リビングで待っていた夫に「なっかなか見つからんくてさ〜。でも今日使うって言ってたから、必死で店員さんと探したわぁ」と献身的な妻という着ぐるみに着替えながら言ってのけ、夫はそんな私に「そっか、大変やったなぁ。ほんまにありがとう!」 となんの疑いもなく満足気に商品を受け取り、中身を確認している。

次回の舞踏会には、魔法のノイズキャンセリング機能付きのガラスのイヤホンをドレスコードに追加することを固く心に誓った。クチャラーよ、次こそは私のカボチャの馬車で躊躇いなく轢いてやる。プリンセスは、御無礼を、絶対に、許さない!!!!

人が何かを恨む時、憎しみが強ければ強いほど、その愛は強かったという話を聞いたことがある。だとしたら、私はきっとやっぱり油そばを愛しているらしい。

本当は夫に、この怒りをぶちまけてしまいたかったが、私はこれからも献身的な妻の着ぐるみを着ていたいのである。

シンデレラなんだから、一つくらい秘密があってもいい。私は誇り高き、プロのシンデレラ。城には4種類のたまごっちが門番をしている。

無惨に潰されたふらわっちだけが、私のポケットの中に眠っている。

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