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私の中の聖地巡礼

振り返ってみれば、私はこれまで
「人生とは何か」なんて深く考えることなく、
目の前で起きる出来事に流されるように生きてきた。

学生時代は理系で、
合理的な原因と結果を“考える”というより、
ただ暗記し、使いこなすだけのような日々だった。

国家試験に合格し、資格職として働きはじめ、
仕事は大変でも「そういうものだ」と淡々とこなしていた。
生きがいというより、日々こなすべきタスクの連続だったと思う。

20代後半。
世間の空気に合わせるように結婚を意識し、
出会った人と家庭をつくった。
子どもたちが生まれ、子育てと仕事に追われる毎日。
どう生きるかなんて考える余裕もなく、
ただ“今できる最善”を選び続けてきた。

その生き方に後悔はない。
だけど、詐欺被害に遭った今、
初めて真面目に、いや、ようやくまともに
「生きる意味」を考えるようになった。

50代後半。
もう若くはないけど、老いるにはまだ少し早いこの年に、
あの消えてしまいたかった夜を超えて
私は問い続けている。

今から何ができるのか?
何を残せるのか?
私がこの世に生まれた意味は何なのか?

詐欺に遭うまでは、
私は「家族を支えてきた」と思い込んでいた。
でも違った。
支えてもらっていたのは、私の方だった。

これまでの私は"足し算の人生"だった。
積み上げ、抱え込み、なんとか形にしようとしてきた。
けれどこれからは、"引き算の人生"でいい。
余分なものをそぎ落とした先に、
ようやく本当の自分の輪郭が見える気がする。


詐欺被害にあったことは苦しい。
この傷はおそらく一生、心の中で反芻するだろう。
だけど――
この苦しみを何かを成し遂げる力に変えられたなら
この経験さえも意味のあるものにできるはずだ。

眠れない夜、東の空が白み始める頃、
私はそんなふうに思うのだ。


苦しむことにもきっと意味がある。

苦しむことは、何かを成し遂げるための通過点かもしれない。

    写真  自宅近く公園からみえた今朝の月


そっと息をして、今日も生きる。
                  日和の実


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