Photo by
sery1
中編小説『ディーバ ミサキ』第2話 作:西山 麻由子
『ディーバ ミサキ』第2話
作:西山 麻由子
*この物語はフィクション(虚構)であり、実在の人物とは全く 関係ありません
2012年1月21日
昨日のミュージック・フェアは大反響をよんだ。JEWELとのコラボで視聴率は25%にはね上がったらしい。ボーカルのKIYOと私の絡みがエキサイティングで素晴らしかったとテレビ局の電話は鳴りっぱなしだったそうだ。とにかくKIYOと私の相性はバッチリだった。「ミサキ、今度はブルーノートでセッションしようぜ。」と、KIYOに言われた。
実はKIYOの麻布十番のマンションに今日招待されている。ラリー・クラークの写真集をみせてくれるからということだ。先月ニューヨークで手に入れたらしい。時間はPM九時。一人で行っても大丈夫だろうか?KIYOは魅力的な男だ。恋に落ちなければいいが。
2012年1月22日
やってしまった。KIYOにおとされた。天蓋付きのベッドで死ぬほど愛され、気が付くとKIYOの腕の中で絶頂に達し、何度も抱かれた。激しい男。身体をとろかす甘いくちづけ。ただのヴィジュアルを気取っただけの男ではなかった。女をイカせる憎い男。やさしさも強さも兼ね備えた本物の男だった。
世間に知られれば大騒ぎになる。女とつきあわずゲイではないか、と噂されているKIYOと永遠のプリマべーラと称されている私。見つかるはずはないはず。とにかく写真週刊誌にフォーカスされないように気をつけなければ。来週末には八ヶ岳のKIYOの別荘に招待されている。TOKYOを離れれば人の目も少なくなる。久しぶりに訪れた恋。果たしてこのまま進んでいいのだろうか?いや、今の私に男の愛は必要だ。去年はあまりに仕事漬けだった。心も身体も疲れ果て灰と化していた。これは運命の巡りあわせ。ただ。KIYOとの恋は誰にも言うまい。SECRET MATTER。大切な晶子にさえ言うことは禁じられている。恋が私を強くするはず。これからは晶子に頼らずに生きていかなければ。男に愛され自立した女になろう。もうあの人との恋のように恋に負けたりしないはず。仕事にヒビが入らないよう自分で自分をコントロールできるはず。二度と恋はするまいと誓った私なのに。神様は私にまた男を愛するチャンスを与えて下さった。KIYOと自分を信じよう。もしこの恋が公になればファンは何と言うだろう?まるで大博打。祝福されるか、泣かれるかは定かではないが、お互いファンを失うことはないはず。資生堂のプロモーションにも一役買ってくれるはず。何といっても相手はJEWELのKIYO。KIYOと恋に落ちたくて秘かに心寄せている業界人も多いはず。女の子達はKIYOに選ばれた女として私を見て、私の株も上がるだろう。リップスティックの売り上げもうなぎのぼりになるだろう。ディレクターも言っていた。「ミサキ、恋をしろよ。」と。
恋は天からの贈り物。Time Consciousなロマンス。思索に使い果たした自分には必要な安らぎ。明日はシングルカットの新曲を含むアルバムのレコーディング初日。マークがアレンジを完成させたらしい。スタジオ入りは午後二時。ボイス・トレーニングをしておこう。煙草は今日は控えよう。コーヒーも×。喉に負担をかけないようにしなくては。ただKIYOにイカされすぎて声が少しかすれている。明日までに治せるかしら。ホットウィスキーを飲んで寝ることにしよう。とにかく疲れた。今日はこれまで。おやすみなさい。
2012年1月28日
