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中編小説『ディーバ ミサキ』
作:西山 麻由子
あらすじ
今から14年前の2012年、カリスマ的人気を誇る歌姫ミサキが亡くなった。死の直前5ヶ月間の魂の日記を綴ったノートが公開された。ド派手な化粧もコスチュームもパフォーマンスとは裏腹に繊細でナイーブだったミサキ。数年前の辛い恋人との別れ以降は恋はせず仕事に生きている。ミュージック・フェアで共演した人気バンドJEWELのKIYOと恋に落ち、女としての幸せを知る。ロンドンへの婚前旅行で想い出を創り、日本に帰国後、世間にも2人の恋を伝える。祝福の最中、KIYOが子供をかばっての交通事故で死亡する。
狂乱するミサキ。閉じこもり、酒とタバコに溺れ、KIYOを追うようにアルコール過多により亡くなってしまう。葬儀には10万人のファンが集まり、KIYOとミサキの墓は青山霊園に並んで、2人の恋は永遠になった。
*この物語はフィクション(虚構)であり、実在の人物とは全く 関係ありません
今から14年前の2012年、一人の若きアーチストが死んだ。名前はミサキ。十代、二十代に圧倒的に支持されていたカリスマシンガーだった。死因は多量の睡眠薬とアルコールの摂取による心臓麻痺。風呂の中で死んでいるとことを発見されたのだった。
死後14年を経った今、家人が彼女のノートを公開することを許した。
これは若き天才の死の直前五か月間の魂の記録である。
* * *
2012年1月2日
東京ドームでのコンサートは大成功に終わった。私は世間では勝者に見られているが、本当の私はみじめだ。生きることが苦しくてたまらない。今こうして日記をつけていることが唯一の救いだ。世間が抱く私のイメージは虚像だ。本当の私はちっぽけで傷つきやすい。ド派手なメイクやコスチュームはそれを隠すための仮面にしかすぎない。女としての辛酸もなめてきた。まだ愛を信じてはいるが、どの男も私の孤独を埋めることができずに別れた。愛していたのに傷つけた私をどうか許してほしい。私は私以外にはなれいのだから。
沈黙の錨が再び降りてくる
私の心に深く深く
鉛の重苦しさが私を襲い
世界の密度だけを甘受する
ただそれだけのための鼓動
宇宙の心臓―それ自身
おおこの平明の何たる充満
それである幸福
私はそれ以外何も望まない
それ以外のものは何も
宇宙を裏返した今
私の耳には何も届かない
ただ一人の声以外は
造物主たる神以外は!
2012年1月3日
私が私自身である時
私は誰も欲しない
自分自身を生きることは
人間の義務
Would you please leave me alone?
2012年1月4日
狂気の雲の向こうにかすかに光る何か
新たな世界が私を手招きする
早く見つけておくれと
たった一人で探しに行かなければならない
精神の眼を見開き
孤独の荒野を掘り進め
純白の地平を突破するまで
Beyond the color
Good Bye!
2012年1月5日
人も目に映る『人生』というものは、正に絶望の隣で生起する事象をつなぎ合わせた代物ではないだろうか?
ひっそりと誰にも知られずに魂の奥底で固まっていく鉱物たちのこと。
絶望によってしか人生は始まらなかった。追い詰められなければ行動は起こらなかった。人の世の何たる無常。いや、寧ろ生のマントとして、冷えきり凍死する寸前に神が贈り賜うたGiftだったのかもしれない。乖離した感情の狭間に響くエレジー。
だが、時は満ち、交差する人の生も入れ替わる。成熟した私はようやくこの世に座席を確保することができるのだろうか?絶望によってではなく、ただ愛に導かれ、生を育むことができるのだろうか?一人の人間として。
2012年1月6日
愛とは他人との闘いではなく自分との闘い。
愛を知らなかった頃、私は傷つくことはなかった。愛を知り痛みを言った。
私が有名になると皆は私のテリトリーを探り始めた。私の愛そのものが人々の標的になりデリケートな感情に踏み込んできた。何の代償も責任とも引き換えにせず。後は私とマスコミのイタチごっこ。大衆芸術に身を投じた私は仕方がないとしても、私の愛したあるいは愛している人々にその仕打ちはつらい。
私に愛する対象が増え私の感情も成熟した。だが相変わらず周囲ではこれ幸いとばかりに私の愛する者達を壊していく。それが私の痛みになると知り、相変わらず無益な争いが続いている。私の愛こそが皆の標的。私の愛をいかに破壊し、私をどれだけ深く傷つけるか、それがこのゲームの目的。
進化したはずの世界に退化しきった価値観が形成されている。
愛する人々よ、私を赦したまえ!
神よ、御身のお導きをどうか!
2012年1月7日
正月気分は抜けた。といっても私はこうして一人暗く日記を綴っているから何ら日常を逸脱してはいないが。実家には帰らなかった。家族に私のこの精神状態を悟られないためだ。去年のツアーは成功を収めた。まだ私を信じてくれているファンもたくさんいる。頑張らなければ。マスカレード。演技し続けることだ。醜い病を抱えたこの私を超えなければならない。
2012年1月8日
ツァラトストゥラは山を下りた。私は人々と語らっているだろうか?エゴで固めた歌を一方的に発信しているだけだろうか?私は人々に愛されたい。愛に成功していない私が求めることはポピュラリズムだ。人々に支持されていれば心の平安は保たれる。私のエゴが人々に受け入れられ、私の作品が人々の共感を得られているうちは、私は私の命を肯定できる。暗い闇を抱えた私が偉そうに人間を救えるなどとはこれっぽっちも思っていない。ただ私の愛を求める気持ちが人々のハートに届き、感情を潤してくれたらと願うばかりだ。疲れた。初夏のツアー開始まで5か月ある。その間新曲のミュージックビデオ撮りとCM撮影、アルバム作り、雑誌のインタビューとテレビ出演とスケジュールは詰まっているが、少しは休める。友達に逢いたい。自分を忘れる程彼ら彼女らと酒を酌み交わしこの心の闇を抜け出したい。だが、彼ら彼女らには生活があり、守るべきものがある。ほとんどプライバシーがないと言っても等しい私が関わりあえば迷惑にしかならない。だが、友が恋しい。懐かしい声が聴きたい。やさしい眼差しを感じたい。オフがある今のうちに連絡をとっておきたい。私はいつも彼ら彼女らに犠牲を強いてきた。それに代わるものを私は与えることができるだろうか?物や金で支払うことはできる。だがそんなもので人間の人生は買えない。彼ら彼女らの人生を壊さないように努めること。それだけは心に留めておきたい。新曲はもう書き上げてある。アルバムの収録曲もほぼすべて出来上がってある。マネージャーに連絡をとらなければ。疲れた。今日はもう寝よう。眠りが幸せを運んでくれますように!
