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人の日記が読みたい

人のnoteを読むのが好きだ。

ためになる情報的な記事もエッセイもいいけど、できれば日記が読みたい。欲を言えば、トピックス的にまとまっているものよりも「⚪︎時起床。洗面所に行き、お湯とビオレで顔を洗ってから朝食。朝食は食パンとヨーグルト。食パンはトーストしてピーナッツバターを塗り、ヨーグルトにはいちごジャムを混ぜて食べた」くらい詳細にその日の出来事を書いてくれている方がありがたい。noteには毎日のように日記を更新してくれる方がいるので、合法的に人の日記を読めるなんてなんともいい時代になった。

小学生の頃、人には言えなかったけど「実は自分ができないだけで、他のみんなは人の考えていることがわかったり透視ができたりするんじゃないか」という疑問がずっとあった(その後、友人の家にあった『仙人になる法』という本を読んで真剣に修行をしたのはいつか別の話で)。
まだ誰にも言っていなかったのに私が週末にハウステンボスに行ったことを知っている友人がいたり、もし先生にあてられたら答えようと思ってた内容をそのまま他の人が発表したりしたことがあったからだ。

今思えばそれは親同士が仲良しで親ルートで情報が伝わっていただけなこともわかる。『ちいちゃんのかげおくり』の感想だってだいたい「悲しい」とか「戦争は良くない」としかならないから人と被って当たり前だ。好きな人だってバレていないつもりでも周りからすると仕草でバレバレだったりするし。
でも、自分の考えていることをテレパシーで読まれているんじゃないかと思って、授業中に前の席の人に昨日読んだコロコロが面白かった話とかを頭の中で語りかけたりするような小学生だった。

大人になって人のできることは自分とだいたい変わらないことがわかってきたけど、相変わらず人のことが気になってしまう。今は超能力ではなく常識を疑っている。自分が当たり前だと思っていることが実は世間からすると非常識なのかもしれないということをよく考えたりする。
人から「変わってる」と言われるのは大学生くらいまでは褒め言葉と思っていたけど、社会に出てからは特にクリエイティブな仕事でもしていない限り世間からはみ出ている部分が恥ずかしいと思うようになった。個性的なことは良いがTPOをわきまえていないとただの世間知らずの非常識になる。

例えば、目玉焼きには醤油をかけるというのは文字通りの醤油の意味であっているのだろうか。私が知らないだけで実は「醤油」という名前の小さい虎をかけて食べるのが世間一般では常識だったらどうしよう。
「え、お前まさかそっちの醤油かけて食べてるの?うわあ非常識」と言われないか気になってしょうがない。「俺のマイ醤油貸してやるよ」と言われて胸ポケットからおもむろに小さい虎を10匹くらい出されたらどうしよう。

誰かのnoteに「朝食は食パンと目玉焼き。目玉焼きには醤油をかけて食べた」と書いてあって、写真まで添えられていれば安心する。よかった私の知っている醤油と同じだ…と思いスキをつける。スーパーで小さい虎を探さなくてもこれで安心である。

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