新アルバムのレコーディングはまあうまくいった。マークの編曲はジェイクに慣れている私にとって驚きが多い。あまりにPOPに出来ていて80年代アイドルになった気分だ。ただシングルカットの新曲はPOPの中にもエッジが効いている。イントロからドラムが疾走し16ビートでいきなり音を刻んで、ベースとパーカッションがそれを補って厚みをもたし、R&Bのノリで入っていく。ギターを弾きながら「恋をしようよ。恋はタイミング。素敵なミラクル。あなたにかけられた魔法。チャンスを逃さないで。恋を止めないで。」と私がシャウトし、歌が始まる。シンセサイザーが入り、バックコーラスが「You GOTTA Love Motion. Don’t miss the CHANCE. LOVE is so FANTASTIC.」と続く。次は私のソロ。今度はしっとりと歌をきかす。「GIRL、素直になって。あなたの心を偽らないで。」次にアップテンポになり「You are My Sunshine.あなたのフレンチ・キス。笑いながら幸せを感じ合ったAfternoon。初春のヒルサイド・テラス。恋人たちは陽だまりの中、ささやいたり頬に顔をうずめたり。くちびるにひいたルージュ。艶めいてまるで真珠のようにシアーに光る。あなたのくちびるに彼は夢中。Aから始まる恋のレッスン。ボーダーライン。どこまでイってしまうのかドキドキが止まらない。キューピッドにハートを射抜かれてしまったの。恋をしようよ。DANCE! DANCE! DANCE!」
プロデューサーからの注文は別段なかった。「全体的にPOPかつCUTEでかつ華やかにできたね。ミサキ、チャーミングだね、女の子達は特にシングルカットの『ルージュ・マジック』に等身大の自分を投影させてミリオンセラーは間違いないだろう。ミキシングはこちらに任せろ。ミサキは恋する女でいてくれ。それにしてもおまえ、綺麗になったな。本当に恋でもしてるのか?」
「いやだ、西園寺さん。そんな時間なんてないですよ。もういっぱい、いっぱいですよ。」
私はKIYOを心に抱いていた。恋が私を美しくしていた。恋をすると女は無敵。次の扉を開いてくれる。
「もういいですか?」
「ああ、後は俺たちで編集するから。出来上がったら資生堂さんにも渡しとくよ。OKがでるだろう。お疲れさん。しばらく休めよ。発売は3月3日。スチール撮りやなんやらでどうせ忙しくなるんだろう。箱根のホテルのペアチケットがある。温泉にでもはいって骨休めしろよ。お前が誰と行くかは知らんが(西園寺さんはKIYOと私の始まった恋を知っているのかと一瞬思ったが)、まあ大事な女友達と楽しんでこい。じゃあな、GOOD LUCK!おまえとまた仕事できることを楽しみにしているよ。今回のおまえ本当に輝いていたよ。最高だ、ミサキ。この先も頑張って業界に新しい風を送り続けてくれ。間違いなくおまえは時代のCutting Edgeを切り開いている。どうか業界を引っ張っていってくれ!」
「じゃあ西園寺さん、お世話になりました。これベル―ジャン・チョコレートです。みんなで召し上がってください。」
「おう、有難く頂くよ。じゃあな。」
レコーディングは終った。後はミュージックビデオの制作。2月いっぱいでメイキングしなければならない。来週からはその打ち合わせで忙しくなる。その前に明日のKIYOとの八ヶ岳での逢瀬。2月、3月は仕事ずめ。勿論3月3日のリリースに合わせてTV出演もたくさんある。KIYOと美味しい空気を吸い、都会の喧騒を離れて二人でのんびりしたい。
2012年1月31日
KIYOとの八ヶ岳でのオフは素晴らしかった。テラスで満天の星を眺めながらモエのシャンパンで乾杯した。二人の秘密の情事に。静かにグラスを傾け、夜の冷気が心地良く、ほろ酔い気分になったころ、KIYOが紙袋を取り出してテーブルに置いた。
「これ俺からのプレゼント。気に入ってくれるといいんだが。」
ヴァン・クリフ・アーペルのアルハンブラシリーズのブレスとネックレスだった。
「こんな高価なもの、頂けないわ。」
「いいから、貰ってくれ。俺たちの恋の記念に。この先何が起こるかわからないが、俺がミサキを愛したことを忘れないでほしいんだ。俺は君に本気で恋をした。俺の気持がわかるかい?今まで一人でいてよかったと思ってる。ずっと君が好きだったんだ。」