2012年1月10日
昨日渋谷に出かけた。ウィッグをつけサングラスをかけ、人々は誰も私とは気付かなかった。Loftでソファーを購入。ハチ公前のスクランブル交差点であの人に似た人を見かけた。私も横断歩道を渡っていたのですぐに姿は人混みに紛れて見えなくなったが、あの人に違いない。いや、あの人だ。私があの人を見間違うはずがない。
命を懸けた青春の恋。結ばれないと知りつつも抱かれた雨の夜。今でもあの人の燃える手を感じている。身体の隅々までつけられた口づけも。別れ際に交わした深く長いキス。墓場まで持ってゆく秘密の恋。心の奥深く隠していた恋の炎はまだ消えていない。あの人の消息が知りたい。あの人はまだ一人でいるのだろうか?それとももう誰かと結婚しているのだろうか?今はどんな仕事をしているのだろうか?いや、やめた方がいい。もうあんな地獄はごめんだ。私はあの恋を乗り越えられる程強くはなっていない。それでもこの心は身体はあの人をまだ求めている。
あの人に触られて女の歓びを感じたい。あの人に抱かれ、あの人の腕の中で女に生まれた幸せを感じたい。恋は罪。それは誰よりよく私が知っている。この心とめられるだろうか?ダメだ。シャワーを浴びよう。この愚かな私を洗い流そう。今は何も考えるまい。一風呂あびてブランデーを飲み眠りにつくとしよう。睡眠薬が必要だ。今日はいつもより多く飲もう。
2012年1月11日
睡眠薬でぐっすり寝入っていたところ、電話の音で目を覚まされた。マネージャーからだった。ジェイクが倒れたらしい。いつも私の曲の編曲をしてくれるジェイク。やさしくて頼りになるジェイク。私が曲作りに煮詰まっている時は、「よう、気張るな。いつものおまえでいけよ。ファンは受け入れてくれるよ。」と言ってくれる。心配だ。早速見舞いに行きたいが今日はCM撮りがある。マネージャーが迎えに来る。急いで支度をしなくては。
2012年1月12日
昨日のCM撮りはさんざんだった。恋するルージュという資生堂の新リップスティックのCMだったのだが、ベッドに横になり恋人のことを想いながら歌詞を書いているという設定。しかも恋の歌を。艶めく発色と輝くパール成分で、これであなたも恋ができるという宣伝が主旨。
淡いピンクのルージュがシアーに輝いて恋心が募り、恋する女心を表現してほしいというディレクターの要望。
私は小難しい顔をして歌詞を綴り、可愛い唇だけが妙に浮いて表情が硬すぎて全く恋を夢見ている風にはみえない。それで50テイクもとった。ディレクターも最後にとりつくシマなしという感じだった。
「ミサキにも恋をしたことがあるだろう。どうか好きだった男のことを思い出してほしい。浮き立つ心と揺れる女心と淡い期待、それを夢見がちな表情でしっとりと演じてほしい。」
との注文をされた。
私は仕方なくあの人のことを想った。彼とのキス。激しい抱擁。彼の腕の中で感じた歓び。この時間よ、止まれ、と思った恋に与えられた決定的な瞬間。自然と表情が柔らかくなり、恋人への想いがやさしく眼差しに宿り唇がふっくらと艶めいてキラキラと輝いた。「よーし、OK。ミサキ抜群だ。今までとはうって変わって素晴らしかった。この商品はきっと売れるぞ。女の子は皆君に憧れるだろう。できればミサキに恋人でもつくってほしいところだ。イメージキャラクターは君で、流れる曲も君の曲でいく。どうだ、曲はHappyなLove Songに仕上がっているんだろうね。」
「ええ、今回はバラードではなくPopでお洒落な曲をイメージしています。」
「そうか、有難う。何百億という金が動くんだ。君には充分な契約料も支払ってある。このルージュのターゲットは20代。仕事もできるが恋の潤いも忘れていない男女機会均等法で仕事も恋もこなしていくOLのオンとオフに使ってもらいたいんだ。売上は君次第だ。曲に期待しているよ。今日はご苦労さん。疲れたろう。もう深夜2時だ。マルゴーがあるから持って帰ってくれ。じゃあな。」
私は疲れた身体をタクシーに押し込み自分のマンションに帰った。帰ると留守電話メッセージが入っていた。再生するとマネージャーからだった。
「今日は大変だったようだね。さっきディレクターからTELがあり素晴らしい仕上がりになりそうだと言っていたよ。ミサキのあんな表情ファンは初めて見るだろうから、女の子達は皆こぞってあの商品を買うだろうと言っていたよ。とにかくお疲れさん。あとジェイクのことなんだが、意識が戻ったらしい。聖路加病院に入院している。ミサキ、明日はオフだ。お見舞いにいってやったらどうだ。あさってはMusic Fairのリハ。翌日が本番だ。あさっての10時に迎えにいくから。じゃあ、ゆっくり休んでくれ。」
私は冷蔵庫からKiriのクリームチーズとパルマ産の生ハムとトスカーナのオリーブを取り出し皿に並べた。マルゴーを開けるのは気がひけたが、せっかくのディレクターの好意を考え、疲れてもいたので友人の結婚式の引き出物で貰ったワインオープナーで開けた。
グラスに注ぎ匂いを確かめた。まだ若いが強い芳香。口に含み喉でころがすと身体中にしみわたりつかれた身体がほぐされていった。
グレングールドのゴルドベルク変奏曲を流し、白いソファーに深々と身体を沈めた。チーズとオリーブをつまみ、生ハムを一枚食べた。マルゴーとの相性は素晴らしく、一人で一本空けられそうだった。そしてジェイクのことを想った。
明日見舞いに行こう。ジェイクの好きな千疋屋のグレープフルーツゼリーを持って。千賀子さんも真美ちゃんも心配しているだろう。元気づけてあげなければ。ジェイクにはとにかく世話になっているから。そしてマルゴーが身体にまわりだすと、身体中に血がみなぎり自分のことを考えた。
あの人と最初にデートしたのは目白のフランス料理店だった。一階が画材屋さんになっていて二階がレストランだった。あの人は緊張していたのかしきりに水を飲んでいた。あの人はうっかりグラスを倒し、水がテーブルクロスを濡らした。後で聞くとあまりに私が可愛かったので焦って頭が真っ白になっていたらしい。あの人はピンクのオックスフォードシャツに赤色に白いドットのアスコットタイをしていた。私はプー・ドゥ・ドゥのオフタートルのライムグリーンのワンピースを着て真珠のネックレスとブレスとイヤリングを していた。
別れ際駅のプラットホームで初めて交わしたキス。忘れられないあの人の唇。あたたかさと激しさで身体が震えた。
そして三度目に会った夜、あの人は私の腕をぐいと掴んで「後悔しないか?」と言って二人ホテルに入り、ベッドの中で結ばれた。恋の成就。手に入れた永遠の恋。あの人は私を綺麗だと言って顔中にキスをした。女に生まれてよかったと思えた雨の降る九月の夜のことだった。
気がつくとマルゴー1本空けていた。私は我に返り想い出に浸るのをやめた。今を生きなくては。明日ジェイクの見舞いに行こう。早く寝なくては。シャワーを浴びて化粧も落とそう。髪と身体を洗うと眠気が襲ってきた。私は急いでロクシタンのボディミルクを身体に塗るとベッドに入った。
2012年1月13日
朝11時に目が覚めた。親友洋子が私の初ライブのお祝いに贈ってくれたノンノンの目覚まし時計で。
「ムーミン、朝だよ、起きて!」
ノンノンの声で夢の世界から今―現在へと滑り込む。それにしてもこの時計にはいつも笑わせられる。ユーモアに富んだ洋子らしいプレゼントだ。精神を追い込み、ギリギリのマインドで生きている私をいつも世俗の楽しみへと誘ってくれる。
この間の仮装パーティーでも洋子には驚かされた。「ミサキがくれたエメラルドのアンティークネックレス(英国ヴィクトリア朝のものだが)に合わせたの。」と言って侯爵夫人になりきって扇子を持ち、真白なドレスにラバーの緑のカエルをたくさん付け、頭には東京タワーのレプリカを乗せていた。
「ミサキにはかなわないわ。」
そう言って私のクジャクの羽根で全身を覆いスワロフスキーのクリスタルを散りばめた度胆をぬくドレスを指で弾いて笑った。
とりとめのない事を考えているともう11時になっていた。私は棚からシリアルを取り、冷蔵庫からミルクを取り出して軽い朝食をとった。
見舞いということもあって抑えたファッションにしようと思い、クローゼットから白のシャネル・スーツを選んだ。アクセサリーもブルガリのシンプルなものにした。レディ・ディオールの黒のキルティング・バッグに必要な道具を入れ、家を出た。見舞いの品を買いに日本橋と銀座に寄り、聖路加病院のジェイクを訪ねた。
ジェイクは思ったより元気そうだった。
「おう、俺の好きな小川軒のレザンウィッチと千疋屋のゼリーだな。有難う。左半身はまだ麻痺しているが右手なら動くから遠慮なく頂くよ。」
そう言ってレザンウィッチを一つつまんだ。何でも脳血栓を起こして一日は意識がなかったそうだが、そこから不死鳥のように蘇ったらしい。だがまだ後遺症で左半身は麻痺しているという。
「よかったですね。」
私はジェイクの奥さんの千賀子さんに言った。
「ええ、もう意識が戻らないんじゃないかって心配でしたから。」
「我らのジェイクはそんなもんでやられやしませんよ。何たって手がけた曲は三千曲ですよ。私達が最も頼りにしているジェイクが業界からいなくなるなんてことはこっちがさせませんよ。」
「パパってそんなすごい人なの?」
真美ちゃんが聞いた。
「ええ、あなたのお父さんなしには日本の音楽業界の未来はないと皆言っているのよ。」
真美ちゃんは嬉しそうに目を輝かせ言った。
「私、ゼリー食べたいな。パパいいかな?」
「ミサキに聞いてくれ。」
「どうぞ、どうぞ。真美ちゃんも千疋屋のファンだものね。」
真美ちゃんが大事そうにゼリーを一匙ずつゆっくりと口に運んでいる横でジェイクが言った。
「ミサキ、お前疲れているんじゃないか?タイトな生活だからしょうがないにしても、たまには息抜けよ。」
