魂と蛇と王冠と──進撃の巨人にみる生命の樹の神話──
ちょっとばかしマニアックな記事を書く。
マニアックすぎてほとんどの人にには理解されないかもしれない…。
自分の頭の中の整理整頓に付き合ってもらえたら嬉しい。
今、ジョン・マイケル・グリア著 伊泉龍一訳の生命の樹を読み込んでいた。そしたらさ、「進撃の巨人ってやっぱり生命の樹と関係あるのでは?!」と興奮している!
まずは生命の樹のP110にこんな図が載っている。

第1章 無垢の巨人とエデンの魂
無垢=まだ統合されていない魂
カバラでは、人間の魂は3つの層からできてるって考えられてる。
ネフェシュ … 生きようとする本能、欲求や衝動(動物的な部分)図14ではイヴが対応。
ルーアハ … 感情や意志、思考などの部分(ルアクともいう)図14ではアダムが対応。
ネシャマー … 神聖な意識、高い精神性、「霊」と呼ばれる部分。図14では天上の三つ組(ケテル・コクマー・ビナー)の統合したセフィラが対応。
つまり、「本能」「心」「霊」の三つ巴。
この三つがちゃんとバランスをとっている状態が、
ジョン・マイケル・グリアが言うところの「エデンの状態」=魂の完全な調和。
でも、進撃の巨人に出てくる無垢の巨人たちはどうかというと、
理性も霊性も働いてない。ただ本能のままに動いてる。
つまり、「ネフェシュ:イヴだけで動いている魂」の状態。
エデンの図に描かれた「イヴ」と同じ?
ジョン・マイケル・グリアの『生命の樹』には、「堕落」する前の魂の状態を描いた図(エデンの園の図14)がある。

そこには「イヴ」が描かれている。
本能的な存在だけど、ちゃんと王冠をかぶって、柱のバランスを支えてる。つまり、ネフェシュ:イヴ(本能)は悪じゃない。
ちゃんと天とつながっていれば、命の力になる。
でも、それがバランスを崩すと…
本能だけが肥大化すると?
自己認識(目覚めた魂・高次元の自分)がないままに、ただ本能で動く。
それが無垢の巨人たちの姿。
ある意味、自己認識や魂の目覚めもなく、言われるがまま社会やルールに合わせて歯車のように生きる人間もまた、無垢の巨人と同じだと思う。
つまり無垢の巨人「変化を拒んだままの魂」の象徴なんだと思う。
霊的な視点も、内観する事もないまま自分が何者かもわからずに歯車のように生きていく。
「変化したくない」「このままでいたい」って言ってる子どもが体だけ大きくなったような状態。
そしてそのまま巨大な力を持ってしまったら――
とても危ういよね。
ジョン・マイケル・グリアの言葉でいうと…
この状態を、彼は「自己意識が生まれる前の魂の段階」としてこう表現している。
「これはより広い意味で見るならば、真の自己意識の誕生以前、すなわち『イヴ』によって象徴される本能や自然のままの欲動が、新たに生起する自己の柱を不安定な状態で維持していた時の私たちの種の進化の諸段階と関連している。」
つまり、無垢の巨人のような存在は、
「霊的な目覚めの前」に必ず通る状態。
悪でもなく、失敗でもなく、
変化前の「まだ整ってない」魂の形。
無垢=無知=未熟。罪ではない
進撃の巨人の物語では、無垢の巨人は「敵」ではあるけど、「悪者」ではない。むしろ、ある意味「被害者」だった。
それって、『生命の樹』の魂の見方とよく似てる。著者であるジョン・マイケル・グリアもこう言ってる。
「『堕落』は罪でも偶発事件でもなかった。むしろ、それはどんな目覚めの過程であっても、必要不可欠な段階だった。」
無垢は悪じゃない。
でも、そのままじゃいられない。
霊的な進化を始めるには、
ここから「自分とは何か」を知っていく必要がある。
第2章 感情のゴミ捨て場と化した世界:ゲヘナと「地ならし」の魂構造
ゲヘナってなに?
ジョン・マイケル・グリア著「生命の樹」によると、「ゲヘナ」はもともとエルサレムのゴミ焼却場の名前らしい。
でもカバラでは、「否定的な諸力」が押し込められた場所として使われてる。
本来あるべき場所に入れなかったエネルギー、処理しきれずに溜まり続けた感情、魂が直面したくない「ドロドロしたもの」の行き場。
そう、それはまさに「心のゴミ捨て場」。
エルディア人=ゲヘナ?
進撃の巨人の世界で、エルディア人は「世界中から憎まれてる民族」だった。
「お前たちはかつて巨人の力で世界を支配した」
「罰を受けろ」
世界中の人々の、日々の鬱憤や怒り、悲しみ、嫉妬…。
このような「本来自分で処理すべき」ネガティブなエネルギーの多くを、エルディア人は押し付けられていた。
これってもう、「ゲヘナ」だよね。
ネガティブな感情の捨て場、投影の対象、封じ込められた力の吹き溜まり。
まさにこれこそ地獄。
溜まりすぎると、どうなるか?
生命の樹に載っている「堕落」の図には、蛇のようなものがとぐろを巻いている。