涙が一粒私の頬を伝った。KIYOはくちびるで雫をすくいとると、「愛してる。愛させてくれるね。」そう言って私を抱き上げ、ガラス戸をあけ、リビングを横切り、奥のベッドルームに入り、私をベッドの上に降ろした。
「君がほしかったんだ。その瞳も胸も腰も、綺麗な足も俺のものにしたかった。」
そう言うと、私のカクテルドレスのファスナーを引き下げ、ドレスを脱がせた。KIYOはペールブルーのシャツを脱ぎすて、ズボンを脱ぐと、ブラとタンガとガーターベルトだけになった私の身体中にキスの雨を降らせた。
「ミサキ、好きだ。死ぬほど好きだ。」
そして一枚ずつ私の下着をはぎとった。
「ミサキ、綺麗だ。ほらこんなに濡れている。」
そう言うと、私のヴァギナをやさしく愛撫しながら深く激しくキスをした。
「入っていいかい?ミサキ、俺を感じてくれ。」
KIYOは私の中に入りゆっくりとやさしく腰を動かし、私が快感で思わず嗚咽をもらすと私のうなじにくちびるをはわせた。
「ああ、KIYO好きよ。愛してる。」と、私は叫びKIYOの背中に手を廻すと、KIYOは私の腰を両手でつかみ、私の口をキスで塞ぎ、激しく私の中で動いた。
私は絶頂に達しKIYOの背中に赤いマニキュアの爪をたてた。
私達は結ばれた。JEWELのKIYOと歌姫のミサキとしてではなく、一人の男と女として。恋の歓び。甘美な陶酔。私は恋におちたのだった。
2012年2月2日
今日はメイキングビデオの打合せ会議があった。歌は勿論だが、ダンスも取り入れて、POPではあるが、FUNKYに恋する喜びGIRL’S MINDを表現するという大まかなコンセプトが決まった。場所をどこにするかという事で少々時間がかかったが、この先の世界進出も考えて世界五大都市、NYとパリとミラノとTOKYOとベルリンで撮影し、それぞれの観光スポットを巡り歩く私の姿を映し出し、ダンスシーンを挿入することになった。着用するドレスは20着。五大都市それぞれに4着ずつファッションをかえ、恋する女のエトランゼ、お洒落なスタイルで街を周遊するさまを映像化し、各都市の恋人たちのスナップショットをフラッシュバックさせる。十日以内にドレスやアクセやバッグや靴を、私の意見を取り入れてもらって用意する。そして各ブランドとのライセンス契約。その間マネージャーが交渉人をたて撮影場所の許可をとる。そして2月14日から一週間の五大都市のロケ。2月22日と23日には都内のスタジオでバックダンサーと共にダンスシーンの収録。後は1週間かけて映像を編集し音楽と融合さす。
本当に今月は忙しい。KIYOとも会えない。でもKIYOと私には八ヶ岳での思い出がある。離れていても寂しくない。幸せな私。愛をファンに届けたい。頑張って素晴らしいビデオに仕上げよう。そのためにもっと美しくならねば。私は家に帰ると山積みになったダイレクトメールを引張りだし『ノエビア』のDMを探し出した。トカラの海の贈り物シリーズのボディローションとボディーソープを購入することにした。フリーダイヤルで注文受付センターに電話し、注文した。
2012年2月28日
すべて終わった。一週間の世界五大都市弾丸ロケもスタジオでのダンスの収録もうまくいった。スタッフが徹夜で編集し素晴らしいミュージックビデオに仕上がった。3月3日にはファンに新しい私を届けることができる。
ミラノでは現代のハイ・ファッションと歴史の融合がコンセプト。まずはプラダの近未来形の黒のワンピースを着て赤のバッグと赤いピンヒールを履き、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の前でワンショット。そこにコンピュータ・グラフィックスのレオナルド・ダヴィンチの『最後の晩餐』の画像を嵌め込んだ。次はドゥオモでフェラガモのショッキングピンクのシルクワンピースを着て白いバッグを持ち、白のパンプスを履き、最高峰ゴシック建築と対比させたワンショット。そしてスフォルツェスコ城をバッグにグッチのゴールドサテンシャツに白の70年代風パンタロンを着てワンショット。次に夜のスカラ座でのスナップショット。フェンディのロイヤルブルーのイブイングドレスを着て黒のクラッチを持ち赤い絨毯の敷かれた階段を下りてくる映像。