「病人に心配されたんじゃかなわないわね。私のことは心配ご無用。新曲も書き上げたし、次のツアーまでは結構休みがあるのよ。ジェイク疲れたでしょう。私、そろそろお暇するわね。新曲の編曲はマークがしてくれるそうだから、こっちのことは心配しないでね。」
「おお、そうか。お前ともっと話したいんだが、まだちょっとろれつが回らなくてな。今日はありがとよ。また会いにきてくれな。」
「もちろんよ、ジェイク。じゃ、千賀子さん、真美ちゃん、私はこれで失礼します。」
思ったよりジェイクは元気そうだったのでほっと一安心した。リハビリは大変だが、ジェイクなら復帰してくれるだろう。まだまだ生きてもらわなくちゃ困るものね。
私はお腹も空いてきたので銀座方面に足を向けた。サングラス一つで顔を隠していたのだが、幸いにも誰も私には気が付かなかった。
私は久兵衛に入った。サングラスを外した。
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね。」
「今日のお勧めは何ですか?」
「カンパチですかね。おまかせで構わないですか?」
「はい、お願いします。」
「熱燗でいいですかね。」
「いえ、昨日ちょっと飲みすぎたのでグラスビールをお願いします。」
私は先付のホタルイカの酢味噌和えを食べながらビールを一口飲んだ。握りはどれも素晴らしく、私はこのような最高級の店で食べれる自分がありがたいと思った。自分のことを肯定するのは本当の私には難しいのだが、こういう場合は違った。自分の今ある地位に感謝せずにはいられなかった。そしていつも思うのだった。いい曲を書いてファンを喜ばせ満足させたいと。
私はヴィトンの財布から一万円札を五枚取り出してカウンターに置いた。
「ごちそうさま。とても美味しかったです。」
「お気持ち頂戴致します。いつも有難うございます。」
久兵衛を出ると私はMIKIMOTOに立ち寄った。お金はうなるほどあった。いつも思うのだが、私は物質(つまりは買物)でしか自分の仕事の成果を喜ばしく満足に受け止めることができなかった。スターであり続けるという責任感と創作に伴う苦しみと孤独、コンサートでの燃焼。もろもろの事象がお金を使うという行為でプラスマイナスゼロになり、生きるという営みにつながっていた。また、プレゼントという方法でしか私の周りの人々への愛情を表現できなかった。ただあまりに高価すぎるものは控えることにしていた。何だか見せびらかしているようでいやらしいし、愛する人との距離を遠くすることにもなりかねないから。
ただ今日は晶子の誕生祝いを買うつもりだった。私が精神が不安定になり、やもたてもたまらず深夜にいつも電話してしまう相手は決まって晶子なのだった。晶子には大学教授の年の離れた旦那様と二歳の娘がいる。だが、夕食の後片付けをして、お風呂に入り、娘を寝かしつけ、ご主人の晩酌のお供をして、ご主人がベッドに入ってからもまだ眠らず、リビングで雑誌を読みながら二時、三時までは起きていてくれる。いつ私から電話がかかってくるかわからないからだ。この心優しい大切な友にどうお返しをすればいいのか。だから私は毎年晶子の誕生日には記念のジュエリーを贈ることにしている。もし私が死んでも私を覚えていてほしいからだ。私がどんなに晶子に感謝してるかも。
「今日はどういったご用件で?」
VIPルームに通されると販売統括マネージャーが聞いた。
「友人の誕生祝いです。」
「ではこれならいかがでしょう。花蝶玉の九㎜玉で、照りも巻きも申し分ございません。ミサキ様にはいつもお引き立て頂いているのでお安く致しますよ。」
「いや、これはちょっと。あんまりあつかましくこれみよがしの品を贈るとご主人が気分を害されるかもしれないので六万くらいのものを考えているのですが。」
「ではミサキ様、六万にさせて頂きましょう。それでどうでしょう。」
「いやでこれは十九万はするんじゃないでしょうか?私にもそのくらいのことはわかります。」
「ミサキ様にはもう二千万ほどお世話になっておりますのでタダでお譲りしてもいいと思っているくらいなんですよ。私共の気持をくみ取って、そうですね、五万でご提供致しましょう。」
私はどうしようかと迷ったが、ここは好意に甘えることにした。
「よろしいんですか?ではお願いします。」
「鑑別書もお付けしておきますから。今すぐご用意致しますので、しばらくお待ち下さい。」
私はシャンパンを飲みながらしばらく待った。
「ご用意できました。本日は有難うございました。またのご来店をお待ち致しております。」
晶子は受け取ってくれるかしら。でも晶子は私の気持ちを拒んだりはしない。きっと喜んでくれるはずだ。そう思うとちょっと嬉しくなった。るなちゃんの入園式につけていってくれるかもしらない。とにかく真珠の出番は多いもの。重宝するはずよ。そう一人ごつと疲れがでてきたので家に帰ることにした。ITOYAによってグリーティングカードを買うとタクシーに飛び乗り帰宅した。
家に帰ると郵便物がたくさん届いていた。私はそれを束のままリビングのテーブルの上に置くとソファーに倒れ込んだ。しばらく休んでいるとマネージャーから電話がかかってきた。
「来週のミュージック・ステーションのリハだが、君の持ち歌3曲メドレーとジェーン・バーキンのバビロンの妖精をソロで、それとJEWELとのコラボで1曲やってもらうことになった。20日の本番までに衣装を3、4着用意してほしいんだが、ミサキ準備してるかい?」
「ああ、それ今考えてたところなの。メドレーはD&Gの金のラメドレスにミンクのコートを羽織って、JEWELとのコラボはゴルチエの錨のついた黒の革のビスチエに革のパンツ。これなら彼らとの釣り合いもとれるでしょ?」
「いいね。で、ジェーン・バーキンの曲の衣装はどうするんだい?」
「ええっと、ちょっと待って。クローゼット見るから。」
携帯を耳に当てながらクローゼットを探した。十二畳の部屋が一室衣裳部屋になっていて、五百着ほどのドレスや衣装がかかってある。
「ああ、純白の羽根のディオールのドレスがあるわ。それでどう?」
「いいよ、OKだ。じゃ明日10時に迎えにいくから。今日はゆっくり身体を休めておいてくれ。」
やれやれ、靴もジュエリーも考えなきゃ。衣装室に備え付けの棚の引出しを開け、どれがいいか考えた。結局一粒ルビーの周りに0.5ctほどのダイヤが周りを取り囲んであるショーメのネックレスをメドレー用に、ロスで一目惚れして買ったハードなシルバーのネックレスをJEWELとのコラボに、シードパールとダイヤを散りばめたティアラをジェーン・バーキンの曲につけることにした。
あとはイヤリングとブレスとリング。面倒くさくなったので三十点ほどまとめてチュールレースのアクセサリーバッグに詰め込んで明後日の本番に持っていって楽屋であわせてみて決めることにした。靴もピンヒールの靴を十足ほど選んで、ドレスと一緒にヴィトンの旅行用鞄に入れた。仕事のために頭を使ったので疲れてしまった。ソファに横になり寝た。
二時間ほどたって起きると郵便物をチェックした。殆どがダイレクトメールと招待状だった。なかにぶ厚い封筒の郵便物があった。ヨーロッパ文化研究会の季刊誌と会員の近況報告のリーフレットが入っていた。私はリーフレットをパラパラとめくり、ある名前に目をとめた。『近藤武士』。そこには学習院女子大学文学部哲学科准教授に就任との知らせが載ってあった。
あの人だった。やはり哲学の道を究めているようだった。あの人が昔、六本木の台湾料理屋で「僕の研究対象は人間です。しかしその道を究めることは苦しい。」と、喉から声をしぼり出すようにして語った言葉を思い出した。私はまさにその時から彼を愛してしまったのだった。やがて始まった文通。ゆうに百通にもおよぶ手紙のやりとり。あの人の夢を、未来を信じ応援していた私。消えぬ青春の恋。
私はフェラガモのセカンドバッグにリーフレットをしまい、チェストの引出しに入れた。今は何も考えたくなかった。あの人なしに生きている私の人生を生きていたかった。そこで想いを封印し、明日に備えジェーン・バーキンのレコードを聴きながらバビロンの妖精のフレーズを練習した。一時間ほどすると満足な出来になった。私はこれで明日はOKだわ、と思いシャワーを浴びて寝ることにした。シャワーを浴びて髪を乾かすとベッドサイドの時計は11時をさしていた。サイドテーブルの明かりを消してすぐに眠りに落ちた。
2012年1月21日
昨日のミュージック・フェアは大反響をよんだ。JEWELとのコラボで視聴率は25%にはね上がったらしい。ボーカルのKIYOと私の絡みがエキサイティングで素晴らしかったとテレビ局の電話は鳴りっぱなしだったそうだ。とにかくKIYOと私の相性はバッチリだった。「ミサキ、今度はブルーノートでセッションしようぜ。」と、KIYOに言われた。
実はKIYOの麻布十番のマンションに今日招待されている。ラリー・クラークの写真集をみせてくれるからということだ。先月ニューヨークで手に入れたらしい。時間はPM九時。一人で行っても大丈夫だろうか?KIYOは魅力的な男だ。恋に落ちなければいいが。
2012年1月22日
やってしまった。KIYOにおとされた。天蓋付きのベッドで死ぬほど愛され、気が付くとKIYOの腕の中で絶頂に達し、何度も抱かれた。激しい男。身体をとろかす甘いくちづけ。ただのヴィジュアルを気取っただけの男ではなかった。女をイカせる憎い男。やさしさも強さも兼ね備えた本物の男だった。