図14では、蛇はゲヘナの中で眠ってた。

でも「堕落」の図では…
目覚めて、暴れ出して、柱を食い破って魂の構造をズタズタにしてる。
その流れでイヴはゲヘナに落ち、アダムとイヴは王冠を失い、アダムは上位世界とのパイプも断たれてしまう。
地ならし=ゲヘナの暴走?
エレンが地ならしを発動したとき、彼の中には強烈な「決意」と「怒り」とがあった。そしてエレンは自身のことを「自由の奴隷」と言ってたけど、「こうするしかない」という絶望があった。
「もうどうなってもいい」
「全部ぶっ壊してしまえ」
それが、ゲヘナに積もった「感情の蛇」が暴走した瞬間。
そしてこれはエレン個人の選択ではなく、世界が選んだ選択。
世界が自身の闇やドロドロしたものから逃げ続け、それをエルディア人に押し付けた結果が地ならし。
天との繋がりが切れると…
ジョン・マイケル・グリアはこう言っている。
「アダムもイヴも『天上』からのエネルギーの直接的な降下が遮断されているために、王冠を保持していない。」
上(霊)と繋がっていないと、
ルーアハ(理性)も、ネフェシュ(本能)も
方向を見失って暴れ始める。
それでも魂は動く。
でもそれは、導きによるものじゃなく「後ろから追い立てられる」ような動きになってしまう。
強制的であり、痛みの伴う変化を促される。
無視したエネルギーが大きければ大きほど痛みの代償は大きい。
「前方の目的の理解ではなく、背後からの駆り立てる力」
これ、まさに地ならしを実行したエレンじゃない?
世界のドロドロした停滞を破壊するエネルギー。
アダム=エレン?
ジョン・マイケル・グリアの図では、
王冠を失ったアダムが、マルクトの上に立ってる。
もう天とはつながってない。
でも、自分の足で立って
どこに向かえばいいのかを模索してる。
これって、王としての資格を失ったエレンの姿に重ならない?
地ならしの中でエレンは「進み続ける」ことしかできなかった。
それは決して王としての導きじゃなくゲヘナのエネルギーに突き動かされていた姿だったのかもしれない。
では、どうすればよかったのか?
これは、誰かの話じゃない。
私たち自身にも、毎日ゲヘナに捨ててる感情がある。
悔しさ、怒り、不安、嫉妬、劣等感…
それを見ないふりしてると、
ある日突然、心の奥で蛇が目を覚ます。
八つ当たりしてしまう日
自暴自棄になってしまう夜
「もうどうでもいいや」と感じる朝
それって、内なる地ならしの予兆かもしれない。
第3章 蛇を受け入れ、柱を立て直す:魂の統合と「王冠」を取り戻す旅
魂の調和が乱れている
第2章では、魂の三層(ネフェシュ・ルーアハ・ネシャマー)のうち、
ネフェシュ(本能)だけが暴走して王冠を失った状態が「地ならし」と似てるって話をしたんだけどもー。
つまりこういう状態:
本能(ネフェシュ) → 暴れ回ってる
心(ルーアハ) → 天との接続が切れて判断できない
霊(ネシャマー) → 声が聞こえない、遠ざかってる
これ、よくある「生きづらさ」の正体じゃないっすか?
決断ができない
何がしたいかわからない
すぐイライラしたり、自己嫌悪に陥る
こういうとき、ジョン・マイケル・グリアの図で言うと「王冠を失ったアダム」の状態なんだよね。
「柱」が崩れると、魂のバランスも崩れる
生命の樹には三本の柱がある。
慈悲の柱(右)
形態の柱(左)(峻厳の柱ともいう)
中央の柱(均衡、中庸の柱ともいう)
ジョン・マイケル・グリアの堕落図では、イヴがこの両柱を支えていたのに、それが崩れてしまっていた。
じゃあどうしたら、私たちはこの柱をもう一度立て直せるのか?
答えは、「蛇を否定しない」こと
ここが大事。
暴走するネフェシュ=蛇=否定的な感情たち。
これを「悪いもの」として封印したり、押し込めたり、無かったことにしてると、結局また「地ならし」になる。後ろから追いやられるような、痛みを伴う強制的な変容を促される事になってしまう。
ジョン・マイケル・グリアはこう言ってる。
「堕落」は罪でも偶発事件でもなかった。
むしろ、それはどんな目覚めの過程であっても、必要不可欠な段階だった。
そう、「蛇=感情=欲=エゴ」は悪じゃない。
ただ、扱い方を知らないと暴走するだけ。
柱を立て直す方法
じゃあどうしたら魂の柱を立て直せるか?
グリアの図とカバラ的視点をふまえて、以下の3ステップで考えてみた。
① ネフェシュを「否定」じゃなく「観察」する
怒ってる。悲しい。さびしい。妬ましい。
まずそれを「感じていい」と自分に許す。
ネフェシュは生きようとする力だから
まず「暴れてるんじゃなくて、叫んでる」と見る。
② ルーアハで「意味」を与える
なぜ私は怒ったんだろう?
なぜ悲しくなったんだろう?
ルーアハの役割は、感情を「氣付き」に変えること。
「どうでもいい」と無視せず
「何を望んでいたから傷ついたのか」を考えてみる。
③ ネシャマーに「問い」を投げる
すぐ答えは返ってこない。
でも、問い続けることで「天上とのつながり」が戻ってくる。
「本当は、私はどう生きたい?」
「この感情は、私に何を教えようとしてるの?」
「この出来事を、どう統合できるだろう?」
問いを持ち続けることが、
切れていた「上との線」を再接続する手がかりになる。
蛇は「導き手」にもなる
おもしろいのが、ジョン・マイケル・グリアの最初の図(エデンの園)では、蛇はマルクトの奥からケテルへと螺旋状に登っていく「隠されたパス」としても描かれている。