夜はホテルでぐっすり眠った。さすがに一日でミラノの観光名所のショットを撮るのには疲れた。翌朝ルームサービスでコンチネンタル・ブレックファーストを食べ元気回復。午前九時の便でベルリンに飛んだ。
ベルリンでは東西冷戦の終結を象徴すべく
古色蒼然とした歴史的遺産と一つになった新しいドイツを表現することになった。まずはルネサンス様式の優美なベルリン大聖堂の前でヘルムート・ラングの灰色のテーラードジャケットのパンツスーツを着てワンショット。次にシャルロッテンブルグ宮殿に行き、ジル・サンダーの赤のワンピースを着てワンショット。シャルロッテンブルグ宮殿はフリードリヒ1世が愛妃の離宮としてヴェルサイユ宮殿を手本にして17世紀後半に建てた豪華な宮殿。二人の愛を偲び、しばしロマンチックな気分に浸った。
ベルリンの目抜き通りにあるカフェでスタッフと軽いランチをとった。ピルスナビールとザワークラウトとソーセージが美味しかった。気分が上がったところでブランデンブルク門の前でクリッツィアのレオパード柄のジャケットに黒のシャツにスカートを着てワンショット。最後にベルリンの壁の前でOTTOの白いコットンシャツにブルージーンズをはいてロングショット。午後3時の便でパリに飛んだ。
パリでは全くの観光案内。夜の顔と昼の顔をフィルムに収めた。まずはシャルルドゴール空港に着いたらそのままパリの中心地へ。ホテル・リッツに荷物を預け夜のパリの撮影へ。まずはランバンの水色のスーツを着てレ・ドゥマゴへ。カフェ・ノワール・デ・ドゥマゴを戴きながらワンショット。ドゥマゴは1885年サン・ジェルマン・デ・プレ地区で創業。現在の場所には1914年に移転した。アポリネールやサルトル、ボーボワールなど文豪が通い議論した文学カフェとして著名な所だ。次にピエール・バルマンの黒いカクテル・ドレスを着て夜のシャンゼリゼ大通りを散歩し、ヴィトンやカルティエの店の前を通り凱旋門までの道のりをフィルムに収めた。その夜はモロッコ料理店に入りスタッフと皆でクスクスを食べ、リッツに戻りジュニア・スイートでゆっくりとくつろいだ。
次の日はバトー・ムーシュに乗りセーヌ河遊覧。エルメスのカレを頭に巻き、グレース・ケリーが映画で着ていたファッションを真似てエルメスのカーキのサファリコンビネゾンで河岸からカメラを移動させながら遠撮した。次にチュイルリー公園でランチのシーン。バゲットをかじりながら、アニエスbの紺と白のボーダーシャツに白のコットンリネンのパンツをはき、犬を散歩させている様を撮った。パリでの撮影はそれで終わり。私達はシャルルドゴール空港から一路ニューヨークに向った。
ニューヨークも晴れだった。今回のロケは本当に晴天に恵まれている。NYでは世界最先端の流行発信地を表現するというコンセプト。着いた早々ザ・ペニンシュラ・ニューヨークでの撮影。五番街にある名門ホテルだ。カルバン・クラインのメンズライクなベージュのスーツを着て、ポーターに荷物を預けるところからのロングショット。フロントでチェックインし、ロビーのティールームでティータイム。エレベーターに乗りスウィートへ。部屋に入りベッドに仰向けに倒れたところでその日の撮影は終了。その夜はホテルのレストランでスタッフと食事をとり英気を養い、次の日の撮影に備えて11時には就寝。