世間に知られれば大騒ぎになる。女とつきあわずゲイではないか、と噂されているKIYOと永遠のプリマべーラと称されている私。見つかるはずはないはず。とにかく写真週刊誌にフォーカスされないように気をつけなければ。来週末には八ヶ岳のKIYOの別荘に招待されている。TOKYOを離れれば人の目も少なくなる。久しぶりに訪れた恋。果たしてこのまま進んでいいのだろうか?いや、今の私に男の愛は必要だ。去年はあまりに仕事漬けだった。心も身体も疲れ果て灰と化していた。これは運命の巡りあわせ。ただ。KIYOとの恋は誰にも言うまい。SECRET MATTER。大切な晶子にさえ言うことは禁じられている。恋が私を強くするはず。これからは晶子に頼らずに生きていかなければ。男に愛され自立した女になろう。もうあの人との恋のように恋に負けたりしないはず。仕事にヒビが入らないよう自分で自分をコントロールできるはず。二度と恋はするまいと誓った私なのに。神様は私にまた男を愛するチャンスを与えて下さった。KIYOと自分を信じよう。もしこの恋が公になればファンは何と言うだろう?まるで大博打。祝福されるか、泣かれるかは定かではないが、お互いファンを失うことはないはず。資生堂のプロモーションにも一役買ってくれるはず。何といっても相手はJEWELのKIYO。KIYOと恋に落ちたくて秘かに心寄せている業界人も多いはず。女の子達はKIYOに選ばれた女として私を見て、私の株も上がるだろう。リップスティックの売り上げもうなぎのぼりになるだろう。ディレクターも言っていた。「ミサキ、恋をしろよ。」と。
恋は天からの贈り物。Time Consciousなロマンス。思索に使い果たした自分には必要な安らぎ。明日はシングルカットの新曲を含むアルバムのレコーディング初日。マークがアレンジを完成させたらしい。スタジオ入りは午後二時。ボイス・トレーニングをしておこう。煙草は今日は控えよう。コーヒーも×。喉に負担をかけないようにしなくては。ただKIYOにイカされすぎて声が少しかすれている。明日までに治せるかしら。ホットウィスキーを飲んで寝ることにしよう。とにかく疲れた。今日はこれまで。おやすみなさい。
2012年1月28日
新アルバムのレコーディングはまあうまくいった。マークの編曲はジェイクに慣れている私にとって驚きが多い。あまりにPOPに出来ていて80年代アイドルになった気分だ。ただシングルカットの新曲はPOPの中にもエッジが効いている。イントロからドラムが疾走し16ビートでいきなり音を刻んで、ベースとパーカッションがそれを補って厚みをもたし、R&Bのノリで入っていく。ギターを弾きながら「恋をしようよ。恋はタイミング。素敵なミラクル。あなたにかけられた魔法。チャンスを逃さないで。恋を止めないで。」と私がシャウトし、歌が始まる。シンセサイザーが入り、バックコーラスが「You GOTTA Love Motion. Don’t miss the CHANCE. LOVE is so FANTASTIC.」と続く。次は私のソロ。今度はしっとりと歌をきかす。「GIRL、素直になって。あなたの心を偽らないで。」次にアップテンポになり「You are My Sunshine.あなたのフレンチ・キス。笑いながら幸せを感じ合ったAfternoon。初春のヒルサイド・テラス。恋人たちは陽だまりの中、ささやいたり頬に顔をうずめたり。くちびるにひいたルージュ。艶めいてまるで真珠のようにシアーに光る。あなたのくちびるに彼は夢中。Aから始まる恋のレッスン。ボーダーライン。どこまでイってしまうのかドキドキが止まらない。キューピッドにハートを射抜かれてしまったの。恋をしようよ。DANCE! DANCE! DANCE!」
プロデューサーからの注文は別段なかった。「全体的にPOPかつCUTEでかつ華やかにできたね。ミサキ、チャーミングだね、女の子達は特にシングルカットの『ルージュ・マジック』に等身大の自分を投影させてミリオンセラーは間違いないだろう。ミキシングはこちらに任せろ。ミサキは恋する女でいてくれ。それにしてもおまえ、綺麗になったな。本当に恋でもしてるのか?」
「いやだ、西園寺さん。そんな時間なんてないですよ。もういっぱい、いっぱいですよ。」
私はKIYOを心に抱いていた。恋が私を美しくしていた。恋をすると女は無敵。次の扉を開いてくれる。
「もういいですか?」
「ああ、後は俺たちで編集するから。出来上がったら資生堂さんにも渡しとくよ。OKがでるだろう。お疲れさん。しばらく休めよ。発売は3月3日。スチール撮りやなんやらでどうせ忙しくなるんだろう。箱根のホテルのペアチケットがある。温泉にでもはいって骨休めしろよ。お前が誰と行くかは知らんが(西園寺さんはKIYOと私の始まった恋を知っているのかと一瞬思ったが)、まあ大事な女友達と楽しんでこい。じゃあな、GOOD LUCK!おまえとまた仕事できることを楽しみにしているよ。今回のおまえ本当に輝いていたよ。最高だ、ミサキ。この先も頑張って業界に新しい風を送り続けてくれ。間違いなくおまえは時代のCutting Edgeを切り開いている。どうか業界を引っ張っていってくれ!」
「じゃあ西園寺さん、お世話になりました。これベル―ジャン・チョコレートです。みんなで召し上がってください。」
「おう、有難く頂くよ。じゃあな。」
レコーディングは終った。後はミュージックビデオの制作。2月いっぱいでメイキングしなければならない。来週からはその打ち合わせで忙しくなる。その前に明日のKIYOとの八ヶ岳での逢瀬。2月、3月は仕事ずめ。勿論3月3日のリリースに合わせてTV出演もたくさんある。KIYOと美味しい空気を吸い、都会の喧騒を離れて二人でのんびりしたい。
2012年1月31日
KIYOとの八ヶ岳でのオフは素晴らしかった。テラスで満天の星を眺めながらモエのシャンパンで乾杯した。二人の秘密の情事に。静かにグラスを傾け、夜の冷気が心地良く、ほろ酔い気分になったころ、KIYOが紙袋を取り出してテーブルに置いた。
「これ俺からのプレゼント。気に入ってくれるといいんだが。」
ヴァン・クリフ・アーペルのアルハンブラシリーズのブレスとネックレスだった。
「こんな高価なもの、頂けないわ。」
「いいから、貰ってくれ。俺たちの恋の記念に。この先何が起こるかわからないが、俺がミサキを愛したことを忘れないでほしいんだ。俺は君に本気で恋をした。俺の気持がわかるかい?今まで一人でいてよかったと思ってる。ずっと君が好きだったんだ。」
涙が一粒私の頬を伝った。KIYOはくちびるで雫をすくいとると、「愛してる。愛させてくれるね。」そう言って私を抱き上げ、ガラス戸をあけ、リビングを横切り、奥のベッドルームに入り、私をベッドの上に降ろした。
「君がほしかったんだ。その瞳も胸も腰も、綺麗な足も俺のものにしたかった。」
そう言うと、私のカクテルドレスのファスナーを引き下げ、ドレスを脱がせた。KIYOはペールブルーのシャツを脱ぎすて、ズボンを脱ぐと、ブラとタンガとガーターベルトだけになった私の身体中にキスの雨を降らせた。
「ミサキ、好きだ。死ぬほど好きだ。」
そして一枚ずつ私の下着をはぎとった。
「ミサキ、綺麗だ。ほらこんなに濡れている。」
そう言うと、私のヴァギナをやさしく愛撫しながら深く激しくキスをした。
「入っていいかい?ミサキ、俺を感じてくれ。」
KIYOは私の中に入りゆっくりとやさしく腰を動かし、私が快感で思わず嗚咽をもらすと私のうなじにくちびるをはわせた。
「ああ、KIYO好きよ。愛してる。」と、私は叫びKIYOの背中に手を廻すと、KIYOは私の腰を両手でつかみ、私の口をキスで塞ぎ、激しく私の中で動いた。
私は絶頂に達しKIYOの背中に赤いマニキュアの爪をたてた。
私達は結ばれた。JEWELのKIYOと歌姫のミサキとしてではなく、一人の男と女として。恋の歓び。甘美な陶酔。私は恋におちたのだった。
2012年2月2日
今日はメイキングビデオの打合せ会議があった。歌は勿論だが、ダンスも取り入れて、POPではあるが、FUNKYに恋する喜びGIRL’S MINDを表現するという大まかなコンセプトが決まった。場所をどこにするかという事で少々時間がかかったが、この先の世界進出も考えて世界五大都市、NYとパリとミラノとTOKYOとベルリンで撮影し、それぞれの観光スポットを巡り歩く私の姿を映し出し、ダンスシーンを挿入することになった。着用するドレスは20着。五大都市それぞれに4着ずつファッションをかえ、恋する女のエトランゼ、お洒落なスタイルで街を周遊するさまを映像化し、各都市の恋人たちのスナップショットをフラッシュバックさせる。十日以内にドレスやアクセやバッグや靴を、私の意見を取り入れてもらって用意する。そして各ブランドとのライセンス契約。その間マネージャーが交渉人をたて撮影場所の許可をとる。そして2月14日から一週間の五大都市のロケ。2月22日と23日には都内のスタジオでバックダンサーと共にダンスシーンの収録。後は1週間かけて映像を編集し音楽と融合さす。
本当に今月は忙しい。KIYOとも会えない。でもKIYOと私には八ヶ岳での思い出がある。離れていても寂しくない。幸せな私。愛をファンに届けたい。頑張って素晴らしいビデオに仕上げよう。そのためにもっと美しくならねば。私は家に帰ると山積みになったダイレクトメールを引張りだし『ノエビア』のDMを探し出した。トカラの海の贈り物シリーズのボディローションとボディーソープを購入することにした。フリーダイヤルで注文受付センターに電話し、注文した。
2012年2月28日
すべて終わった。一週間の世界五大都市弾丸ロケもスタジオでのダンスの収録もうまくいった。スタッフが徹夜で編集し素晴らしいミュージックビデオに仕上がった。3月3日にはファンに新しい私を届けることができる。
