私は、いつもお金のことを考えている


©︎Mayumi Maeda



じつは、私がnoteをはじめたいと思った理由は、「お金」についてずっと考えてきた、一連のことを綴ってみたいと思ったからでした。

と言っても、絵本作家と見せかけて投資に誘うわけではありません。
むしろ、その逆でしょうか…

私は、大学を卒業してから3年間、銀行に勤めていました。
その銀行勤めの経験から、心のどこかにいつも「お金」「貨幣」「金融」というものに対して疑問を持って、長年考え続けてきました。

経済成長しなければならないことへの疑問

経済は、ずっと成長しつづけなければいけないという理屈はどこからきているのか?ずっと成長していたら、地球全体を食い尽くしてしまうのではないの?
そして、なぜ一部の、ほぼ何も生産しない人が、極端な「富」を独占できるの?

今までの資本主義社会を支えていた近代経済学が絶対答えてくれない、それらの素朴な疑問は、銀行業務の記憶から、ずっと心に残っていました。

そして、たどり着いた答えが、
「お金に実体がなく、際限なく無から作り出されている」ことと、
「お金には使用料(利子)がかかる」という、
考えてみればとても奇妙な仕組みのせいなのではということです。

経済の勉強を専門にしたわけではないので、いろんな本を読んだツギハギですが、だんだん、点の数がふえて、ピクセルがこまかくなって「解像度が上がってきた」ような気がしたのが、ここ数年。
さらにあと何年もかかるかもしれませんが、「金融経済」についての絵つき読み物、「すうがくさんぽ」と同じ、見開き完結みたいな本を描くことに、今後のこりの時間を捧げたいという気持ちを持っています。

そのための、考えたことの軌跡を備忘録的にも書いてみたくて、noteをはじめました。

最近では、斎藤幸平さんの「人新世の資本論」がベストセラーになり、成長第一の資本主義への批判がメジャーになっています。

また、平賀緑さんの「お金儲けをしない経済学」(岩波ジュニア新書)では、斎藤さんの考え方と共通しつつ、金融システムの問題点についても、私が長年感じていたことと同じことを書いてくださっていました。

これらの経済学者さんたちの共通点は、私(1964年生まれ)よりも、お若いことです。とくに、斎藤さんは、はるかにお若い。

私たちは、バブル世代と呼ばれています。バブルが起き始めたころに銀行にいた私は、違和感マックスの中、この世界で働きながら絵を描くことはできない。と考えて、銀行をやめた人間です。

それ以来、私よりは経済に詳しいと思われる同世代かもっと上の人たちに、「ずっと成長しつづけなければいけないなんて、おかしいのではないか?」という疑問を投げかけ続けたのですが、明確な答えが返ってきたことは一度もありません。
それは、その世代にとっては当たり前のことすぎて、疑問を持つことの方がおかしいという感じでした。

それに対する異論がはっきりと出てきたのは、それよりもっとあとの世代から、だというのは、日本の社会が変質したことと重なっているような気がします。

香港上海銀行

卒業ギリギリまで、芸大を受けたいと思って就職活動していなかった私が急に方向転換したのは夏の終わり、残っていた求人票は外資系の会社、金融機関や半官半民の研究所や組織、塾などでした。
その中で、なんとなく特定の業種にかたよるよりも、ニュートラルに社会全体が見える金融関係が良いな、と子ども心に漠然と考えた結果、外資系の金融機関をいくつも受けて、ひとつだけ内定が出たのがその銀行だったのです。

香港上海銀行は、Hongkong and Shanghai Banking Cooperationが正式名で、今はHSBCという名で知られています。
銀行としては日本で一番古いと言っても過言でなく、最初の支店を慶応2年に横浜に設立、そのあと、大阪、神戸、長崎と続きました。