次の日は8時に起き朝食を食べた後、ニューヨーク・リバティー・クルーズの撮影へ。ペリー・エリスのシャーベットグリーンのシフォンドレスを着て船上からクルーズの様を撮った。自由の女神像とエリス島、歴史的に名高い移民センター、ワールド・フィナンシャルセンター、マンハッタンの見事な高層ビル群をバッグにフィルムを回した。その後五番街でランチをとり、次の撮影地のロックフェラーセンターへ。GEビルの最上階、展望台、トップ・オブ・ザ・ロックで強化ガラス張り360度のパノラマをカメラに収めた。私はダナ・キャランのエンジ色のキャリアスーツを着こなし、眼下の景色を眺めていた。圧倒的な存在感でそびえ立つエンパイア―・ステートビル、北にはセントラルパークの緑が美しく、西にはハドソン川が流れ、アメリカ大陸が広がる壮大な景観を撮った。
夕方にはニューヨーク市内ミッドタウンにある繁華街、交差点のタイムズスクエアへ。42丁目と7番街、ブロードウェイの交差を中心に位置する。ブロードウェイ・ミュージカルが上演されている各シアターが所在するシアター・ディストリクトの中心。建物外壁の広告や巨大ディスプレイ、ネオンサインや電光看板が多く、人々で活気が溢れている。私はラルフローレンの緑のポロシャツと麻のカーキのスラックスをはいて撮影した。そこでニューヨークの撮影は終り。夜はクラブに行きスタッフと4大都市での撮影が無事終了したことを祝った。ペニンシュラで連泊し次の日ジョン・F・ケネディ空港から一路成田へのフライト。疲れが出たのか機内ではぐっすり寝入っていた。
成田に到着してから一旦家に帰り、シャワーを浴び身体を休め次の日の撮影に備えた。
いよいよ撮影最終日。TOKYOでのコンセプトは変わりゆく世界。アジアの中心都市として世界でますます重要な都市になったTOKYOの今を発信するということ。
まずは渋谷の駅前スクランブル交差点。KENZOのプリントドレスを着て雑踏を歩く。私に気付いて振り返る人も多くいたが、撮影とわかると皆そっとしておいてくれた。スペイン坂の小道を通りPARCOに出てNHKまでの道のりを撮った。
次に表参道へ移動。外苑前にロケバスを止めJUN ASHIDAのクリームイエローのノーカラースーツを着て、ハーゲンダッツでアイスクリームを買い、アイスクリームを食べながら青山通りを歩き、HANAE MORIビルを右に折れ、原宿までの散歩をフィルムに収めた。午前の撮影はそれで終了。新宿へ移動し、三井ビルの最上階でチャイニース・ランチをスタッフと食べ、次の撮影地パークハイアット東京へ。52Fのニューヨークダイニングで日が傾きかけた東京の様を撮影。シェリーを飲みながらイッセイ三宅のプリーツ・プリーズの白のドレスを着た私のワンショット。
最後は東京タワー。川久保玲のコム・デ・ギャルソンの黒のTシャツに黒のワイドパンツをはいて東京の夜景をフィルムに収めた。それで五大都市のメイキングビデオの撮影は終了。
22日、23日は都内のスタジオでバックダンサーとのダンスシーンを収録した。振付もキマッテいて格好いいダンスに仕上がった。
後は各都市で撮った私のフィルムに恋人たちのスナップショットをフラッシュバックさせながらダンスシーンを挿入するだけ。スタッフに後の編集はまかせるだけ。タフな十日間だった。
2012年3月2日
新曲のメーキンングビデオには二億ほどかかった。ミリオンセラーは間違いないから充分にもとはとれるはず。各ブランドの宣伝になればバックマージンも入る。また、売行きと評判の具合で各ブランドのイメージアイコン契約のオファーもきている。次は世界進出。実は3年ほど前から英語の歌詞もたくさん書いてある。この新曲の出来いかんで、契約したいと言われている海外のレコード会社も数社に上る。争奪戦。どの会社にするかは契約金次第で、私の所属事務所がはかりにかけているところだ。仕事も恋も順調。だのに私の神経は相変わらずナーバスだ。今も睡眠薬を手放せない。