ミラノでは現代のハイ・ファッションと歴史の融合がコンセプト。まずはプラダの近未来形の黒のワンピースを着て赤のバッグと赤いピンヒールを履き、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の前でワンショット。そこにコンピュータ・グラフィックスのレオナルド・ダヴィンチの『最後の晩餐』の画像を嵌め込んだ。次はドゥオモでフェラガモのショッキングピンクのシルクワンピースを着て白いバッグを持ち、白のパンプスを履き、最高峰ゴシック建築と対比させたワンショット。そしてスフォルツェスコ城をバッグにグッチのゴールドサテンシャツに白の70年代風パンタロンを着てワンショット。次に夜のスカラ座でのスナップショット。フェンディのロイヤルブルーのイブイングドレスを着て黒のクラッチを持ち赤い絨毯の敷かれた階段を下りてくる映像。
夜はホテルでぐっすり眠った。さすがに一日でミラノの観光名所のショットを撮るのには疲れた。翌朝ルームサービスでコンチネンタル・ブレックファーストを食べ元気回復。午前九時の便でベルリンに飛んだ。
ベルリンでは東西冷戦の終結を象徴すべく
古色蒼然とした歴史的遺産と一つになった新しいドイツを表現することになった。まずはルネサンス様式の優美なベルリン大聖堂の前でヘルムート・ラングの灰色のテーラードジャケットのパンツスーツを着てワンショット。次にシャルロッテンブルグ宮殿に行き、ジル・サンダーの赤のワンピースを着てワンショット。シャルロッテンブルグ宮殿はフリードリヒ1世が愛妃の離宮としてヴェルサイユ宮殿を手本にして17世紀後半に建てた豪華な宮殿。二人の愛を偲び、しばしロマンチックな気分に浸った。
ベルリンの目抜き通りにあるカフェでスタッフと軽いランチをとった。ピルスナビールとザワークラウトとソーセージが美味しかった。気分が上がったところでブランデンブルク門の前でクリッツィアのレオパード柄のジャケットに黒のシャツにスカートを着てワンショット。最後にベルリンの壁の前でOTTOの白いコットンシャツにブルージーンズをはいてロングショット。午後3時の便でパリに飛んだ。
パリでは全くの観光案内。夜の顔と昼の顔をフィルムに収めた。まずはシャルルドゴール空港に着いたらそのままパリの中心地へ。ホテル・リッツに荷物を預け夜のパリの撮影へ。まずはランバンの水色のスーツを着てレ・ドゥマゴへ。カフェ・ノワール・デ・ドゥマゴを戴きながらワンショット。ドゥマゴは1885年サン・ジェルマン・デ・プレ地区で創業。現在の場所には1914年に移転した。アポリネールやサルトル、ボーボワールなど文豪が通い議論した文学カフェとして著名な所だ。次にピエール・バルマンの黒いカクテル・ドレスを着て夜のシャンゼリゼ大通りを散歩し、ヴィトンやカルティエの店の前を通り凱旋門までの道のりをフィルムに収めた。その夜はモロッコ料理店に入りスタッフと皆でクスクスを食べ、リッツに戻りジュニア・スイートでゆっくりとくつろいだ。
次の日はバトー・ムーシュに乗りセーヌ河遊覧。エルメスのカレを頭に巻き、グレース・ケリーが映画で着ていたファッションを真似てエルメスのカーキのサファリコンビネゾンで河岸からカメラを移動させながら遠撮した。次にチュイルリー公園でランチのシーン。バゲットをかじりながら、アニエスbの紺と白のボーダーシャツに白のコットンリネンのパンツをはき、犬を散歩させている様を撮った。パリでの撮影はそれで終わり。私達はシャルルドゴール空港から一路ニューヨークに向った。
ニューヨークも晴れだった。今回のロケは本当に晴天に恵まれている。NYでは世界最先端の流行発信地を表現するというコンセプト。着いた早々ザ・ペニンシュラ・ニューヨークでの撮影。五番街にある名門ホテルだ。カルバン・クラインのメンズライクなベージュのスーツを着て、ポーターに荷物を預けるところからのロングショット。フロントでチェックインし、ロビーのティールームでティータイム。エレベーターに乗りスウィートへ。部屋に入りベッドに仰向けに倒れたところでその日の撮影は終了。その夜はホテルのレストランでスタッフと食事をとり英気を養い、次の日の撮影に備えて11時には就寝。
次の日は8時に起き朝食を食べた後、ニューヨーク・リバティー・クルーズの撮影へ。ペリー・エリスのシャーベットグリーンのシフォンドレスを着て船上からクルーズの様を撮った。自由の女神像とエリス島、歴史的に名高い移民センター、ワールド・フィナンシャルセンター、マンハッタンの見事な高層ビル群をバッグにフィルムを回した。その後五番街でランチをとり、次の撮影地のロックフェラーセンターへ。GEビルの最上階、展望台、トップ・オブ・ザ・ロックで強化ガラス張り360度のパノラマをカメラに収めた。私はダナ・キャランのエンジ色のキャリアスーツを着こなし、眼下の景色を眺めていた。圧倒的な存在感でそびえ立つエンパイア―・ステートビル、北にはセントラルパークの緑が美しく、西にはハドソン川が流れ、アメリカ大陸が広がる壮大な景観を撮った。
夕方にはニューヨーク市内ミッドタウンにある繁華街、交差点のタイムズスクエアへ。42丁目と7番街、ブロードウェイの交差を中心に位置する。ブロードウェイ・ミュージカルが上演されている各シアターが所在するシアター・ディストリクトの中心。建物外壁の広告や巨大ディスプレイ、ネオンサインや電光看板が多く、人々で活気が溢れている。私はラルフローレンの緑のポロシャツと麻のカーキのスラックスをはいて撮影した。そこでニューヨークの撮影は終り。夜はクラブに行きスタッフと4大都市での撮影が無事終了したことを祝った。ペニンシュラで連泊し次の日ジョン・F・ケネディ空港から一路成田へのフライト。疲れが出たのか機内ではぐっすり寝入っていた。
成田に到着してから一旦家に帰り、シャワーを浴び身体を休め次の日の撮影に備えた。
いよいよ撮影最終日。TOKYOでのコンセプトは変わりゆく世界。アジアの中心都市として世界でますます重要な都市になったTOKYOの今を発信するということ。
まずは渋谷の駅前スクランブル交差点。KENZOのプリントドレスを着て雑踏を歩く。私に気付いて振り返る人も多くいたが、撮影とわかると皆そっとしておいてくれた。スペイン坂の小道を通りPARCOに出てNHKまでの道のりを撮った。
次に表参道へ移動。外苑前にロケバスを止めJUN ASHIDAのクリームイエローのノーカラースーツを着て、ハーゲンダッツでアイスクリームを買い、アイスクリームを食べながら青山通りを歩き、HANAE MORIビルを右に折れ、原宿までの散歩をフィルムに収めた。午前の撮影はそれで終了。新宿へ移動し、三井ビルの最上階でチャイニース・ランチをスタッフと食べ、次の撮影地パークハイアット東京へ。52Fのニューヨークダイニングで日が傾きかけた東京の様を撮影。シェリーを飲みながらイッセイ三宅のプリーツ・プリーズの白のドレスを着た私のワンショット。
最後は東京タワー。川久保玲のコム・デ・ギャルソンの黒のTシャツに黒のワイドパンツをはいて東京の夜景をフィルムに収めた。それで五大都市のメイキングビデオの撮影は終了。
22日、23日は都内のスタジオでバックダンサーとのダンスシーンを収録した。振付もキマッテいて格好いいダンスに仕上がった。
後は各都市で撮った私のフィルムに恋人たちのスナップショットをフラッシュバックさせながらダンスシーンを挿入するだけ。スタッフに後の編集はまかせるだけ。タフな十日間だった。
2012年3月2日
新曲のメーキンングビデオには二億ほどかかった。ミリオンセラーは間違いないから充分にもとはとれるはず。各ブランドの宣伝になればバックマージンも入る。また、売行きと評判の具合で各ブランドのイメージアイコン契約のオファーもきている。次は世界進出。実は3年ほど前から英語の歌詞もたくさん書いてある。この新曲の出来いかんで、契約したいと言われている海外のレコード会社も数社に上る。争奪戦。どの会社にするかは契約金次第で、私の所属事務所がはかりにかけているところだ。仕事も恋も順調。だのに私の神経は相変わらずナーバスだ。今も睡眠薬を手放せない。
白い狂気が私を襲い孤独な夜に堕ちていく。横たわる屍達。吹きつける風。銃声の鳴り響く中、一人私は子守唄を歌っている。親とはぐれた子供が私に近寄ってきた。私はその子を抱き上げ、涙をキスで拭ってあげた。その子は私の腕の中で眠り始めた。子供たちの未来。それを作り上げるのは私達。戦争はもう終わり。大切な地球。人々が憎しみでなく愛で結び合えば平和は訪れるはず。私は責任を引き受けよう。子供たちの未来のために。
実は私は広島の平和大使も務めている。私が中学生の時に広島に修学旅行に行き、原爆ドームと原爆資料館を訪れた時に書いたエッセイを二年前に『世界』に発表したところ、大反響を巻き起こし、わが国で最も影響力のある若き女性シンガーの青春の手記として話題になり、アメリカABCテレビのインタビューを受けたのだった。
それからほどなくして広島市長から連絡があり、平和大使になってくれとの打診があったのだった。今も被爆の後遺症で苦しんでいる人はたくさんいる。二度と核兵器を使わないように世界で唯一の被爆国である日本の国民としてそれを世界に伝えなくてはならない。私は一も二もなく引き受けた。