つまり、暴走していたはずの蛇が
「意識の高み」へと導く力になるってこと。
これ、めちゃくちゃ希望じゃないっすか?
第4章 魂は螺旋を描いて還っていく:王冠を取り戻すための、進化のラストシーン
地ならしの果てに、何があった?
地ならしを止めたのは、ミカサの決断。
でも、あの瞬間、彼自身も「止まりたかった」のかもしれない。
誰にも言えなかったけど
誰かに止めてほしかった。
そして最後のアルミンとの「道」での会話。
「8割の人類を殺した罪を償って一緒に苦しむんだ」
アルミンの一言はエレンの魂を救った。
あの時に蛇に飲まれた魂が、最後に目を覚ましたんだと思う。
エレンの暴走は停滞した「世界」には必要だった強制的な痛みを伴う変化だったと思う。
それを実行する使命を持って生まれてしまったエレンもしんどかったと思う。だけど、最後の最後にエレンはアルミンの言葉に救われて、ゲヘナの暴走から救われた。
ジョン・マイケル・グリアの図では…
『生命の樹』の図では、蛇はゲヘナから始まってマルクトの奥で眠っていた。
けれど蛇は暴走。そしてその蛇が「螺旋を描いて」
ケテル(王冠)まで昇っていく流れが描かれてる。
つまり――
暴れまわっていた「否定的な諸力」が
魂の中で受け入れられ、統合されたとき
蛇は、魂の進化を導く力になる。
王冠を取り戻すプロセスとは?
魂が「王冠=ケテル」を取り戻すには、
ただ上を目指すだけじゃダメ。
一度落ちる。
落ちて、見失って、痛みを知って、
それでもまた立ち上がる。
このプロセスそのものが「進化」であって
それは直線じゃなくて、いつも螺旋。
蛇がくねくねと上昇していくように、
私たちの魂も、ジグザグと、時に戻りながら、でも確かに昇っていく。
ラストシーンの木とは何だったのか?
最終回のエンドロールで印象的だったのは樹。
物語の始まりもあの樹だった。
まるで、また誰かがそこから物語を始めるような、
静かな「永遠の循環」の象徴として。
あれって、まさに『善と悪の知識の木』
そして『生命の樹』の重なりじゃないかな?
魂はまた生まれ
また堕ち
また立ち上がって
王冠を取り戻す旅を始める。
その繰り返しこそが、進化なんだ。
参考文献
・ジョン・マイケル・グリア著 伊泉龍一訳『生命の樹』
・アニメ『進撃の巨人』諫山創