ひとことで言えば、東インド会社の頃からのイギリスの植民地経営のためにできた銀行です。
アヘン戦争のときには、中国にアヘンを売ったのが旧東インド会社であるジャーディン・マセソン商会、その売上金を本国に送金する役目だったのが香港上海銀行。
長崎で有名なトーマス・グラヴァーの設立したグラヴァー商会は、ジャーディン・マセソンの代理店で、坂本龍馬を仲介者として長州藩や薩摩藩に、また幕府側にも武器などを販売していた会社。香港上海銀行の設立にも、グラヴァーは深い関係を持っています。
ちなみに、サンフランシスコ講和条約の時の日本の首相、吉田茂の養父は、イギリス留学経験があり、ジャーディン・マセソン勤務を経て実業家として独立した人だそうです。

イギリスはアヘン戦争に勝利し、香港の領有権を得ました。
私が勤めていた当時は、まだ香港がイギリス領だったので、本店が香港にあり、香港ドルの発券銀行でもありました。
今は、ロンドンの治外法権金融特区であるシティに本店があります。

私の職場だった大阪支店は、大阪の御堂筋沿いの淡路町にあった「香港上海銀行ビル」という戦後すぐに建てたらしい自社ビルの中。
今は大阪支店は引っ越し、建て変わりましたが、もとは長銀だった赤煉瓦ビルの北隣です。今は1階にカフェがある新しい建物になっていますが、長銀だったビルは、当時のまま。

香港上海銀行ビルの1〜2階が香港上海銀行、たしか3〜4階がジャーディン・マセソン、その上の階がイギリス総領事館でした。

その3つの職場に勤めるイギリス人どうしは当然ながら仲良く行き来していました。
また、銀行内では、イギリス人上司たちと、ふつうの日本社会のような時間外の飲み会のおつきあいがありました。イギリス人上司たちはカラオケも大好きで、レット・イット・ビーなどを歌っていました。

その銀行は、今イギリスではごく当たり前に町にATMがある、三菱UFJ銀行みたいな存在感だと思います。


新人研修で知った「信用創造」

銀行に入行するとまず、日本で採用された新人が東京支店に集められ、新人行員研修がありました。
といっても、外国銀行ですから、東京と大阪合わせても200人くらいの行員数ですので、東京で5人、大阪で3人の採用でしたが…

会議室で、銀行の業務について1から学ぶことになりました。
連日のレクチャーにくたびれてきた3日目のころ。
突然、びっくりする内容に出会いました。
それは「信用創造」。

私たちはふだん「お金」を使っています。口座にお金を持っていて、ネットで振り込んだり、クレジットカードで引き落としたりしますが、通帳に記載されているお金は、いつでもその気になれば「おろす」ことができると思っていませんか?
どこかに、記載されているのと同じ額の現金が保管されている…

当時、少なくとも私はそう思っていました。
けれども、実際に流通しているお金、つまり貨幣はごく一部で、それ以外の大半は、ただのデータ上の数字だというのです。

私が研修を受けた1980年代の末、当時で実際に流通している貨幣の7倍、貨幣ではない、単なるデータ上の数字としてのお金があると聞きました。

それにびっくりしてしまったのですが、それから数十年たって、今では、ただの数字だけのお金は、今や貨幣の20倍以上にも膨らんでいるそうです。

経済学を学んだことのある人には「信用創造」は、ことばとしては、よく知っているものだと思います。ただ、それ以外の人は、そのようなことばも、またそんな話も聞いたこともないのがふつうかもしれません。

つまり、私たちが「お金」だと思って、そのためにさまざまな社会的な苦労が生まれているものは、実際には貨幣、お札やコインですらない、なんの裏付けもないデータ上の架空の数字だということになるのです。
しかもそれは、無から生み出されているのです。
なんの裏付けもなく。

ではなぜ、そんなふうに架空のお金を生み出すことができるのか、信用創造のしくみについては、長くなるので、また別に分けて書くことにします。

経済学を知っていて「信用創造」を概念として知っている人にとっては、それは当たり前すぎて、変でもなんでもなく、実感もないかもしれません。

けれど、そのとき抱いた「信用創造」、つまり「お金に実体がない」ことへの疑問は、私の心の中に、深く刻まれたのです。




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