そして訪れた国は36ヶ国。バチカンにも行き、ローマ法王と世界の平和について談話した。これは各国のメディアによって世界中に報じられた。アラブの富豪にも会い、私のミュージックビデオとサインをプレゼントするといたく喜ばれ、お礼に数々のレースで優勝している名馬を一頭プレゼントしてくれた。つまり私は馬主になったのであり、その馬は今大井競馬場で大いに活躍している。おまけに彼は十億もの寄附をしてくれた。何の見返りも求めずに。それではあまりに気がひけたので私は彼の経営するコンツェルンの株を百万株買った。彼の経営手腕は素晴らしく、おかげで私は高額配当を受取続けている。彼とのつきあいは今でも続いている。私は砂漠の緑化キャンペーンと銘打ったプロジェクトに五億の寄附をした。おかげでアラブ首長国連邦のコマーシャルに出演することになり、中東にも私の顔と名が知れ、私のレコードが彼らに買い求められた。さらに去年の年頭のウィーンのIAEA総会で『非核化への道のり』というスピーチを行い、TIMEにも載り、私は今では世界で最も影響力を持つ女性として、五本の指に入るとまで言われている。
まさに比類なき成功。そんな私であるのにこの心はもろく、精神は不安定だ。精神科にも通い治療しているが、極度の精神の疲労と緊張で神経がやられているという。医師は睡眠が一番の治療と言って睡眠薬を処方してくれている。だが、今やそれも効かなくなっている。私の立場を人に譲るわけにはいかない。歌姫ミサキとしていい楽曲をファンに提供し、一人の人間として世界の平和と安定に貢献しなくては。そのための労働であるし、稼ぎ出した巨額の金を貧しい人々の生活の向上や病で苦しんでいる人々のために使わなければならない。進化するためには多くの書物を読まねばならないし、それにより神経が研ぎ澄まされることは想像のためには仕方がないのだ。常に感性を磨き、愛と美を生み出し、この世に発信し続けなければならないことは、私の生の存在理由(レゾンデートル)であり使命だと思っている。今日はもう疲れた。明日の発売を控え、少し休もう。
2012年3月3日
新曲は一日でミリオンを達成した。日本中で私のミュージックビデオが流れている。評判も上々で、苦労をかけたスタッフも報われるというわけだ。
明日はミューックステーションのリハだ。JEWELも出るらしい。KIYOとは八ヶ岳以来会っていないが、何でも髪を金髪に染めたらしい。相変わらずイケている。誰も私達の交際には気付いていないようだ。ありがたい。魂の安息にしばし浸っていたい。明日のリハも仲間たちに気付かれないようにしなくては。今からストレッチとエクササイズをして新曲のダンスを練習しておこう。
2012年3月5日
楽屋にKIYOがきて、今月末くらいに3、4日一緒にロンドンに行かないかと誘われた。ザ・コンノートに宿がとれたらしい。ピカデリーサーカス界隈を一緒に歩かないかと言われた。また五月から始まる全国ツアーまでに25日だから3泊くらいは時間がとれる。私はOKと言った。KIYOは喜んでくれた。また二人の秘密がふえた。
2012年3月30日
KIYOとのロンドンの旅行は素晴らしい思い出になった。
25日成田からヒースロー空港へ飛んだ。あちらはあいにくの曇り空。ロンドンの天気は変わりやすい。ブラック・キャブに乗り一路コンノートへ。
コンノートは五つ星の格式あるホテル。チェックインしスイートに入り、シャワーを浴びて用意されていたシャンパンを飲み、ベッドの中で愛し合った。日本を離れているということで互いの警戒心もとけ、心ごと身体ごとリラックスして愛しあった。KIYOは煙草をくゆらせ、指で私の背中をなぞった。
「ミサキ、僕の宝物。恋人と呼んでもいいかい?」
「勿論よ。歌姫のミサキはみんなのもの。女としての私はKIYOのもの。あなたの永遠の恋人でありたいわ。」
「ありがとう、僕のマドモアゼル。愛してるよ。今日はホテルでゆっくり過ごそう。プールにでも行くかい?」
「いえ、気分変えてドレスを着てバーでカクテルでも頂きたいわ。」
「じゃ、そうしよう。」
私はサンローランの黒のイブニングドレスを着て、KIYOはポール・スミスのシャツとズボンをはいて、二人バーへ向った。
私はキール・ロワイヤル、KIYOはモスコミュールを注文した。店内はほとんどがカップルで、若い男女もいれば、いわくありげな中年男と若い女のカップルもいた。皆がそれぞれのロマンスを生きている。
「明日はどこに行こうか?」
「まずはロンドン観光としゃれこみましょう。チャールズ皇太子とダイアナ妃が式を挙げたセント・ポール大聖堂に行きたいわ。」
「君と僕も日本の音楽業界ののプリンセスとプリンスだもんな。いい記念になるね。」
それからKIYOと私は二杯ずつカクテルを飲み部屋に戻った。二人とも疲れていたので十時には就寝した。
翌朝は快晴だった。誰にも見られていない解放感から私達は手をつなぎ、肩を抱き合い、ロンドン市内の観光に出かけた。
まずバッキンガム宮殿の衛兵交代の儀式を見た。それからセントポール大聖堂に行った。らせん階段を頂上の塔までのぼりロンドン市内を一望した。KIYOはやたらと、「思い出、思い出。」と言いながらビデオを回していた。
お腹が空いたので英国ブランチの定番の「ブラウマンズ・ランチ」を食べに行こうということになり、ダブル・デッカーに乗り、Brushfield St.のS&M Caféに行った。KIYOが事前にチェックしていた店だ。コールドミートやサラダ、チーズ、チャツネ、ピクルスなどの冷菜とパンを一つの皿に盛り合わせたいろいろな味が楽しめるランチプレートだ。どれも大変美味しかった。それからスローン・スクエア方面に行き、ハイド・パークでお日様を浴びながら二人寝そべって久々のオフを楽しんだ。芝生に寝転んで飽きるまでキスをした。
「これからどこに行く?」
「カムデンタウンに行こう。マーケットで色んなものを売ってるし、屋台がうまいんだ。」
「わー、楽しみ。KIYOってロンドンに詳しいのね。私は仕事でしか来たことがないから殆ど観光したことがないのよ、」
私達は地下鉄に乗りカムデンタウンで降りた。エキサイティングなマーケットで地元ロンドンッ子や観光客で大いに賑わっていた。メインストリートには衣類、食品、日用雑貨、工芸品、家具などさまざまなものが勢ぞろいしていた。私はチッペンデールの書き物机をみつけたので購入した。三千ポンドと値段も格安だった。日本に送ってもらうように梱包してもらい、送り状に私の住所を書いた。
「船便ですので一ヶ月ほどかかりますがいいですかね・」とコックニー訛りの店主が聞いた。
「ええ、結構です。」綺麗なクイーンズ・イングリッシュで私は答えた。
「ミサキいい買い物ができたね。」
「ええ、掘り出し物だったわ。これもKIYOが連れてきてくれたおかげよ。有難う。」
そして雑貨を見てまわり友達用に20点ほど購入した。
「私なんだかお腹が空いてきちゃった。」
「じゃ屋台に食べに行こうぜ。ここはみんな安くて美味しいんだ。」
私達はまず中華を頂いた。海老団子や小龍包、薬膳がゆや腸詰などを注文した。次にタイ料理を頂いた。KIYOはトムヤンクンを、私はグリーンカレーを食べた。味は素晴らしかった。しめにインド料理の屋台に行きラッシーを飲んだ。
「お嬢様、ご満足頂けたでしょうか?」
「満足、満足、大満足よ。KIYO本当に有難う。」
「じゃ、ホテルに帰ろうか。」
「ええ。」
私達はホテルに戻り、シャワーを浴びて、煙草を吸って一休みすると、ベッドになだれこんでいっぱい愛し合った。ロンドンで愛し合うという喜び。JEWELのKIYOと歌姫のミサキとしてではなく、二人のエトランゼとして異国の地で愛し合うということが二人を情熱的にしていた。忘れられない夜だった。
次の日はルームサービスでコンチネンタル・ブレックファーストをとり、ピカデリーサーカスに行くことにした。
二人揃いの黒い革ジャンをはおり、KIYOは黒の革パンにユニオンジャックのトレーナーを着、私は黒の革のミニスカートに網タイツをはき、ヴィヴィアン・ウェストウッドのネックレスをして出かけた。
待ち合わせ場所で有名な、ロンドンのハチ公とでも言うべきエロス像の前で写真をとった。居合わせた観光客に私のカメラを渡し、KIYOと私のツーショットをカメラに収めてもらった。
それから北に向ってリージェント・ストリートを歩いた。アクアスキュータムに入りトレンチコートを物色した。一枚はほしかったアイテムなので迷わず購入した。KIYOにはスカイブルーのネクタイを買ってあげた。
次にローラ・アシュレイに入った。どれもこれもロマンチックでスィート。私はキッチングッズやホームファーニチャーを色々手にとりあれこれ迷った。結局ピローケースと掛敷布団カバーを購入。KIYOは女の子オーラ満載の店内に少々戸惑っていたようだった。それからピカデリー・サーカスに戻り、ヘイ・マーケットを南に歩きバーバリーに入った。色違いのバーバリーチェックのマフラーを購入した。
ハー・マジェスティーズ・シアターの前を通り、東に曲がってナショナル・ギャラリー前のトラファルガー広場に出た。鳩がたくさんいてKIYOは私のスナップ・ショットをたくさんとった。
再びピカデリー・サーカスに戻り、お腹がすいたので東に向い中華街へ。料理店に入りお昼を食べた。KIYOはフカヒレのあんかけチャーハンを、私はアワビの冷菜ピータン添えを食べた。素晴らしく美味しかった。それから店を出て再び引き返し、ピカデリー・サーカスを西にフォートナム・メイソンの前を通り、ボンド・ストリートへ出た。高級ブランドショップが建ち並んでいた。
「お嬢様、これからいよいよショッピングの本番ですね。ご用意の方はいかがですか?」と、KIYOが言った。私はアメリカン・エキスプレスのゴールドカードを取り出して言った。「ジャジャーン。これで勝負よ!さあ、突入開始よ。KIYO、ついてきて。」
まずはエトロに潜入。ペイズリー柄の最新作がそろっていた。私はピンク地に水色とベージュのペイズリー柄のワンピースを買った。どれもこれも素敵だったので目移りしてしまったが、結局第一印象でピンときた品を買ってしまった。私があれこれ試着したので一時間もエトロにいた。