白い狂気が私を襲い孤独な夜に堕ちていく。横たわる屍達。吹きつける風。銃声の鳴り響く中、一人私は子守唄を歌っている。親とはぐれた子供が私に近寄ってきた。私はその子を抱き上げ、涙をキスで拭ってあげた。その子は私の腕の中で眠り始めた。子供たちの未来。それを作り上げるのは私達。戦争はもう終わり。大切な地球。人々が憎しみでなく愛で結び合えば平和は訪れるはず。私は責任を引き受けよう。子供たちの未来のために。
実は私は広島の平和大使も務めている。私が中学生の時に広島に修学旅行に行き、原爆ドームと原爆資料館を訪れた時に書いたエッセイを二年前に『世界』に発表したところ、大反響を巻き起こし、わが国で最も影響力のある若き女性シンガーの青春の手記として話題になり、アメリカABCテレビのインタビューを受けたのだった。
それからほどなくして広島市長から連絡があり、平和大使になってくれとの打診があったのだった。今も被爆の後遺症で苦しんでいる人はたくさんいる。二度と核兵器を使わないように世界で唯一の被爆国である日本の国民としてそれを世界に伝えなくてはならない。私は一も二もなく引き受けた。
そして訪れた国は36ヶ国。バチカンにも行き、ローマ法王と世界の平和について談話した。これは各国のメディアによって世界中に報じられた。アラブの富豪にも会い、私のミュージックビデオとサインをプレゼントするといたく喜ばれ、お礼に数々のレースで優勝している名馬を一頭プレゼントしてくれた。つまり私は馬主になったのであり、その馬は今大井競馬場で大いに活躍している。おまけに彼は十億もの寄附をしてくれた。何の見返りも求めずに。それではあまりに気がひけたので私は彼の経営するコンツェルンの株を百万株買った。彼の経営手腕は素晴らしく、おかげで私は高額配当を受取続けている。彼とのつきあいは今でも続いている。私は砂漠の緑化キャンペーンと銘打ったプロジェクトに五億の寄附をした。おかげでアラブ首長国連邦のコマーシャルに出演することになり、中東にも私の顔と名が知れ、私のレコードが彼らに買い求められた。さらに去年の年頭のウィーンのIAEA総会で『非核化への道のり』というスピーチを行い、TIMEにも載り、私は今では世界で最も影響力を持つ女性として、五本の指に入るとまで言われている。
まさに比類なき成功。そんな私であるのにこの心はもろく、精神は不安定だ。精神科にも通い治療しているが、極度の精神の疲労と緊張で神経がやられているという。医師は睡眠が一番の治療と言って睡眠薬を処方してくれている。だが、今やそれも効かなくなっている。私の立場を人に譲るわけにはいかない。歌姫ミサキとしていい楽曲をファンに提供し、一人の人間として世界の平和と安定に貢献しなくては。そのための労働であるし、稼ぎ出した巨額の金を貧しい人々の生活の向上や病で苦しんでいる人々のために使わなければならない。進化するためには多くの書物を読まねばならないし、それにより神経が研ぎ澄まされることは想像のためには仕方がないのだ。常に感性を磨き、愛と美を生み出し、この世に発信し続けなければならないことは、私の生の存在理由(レゾンデートル)であり使命だと思っている。今日はもう疲れた。明日の発売を控え、少し休もう。
2012年3月3日
新曲は一日でミリオンを達成した。日本中で私のミュージックビデオが流れている。評判も上々で、苦労をかけたスタッフも報われるというわけだ。
明日はミューックステーションのリハだ。JEWELも出るらしい。KIYOとは八ヶ岳以来会っていないが、何でも髪を金髪に染めたらしい。相変わらずイケている。誰も私達の交際には気付いていないようだ。ありがたい。魂の安息にしばし浸っていたい。明日のリハも仲間たちに気付かれないようにしなくては。今からストレッチとエクササイズをして新曲のダンスを練習しておこう。 (続く)
ここから先は
0字
¥ 300
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