次にグッチへ。ジャッキーラインのバッグの新作が欲しかったので店員さんに見せてもらった。黒が気に入ったので購入。KIYOにはヴァン・クリーフ・アーペルのお礼に時計を一つ買ってあげた。
次にバリーへ。私のお気に入りのブランドだ。靴を三足買った。一目惚れしたグレーのパンプスに赤のスゥエードパンプス、茶のコンビシューズをチョイスした。
「ミサキ、まだ買うのかい?俺持つの大変なんだけど。」
「ごめん、ごめん、ローラ・アシュレイの紙バッグは私が持つわ。でも、まだまだこれからよ。あんまり大きなものは買わないので安心して。」
私達はプラダに入った。私はピンクのキーケース。KIYOにモーブのキーケースを買ってあげた。
次にティファニーへ。スターリング・シルバー925のボールペンを、この旅行の記念だと言って、KIYOが自分と私にひとつずつ買ってくれた。
「有難う。嬉しいわ。これで日記をつけるわ。」
「え、ミサキ、日記なんかつけてるの?」
「ええ、一種の精神療法よ。書くと心が落ち着くのよ。」
次にシャネルへ。シャネルは今までに相当買い込んであるので、今更何を買おうかと思ったが結局イヤリングとネックレスを買った。
次にフェラガモへ。なぜか定番のローヒールパンプスはまだ持ってなかったので、白を購入。アクセサリーもほしかったのでいろいろ見せてもらい、ブレスレットを一つ購入した。
「これはミサキが持って。バリーで靴を三足も買ったんだから、俺もう持ちきれないよ。」
次にカルティエへ。かさばらないものを、と思い、パンサーのダイヤにルビーにエメラルドとサファイヤを埋め込んだブローチを買った。
そして今度はブルガリへ。荷物を持ってくれたお礼にKIYOに香水を買ってあげた。私はショーウィンドウからペアリングを出してもらった。
「これ、どう思う?」
「そうだね。いいね。この際言っておくよ。これを僕たちのエンゲージリングにしよう。ミサキ、もらってくれるね。」
私は絶句した。涙が一粒こぼれおちた。
「嬉しいわ、KIYO。有難う。今度の旅は本当に素晴らしいわ。喜んで頂くわ。」
日本語のわかるスタッフが事情を察して話しかけてきた。
「ミサキ様とJEWELのKIYO様でらっしゃいますね。お二人のことはよく存じ上げてます。私は大ファンですから。お二人のことは当店で内密にシークレットに致します。この度はご婚約、まことにおめでとうございます。」と言って丁寧にラッピングしてくれた。
二人は心ウキウキ。重い荷物もなんのその、喜びで足取りも軽くなった。そしてラリックに入った。ティファニーランプが欲しかったので迷わず購入した。日本へ船便で送ってもらうことにした。
次にルイ・ヴィトンに入り、KIYOと私はそれぞれベルトを一本ずつ購入した。そして今度はエルメスに入り、カレの最新柄のスカーフを購入した。次はスマイソン。イニシャル入りのステーショナリー、便箋と封筒を購入した。
「俺、アルマーニに行きたいんだけどいいかな?」
「勿論よ。」
KIYOはアルマーニでグレーの三つ揃いのスーツを試着し、購入した。
「KIYOもスーツなんか着るのね。」
「俺だったTPOに合わせて服を着るよ。いつもパンキッシュなわけじゃないぜ。」
「そろそろ疲れてきたわね。」
「ホテルに帰るかい?」
「ええ、この荷物じゃタクシ―に乗るしかないわね。」
私達はブラック・キャブを止め、広い座席に荷物を入れてもらった。コンノートで止めてもらい、チップを思い切りはずみ300ポンド渡した。運転手は驚いて言った。
「お二人は日本のセレブリティじゃございませんか?私の娘がJ-POPが好きで、お二人の写真を見たことがございます。この度はハネムーンで?」
「いえ、婚約旅行です。」
「それはおめでとうございます。では、荷物を下ろしますね。」
運転手が下した荷物をポーターがカートに載せ、「お部屋にお運びしてよろしいでしょうか?」と尋ねた。
「ええ、お願いするわ。」
「では、良いご旅行を。お二人の末永いお幸せをお祈りしております。」と運転手は言い、私達にウィンクしてブラック・キャブに乗り、走り去った。
部屋に戻ると疲れがどっとでた。
「私シャワー浴びるわね。」
「俺も一緒に入る。」
私達は泡だらけになりながらバスルームでキスをし、愛し合った。婚約という二文字が二人を強く結びつけていた。
バスローブをまとい、髪をドライヤーで乾かすと、ベッドで激しく愛し合った。二人果ててベッドにうつむけになった。
「KIYO、私幸せよ。人生でこんなに幸せなことってなかったわ。」
「俺もだよ、ミサキ。これから二人で同じ夢を見よう。僕たちの愛は永遠だ。」
KIYOはブルガリの紙袋を引き寄せ、箱を取り出しリングをだすと、私の右手の薬指にリングをはめた。そして私がKIYOの右手の薬指にリングをはめた。
私達は抱き合って何度もキスをした。この世に天国があるとしたら、こんな瞬間をさすのではないか。私達は心の底から笑いあった。
「これを知ったらファンもマスコミも驚くわよ。」
「ああ、できればもうしばらくそっとしておいてほしいね。」
「そうね、成田に着いたら別々に歩きましょう。先にKIYOがおりてね。10分ぐらい後で私がおりるから。」
「そうだな、それならバレないな。」
「OK。もう少し二人だけの秘密にしておきましょう。」
「ところで今晩ミシュランレストランに予約いれてあるんだけど。ミサキ、そろそろ用意して。ロンドン最後の夜は思い切りゴージャスにいこうぜ。」
「嬉しいわ、KIYO。さて何を着ていこうかしら。待っててね。今、服決めるから。ところで、予約何時に入れてあるの?」
「八時。」
「じゃあ、まだ一時間半も時間があるじゃない。余裕、余裕。いい女に変身するから乞うご期待!」
「俺はタキシード持ってきたから、それに着がえるよ。」
私はジョン・ガリア―ノの背中が大きく空いた白いイブニングドレスを着て、ゴールドのクラッチバッグを持ち、ゴールドの11cmヒールのパンプスを履いた。KIYOのプレゼントのヴァン・クリーフ・アーペルのネックレスとブレスをした。
「さあ、準備OKよ。」
「じゃあ、ロンドン最後の夜を楽しもう。」
私達はホテルの前からブラック・キャブに乗った。
「どこ行くの?」
「Le Gavroche。老舗のフレンチ・レストラン。三ツ星だよ。」
「うわあ、楽しみ!」
ブラック・キャブを降り、ドアを入った瞬間からもうおもてなしにあずかった。ピンクで統一されたウェイティングバーで注文をとられ、下の階のグランド・ダイニングルームへ。100ポンドのコースの内容は値段が信じられないくらい美味しく充実していた。
ロブスターのサラダ・マンゴーとアボガド添え、チーズスフレのダブルクリーム仕立、冷製ホタテのスパイス効かせ、鴨肉とフォアグラ、ビーフの赤ワイン煮込み、イギリスとフランスのチーズのセレクション、チョコレート、デザートが次々に出された。勿論ワインも注文した。食後のコーヒーを頂いているとシェフがテーブルまでやって来て尋ねた。「ご満足いただけたでしょうか。」
「素晴らしかったです。いい思い出ができました。」と、私達は答えた。
レストランを出てブラック・キャブに乗りホテルに戻った。その日は12時には寝て、翌日午後の便で成田へ飛んだ。
成田へ着くと、メディア関係者、芸能レポーターに取り囲まれた。
「KIYOさんとのロンドン旅行はいかがでしたか?何人もの人がお二人の仲睦まじい姿を目撃しています。KIYOさんもミサキさんも同じく右手の薬指にペアのグッチのリングはめてらっしゃいますね。お二人はつきあってらっしゃるのでしょう?」
私は何も答えず、タクシーに飛び乗り自宅のマンションへ帰った。マンションの前にはたくさんの報道陣が押しかけていた。タクシーを下りると一斉にマイクがむけられた。私はマイクをかきわけて、マンションの中に飛び込んだ。部屋に入り一息ついた。そして、KIYOに電話した。
「来た?」
「ああ、ミサキんとこも?」
「ええ。」
「どうするかいずれ決めよう。とにかく今は休もう。俺はひと寝入りするよ。ミサキもおやすみ。じゃあな。」
私は服を脱ぎ、シャワーを浴びた。すると急に眠気が襲ってきたので、急いで化粧水と乳液をつけ、髪も乾かさずにベッドに倒れ込んで寝た。
2012年4月5日
女性週刊誌にロンドンでのKIYOと私の写真が掲載され異常な売り上げを記録している。私はこの五日間一歩も外出していない。幸いキャンセルできる仕事しか入ってなかったので、マネージャーに連絡し、日程を調整してもらい、仕事も休みマスコミを避けていた。マネージャーからはこう言われた。
「ミサキのプライベートは君に任しているから君の好きにすればいいが、公式に記者会見した方がよくないか?気持の整理がついたら連絡してくれ。」
私はKIYOに連絡し、どうすればいいか話し合った。
「とりあえず、マスコミ各社に俺たちの交際を認めるファックスを流そう。いつまでもうやむやにしていてもしょうがない。事務所もそうした方がいいと言っている。俺たちが認めたところでファンは減ったりはしないだろう。正々堂々と交際宣言をした方がファンは喜んでくれるだろう。」
「うちの事務所もそう言ってるわ。じゃ今日にでも早速流すわ。」
マスコミ及び関係者各位に流されたファックスはこうをそうした。マスコミは勿論、世間およびファンも納得したようで、おおむね好意的に受け取られた。
2012年4月7日
今日アン・アンのインタビューに都内某所へ向った。マンションを出ると早速マイクを向けられた。
「KIYOさんとの交際おめでとうございます。ミサキさんから一言お願いします。」
「KIYOさんとは真剣におつきあいしております。大切な方です。どうか見守っていてください。皆様お集まり頂きありがとうございます。」
「私達応援してますので、ミサキさん頑張ってくださいね。」
キチンと説明しておけば、なんてことはなかったのだ。私は少しほっとした。
私はマスコミの人達ににこやかに対応しながら、「では、これから仕事がありますので」と言い、タクシーに乗り込んだ。
アン・アンのインタビューでは、仕事観、恋愛観、結婚についてなど聞かれた。向こうも遠慮がちにKIYOのことをほのめかしてきたので、正直に男性との愛が必要なことや、いずれは愛する人と結婚もして家庭をもちたいなどと答えた。
インタビュアーは「正直にお答えくださってありがとうございます。時期が時期ですので皆さんミサキさんの発言には大変興味をお持ちだと思います。今回本当に誠実にいろいろ語ってくださったのでうちとしてはありがたいです。きっと売れると思います。」と言っていたく感謝してくれた。
家に帰りワイドショーをつけると、KIYOが出ていた。ライブの後のインタビューだったようだ。
「今日のライブで『Sweet Heart』という曲を披露なさったようですが、この曲はミサキさんの事を歌ってるのですか。」
「はい、僕の彼女への正直な気持ちです。二人で行ったロンドン旅行は素晴らしかったです。彼女は僕の大切な人です。皆さんこれからも応援よろしくお願い致します。」
「KIYOさん、本当にありがとうございます。私達お二人のおつきあいを応援しておりますので頑張ってくださいね。」
「ありがとうございます。皆さんお集まり下さりありがとうございました。」
コメンテーターの人々は口々に、「いやあ若くていいですね。」「さわやかですね。」「大物カップルの誕生ですね、応援したいですね。」と、コメントしていた。
KIYOの新曲なんて聞いてないけど、今度歌ってもらおう。自分へのラブソングだと思うとうれしくなった。そこで、ロンドンの思い出を整理することにした。山積みになっていた買い物を引張りだし、あの時はこうだった、KIYOはこう言ったっけ、と思い出にふけりながら物を整理した。ロンドン旅行のスクラップブックも作った。二人の写真、KIYOの写真、私の写真、眺めながら幸せな気分になった。3時間ほど満ち足りた気分でいると電話がなった。JEWELのHIROからだった。
「ミサキ、KIYOが大変だ。」そういって嗚咽をもらした。
「え、どういうこと。」
「あいつ、車に乗ってたんだが、飛び出してきた子供をよけようとしてハンドルをきり、ガードレールにぶつかった。」
「KIYOはそれでどうなったの?」
電話口の向こうでHIROが泣いているのがわかった。
「HIRO、KIYOは無事なんでしょうね。」
「だめだ、ミサキ。即死だった。」
私はその言葉が理解できずにいた。KIYOが即死?ついさっきテレビでインタビューに答えていたのに。
「ミサキ、とにかく急いで虎ノ門病院に行ってくれ。」
2012年4月10日
KIYOは死んだ。だが私にはそれが現実のこととは思われないでいた。KIYOの笑顔、やさしい口づけ、激しい抱擁。
私は愛の中に生きていた。生々しい思い出がKIYOの死を受け入れることができずにいた。
やすらかだったKIYOの死に顔。ミサキ、愛してると言ったKIYOの寝顔そのままだった。
通夜、葬儀がとりおこなわれた。私は今自分が何をしているのかわからずにいた。喪服を着ている自分が信じられずにいた。だが、出棺の際、車が葬儀場を後にする時、初めてKIYOは死んでしまい今から灰になってしまうのだと実感した。私はとり乱し、「KIYO行かないで。愛してる。ずっと一緒だって言ったじゃない。」と叫び車にすがりつき泣き崩れた。
JEWELのメンバーが私を抱きかかえ、「KIYOは天国に行くんだ。ミサキ送ってやってくれ。」と、泣きながら言った。みんな泣いていた。ハンカチで顔を覆い、レポーターも泣いていた。集まった5万人のファンも泣きながら、口々に「KIYOありがとう。KIYOは永遠に俺たちの中で生き続けるよ。」と叫んでいた。
2012年4月15日
告別式には出なかった。とても出られる精神状態ではなかった。私は部屋中KIYOの思い出でいっぱいにしていた。KIYOの写真、おそろいのプラダのキーケースにバーバリーのマフラー。薬指にはめたグッチのリング。ティファニーのボールペン。KIYOの『Sweet Heart』をかけながら、KIYOとの思い出に生きていた。涙があふれでて止まらなかった。
なぜKIYOは私をおいて一人いってしまったの。永遠の愛を誓ったのに。ひとりぼっちで旅立ってしまった。KIYOなしでは生きていけない。もう歌も歌えない。私もKIYOの元にいきたい。
ヴァン・クリーフ・アーペルのブレスとネックレスと取り出し身につけた。KIYOと初めて結ばれた八ヶ岳の夜。思い出はあまりに美しすぎた。
私は酒をあおった。正気ではいられなかった。心だけでなく身体もKIYOを求めていた。身体中でKIYOを覚えていた。
マネージャーは仕事をすべてキャンセルしてくれた。5月から始まるツアーも7月に延期した。皆が私のことを心配してくれていた。
テレビをつけるとKIYOの追悼番組をしていた。子供のころのKIYO。私の知らないKIYOの少年時代。JEWELの結成から今日に至るまでの軌跡。私はくいいるようにテレビを見、KIYOの生きている姿を目にやきつけた。
気が付くとへネシーもレミー・マルタンも空になっていた。それでも現実から逃れることができずにいた。私は睡眠薬を飲んだ。眠りだけがKIYOの元にいける方法だった。夢の中でKIYOに会いたかった。私は眠りにおちた。
2012年4月20日
酒と煙草におぼれる日が続いている。マネージャーがきて「ミサキ、気持ちはわかるが、つらいだろうが、どうか立ち直ってくれ。ファンもみんな心配している。どうか何か口にしてくれ。もうずっと食べてないんだろう。痩せたな。かわいそうに。食料品買い込んできたから、気が向いたら食べるんだよ。」
そう言って帰っていった。
歌い手のミサキ、今の私にはもうそんな私はいないに等しかった。KIYOに愛された女であるミサキにしかすぎなかった。あの人と別れた時もひどかった。手首を切る寸前までいった。だが、あの時はあの人の愛を失っただけであの人自身を失ったわけではなかった。あの人は死んでしまわなかったのだから。だから私は生きられた。あの人に恥かしくないように生きていかねば、と立ち直ることができた。だが、今度は違う。私はKIYOを永遠に失ってしまったのだ。
JEWELのHIROから郵便物が届いた。KIYOの撮ったロンドンでの二人の旅行のビデオだった。
『お前が持つのが一番とKIYOの母親からの預かり物だ。つらいだろうがミサキ、乗り越えてくれ。俺たちもつらいんだ。今度会おうな。元気だせよ。』とメッセージがそえてあった。
私はビデオを再生した。幸せなKIYOと私の姿があった。涙があふれて、見えなくなった。笑顔のKIYO、すねたKIYO、困り顔のKIYO。全てが宝物だった。かけがえのない私の永遠の恋人。冷蔵庫からKIYOの好きだったGUINESSを取り出し飲んだ。酔わなければやりきれなかったので5缶も飲み干した。気が付けばリビングのラグの上で寝入っていた。
2012年4月25日
今日からKIYOと共に生きることに決めた。KIYOが買ってくれたティファニーのボールペンで日記をつけることにした。
KIYO今どこで何をしてるの?天国から私を見てる?私はあなたとの思い出に生きているわ。私もあなたの元にいきたい。そして愛し合いたい。歌姫のミサキはもう終わり。あなたに愛された私が残ったわ。あなたは私に女としての最高の幸せを与えてくれた。あなたなしに私は生きられないわ。この身体があなたを想い泣いているの。もうあんなに激しく私を愛してはくれることはないのね。寂しいわ。KIYO愛してる。誰よりもあなたが好きよ。思い出すのはあなたのやさしさばかり。まだあなたの死を受け入れられない。現実を直視できないでいるわ。お酒をあおり、煙草を吸い、睡眠薬を飲んで眠りについてるの。夢の中であなたに会えるから。おやすみなさい。今日もあなたを夢にみるわ。
2012年5月5日
今日は子供の日。KIYOあなたの子供が欲しかった。あなたと同じかっこよくて元気な男の子が。あなたと家庭を持ちたかった。あなたのために料理をし、部屋を片付け、洗濯をし、アイロンをかけ、心地よい家庭を築きたかった。今ではもう叶わぬ夢ね。私は一人ぼっち。あなたが死んで私は生きることをやめてしまったの。ごめんなさい。あなたは怒るわね。誰よりもファンを大切にしていたあなただもの。私がファンを裏切ることは許せないでしょうね。でも駄目みたい。私はただのか弱い女。愛するあなたを失って歌も歌えなくなってしまった。
もうこれ以上書くと気が狂ってしまいそう。なぜあなたは死ななければいけなかったの?神様教えて。KIYOが何をしたっていうの。それともこれは私への罰?だったら私の命を奪えばよかったのよ。KIYOは光の国の住人だったのに。私のようにどうしようもない闇を抱えてはいなかったのに。それとも私が死ねばこの愛は永遠になるの?
私は睡眠薬を多量に飲み、バランタインを一本空けた。気分が悪くなったのでシャワーを浴びよう。
* * *
日記はここで終わっている。
翌2012年5月6日の午後、歌姫ミサキがバスルームで倒れているのが発見された。死後12時間がたっていた。享年24歳だった。
ミサキの亡骸は荼毘にふされた。葬式に出席できなかったファンのために後日日本武道館で追悼式が催され10万人のファンが献花し、その死を悼んだ。スクリーンに映しだされたミサキの輝きをファンは永遠に胸に刻みつけたという。
ミサキとKIYOの墓は青山霊園に並んである。今もファンが訪れ、とりどりの季節の花を捧げ、たえることがない。短くも激しく美しく生き急いだ二人。神は二人に永遠の愛を与えた。それは伝説になった。
